第5話:雄鶏は、朝になると鳴きます
作戦用の天幕に、主だった者たちが顔を揃えていた。
グラントが、オズワルドと目を見交わした。
斥候は、息を整えて報告を続けた。
「周囲の岩場には、若い個体のものとみられる羽根が、大量に散らばっていました。争った跡かと」
「……推測どおりか」
オズワルドが、静かに頷いた。
「それと、岩棚の奥に、倒れた大木が一本。その上に、爪で掴んだ跡が何本も」
「倒木の上か」
「はい。地面から膝ほどの高さです。周囲には新しい糞や羽根が落ちており、繰り返しそこで休んでいるようです」
ソフィアが、手帳から顔を上げた。
「止まり木ですね」
「止まり木?」
「はい。鶏も、夜は止まり木で休みます」
オズワルドは、地図に駒を置いた。
「放っておけば、いずれ村が襲われる。早急に手を打つ必要がある」
オズワルドは、地図の上に指を走らせた。
「鏡は有効です。盾兵の盾をすべて磨き、鏡の盾として正面に並べる。視線を跳ね返し、昨日と同じように自滅させる」
「なるほど」
グラントが頷く。
「ソフィア殿。盾を、昨日の盆のように磨けるか?」
「はい。できます」
「よし、では――」
「ただ」
ソフィアは、手帳を開いた。
「あのお盆は、一晩かけて磨きました。盾は四十枚ありますので」
「…………」
「全部磨き終わるのは、四十日後になるかと」
天幕の中が、静まり返った。
「……四十日」
「はい。手を抜いてよろしければ、もう少し早くなりますが」
「抜いたら、どうなる?」
「曇ります」
「曇ったら?」
「映りません」
「映らなかったら、石になるのはこっちだな」
グラントが、腕を組んだ。
オズワルドは、地図を睨んだまま黙り込む。
レオナルドが、ソフィアを見た。
「ソフィア。何か、思いついてることある?」
「思いついている、というほどではありませんが」
「うん」
「コカトリスは、鶏ですよね?」
「……またそこから?」
「はい。ですから、鶏と同じなのではないかと」
ソフィアは、指を一本立てた。
「鶏は、暗くなると目がよく見えなくなります。夜は止まり木に止まって、ほとんど動きません」
「鳥目、か」
グラントが呟く。
「はい。それから、暴れる鶏には布をかぶせると、すぐに大人しくなります。前の屋敷で、毎朝鶏を捌くときにそうしておりました」
「布を……」
オズワルドが、顔を上げた。
「目を、覆う」
「はい。目が見えなければ、こちらを睨むこともできないのではないかと」
「…………」
「それと、最後にもう一つ」
ソフィアは、足元を見た。
ゲオルグが、麦をついばんでいた。
「雄鶏は、朝になると鳴きます」
オズワルドは、すぐには答えなかった。
ソフィアの言葉を、一つずつ確かめるように口に出す。
「夜は止まり木から動かない。斥候の報告と一致する」
「はい」
「村の証言でも、夜中の声は山から聞こえるだけで、下りてきた形跡はない。これも一致する」
「はい」
「布で目を覆えば、石化の視線は封じられる。理屈は通る」
そして、最後に。
「雄鶏の鳴き声を聞くと、コカトリスは死ぬ。……伝承です」
「死ぬかどうかは分かりませんが、苦手なのでしたら、少しは弱るかもしれません」
オズワルドは、天幕の外に目をやった。
そこには、伝承どおりに石になったコカトリスが立っている。
「……昨日までの私なら、迷信だと言ったでしょうね」
「鶏は、夜明け前なら、まだ止まり木で眠っています」
ソフィアが、手帳を見ながら付け加えた。
「なるほど」
オズワルドは、地図の上の駒を動かした。
岩棚の倒木。
風下からの接近路。
鎖組の配置。
日の出の方角。
「夜明けの一刻前に風下から接近し、止まり木で眠っているところを、布で頭を覆う。鎖で脚と翼を縛り、日の出まで押さえ込む。あとは雄鶏が鳴くのを待つ」
グラントが、にやりと笑った。
「メイド軍師殿の献立を、参謀官殿が作戦にしたわけだ」
「献立ではありませんが……まあ、そういうことです」
オズワルドは、眼鏡を押し上げた。
「ただし、布はどうします。馬ほどの鶏の頭を覆える布など、この拠点には」
「ございます」
ソフィアが、手を挙げた。
「敷布です。皆さんの天幕の分を、昨日まとめて洗濯しておきましたので」
「…………」
「縫い合わせれば、大きな袋になります。夕方までに縫っておきます」
オズワルドは、もう何も言わなかった。
◇
その翌日の、夜明け前。
月のない、一日でいちばん暗い時刻だった。
岩棚の倒木を、討伐隊が音もなく取り囲んでいた。
ソフィアは、レオナルドと一緒に、少し離れた岩陰にいた。
腕の中には、ゲオルグを抱えている。
「……前には出ない約束だよ」
「はい。ここは後ろです」
「わりと前だと思うけど」
「ゲオルグさんの声が届く範囲で、いちばん後ろです」
「…………うん」
岩棚の奥、苔むした倒木の上で、巨大な影がうずくまっていた。
頭を翼の下に入れて、じっと動かない。
寝ている。
石になった個体より、ふた回りは大きい。
グラントが、手で合図を送った。
兵士たちが、縫い合わせた敷布の袋を広げて、じりじりと近づいていく。
あと十歩。
五歩。
三歩。
「今だ!」
兵士たちが一斉に飛びかかり、袋をコカトリスの頭にかぶせた。
「コケッ――!?」
くぐもった声。
巨体が、倒木の上から地面へ跳ね下りる。
「鎖組!」
「おおっ!」
鎖が、脚に、翼に、次々と絡みついていく。
コカトリスは暴れた。
けれど、頭を覆われたせいか、動きはどこか鈍い。
右へ左へ、見当違いの方向に嘴を振り回している。
「本当に……大人しくなった……」
オズワルドが、呆然と呟いた。
「いや、まだだ!」
グラントが叫ぶ。
びりっ、と。
嫌な音がした。
コカトリスが首を大きく曲げ、頭にかぶった袋を蹴爪で引っかいていた。
「袋が破れる!」
「押さえろ! 目を出させるな!」
兵士たちが、必死に布を押さえつける。
鎖がきしむ。
破れ目が、少しずつ広がっていく。
その隙間から、ぎらりと光る目がのぞいた。
「見るな! 顔を伏せろ!」
レオナルドは、とっさにソフィアの前に出た。
ソフィアを背中にかばって、腕を広げる。
「レオナルドさま!」
「下がって!」
そのとき。
東の空が、白んだ。
山の稜線に、細い光の筋が走る。
ソフィアの腕の中で、ゲオルグがぶるりと身を震わせた。
胸を張る。
大きく息を吸い込む。
そして。
「コケコッコーーーーーーーッ!!」
夜明けの山に、雄鶏の声が響き渡った。
コカトリスの動きが、ぴたりと止まった。
「……コ」
巨体が、がくがくと震え出す。
「コケ……ェ……」
膝が折れた。
翼がだらりと垂れ下がる。
そして、どさりと、地面に崩れ落ちた。
しん、と。
岩山が、静まり返った。
「……死んだのか?」
グラントが、おそるおそる近づく。
コカトリスの胸が、かすかに上下していた。
「いや。気絶しているだけだ」
「縛れ! 今のうちだ!」
兵士たちが、鎖を何重にも巻きつけていく。
頭には、予備の敷布が三重にかぶせられた。
捕獲、完了。
誰一人、石にならずに。
「コケッ」
ゲオルグが、ソフィアの腕の中で得意げに鳴いた。
◇
朝日の中で。
オズワルドは、地面に膝をついていた。
「参謀官殿?」
マルコが、心配そうにのぞき込む。
「……迷信では、なかった」
「はい」
「鏡も。雄鶏も。私が切り捨てた伝承を、彼女はすべて拾い上げていた」
「たぶん、鶏の話をしていただけです」
「それで勝つのが一番恐ろしいんですよ!」
マルコは、少し考えてから言った。
「でも、参謀官殿がいなかったら、鶏の話のままでしたよ」
「…………」
「ソフィア様が気づいて、参謀官殿が作戦にした。だから勝てたんだと思います」
オズワルドは、しばらく黙っていた。
それから、小さく息を吐いて、立ち上がった。
「……補給係に慰められるとは」
「兵站担当です」
「失礼」
レオナルドは、まだ腕を広げたまま固まっていた。
「……レオナルドさま」
ソフィアが、背中に声をかける。
「もう、大丈夫です」
「……うん」
レオナルドは、ゆっくりと腕を下ろした。
振り返る。
ソフィアは、少しだけ怒ったような顔をしていた。
「前に出ないお約束は、レオナルドさまもです」
「僕は、そんな約束してないよ」
「では、今からしてください」
「…………」
「レオナルドさまが石になったら、私、毎日拭きますからね」
「それは……ちょっと嬉しいかもしれない」
「嬉しがらないでください」
レオナルドは、笑った。
ソフィアも、少しだけ笑った。
それから、鎖でぐるぐる巻きにされたコカトリスを見て、ぱっと顔を輝かせた。
「これで、唐揚げにできますね!」
夜明けの岩山に、兵士たちの笑い声が響いた。
――第6話へ続く――




