第4話:もう一羽、いるのでしょうか
その夜。
新しく石になった兵士は、天幕の中に寝かされた。
王都の解呪師が到着するまで、あと数日かかるという。
ソフィアは寝る前に、その兵士の顔を丁寧に拭いた。
「もう少しの辛抱ですからね」
それから、天幕の外に立つコカトリスの石像も拭きはじめた。
「……それも拭くの?」
灯りを持って付き添っていたレオナルドが、目を丸くする。
「はい。埃をかぶっていたので」
「敵だよ?」
「ですが、お鍋を狙っていただけですので」
「お鍋を狙ってる時点で、退治すべき敵だと思うけど……」
ソフィアは、石の首筋に布を当てた。
そこで、手が止まった。
「……レオナルドさま。灯りを、こちらへいただけますか」
「うん?」
レオナルドが、灯りを近づける。
石になった首筋に、深い溝が走っていた。
一本ではない。
三本、平行に。
「傷……?」
「はい。それに、こちらにも」
背中にも、翼の付け根にも。
古い傷と、まだ新しい傷が、いくつも刻まれていた。
ソフィアは、布越しに胴体をそっと撫でた。
「胸の骨が、浮いています」
「え?」
「鶏は痩せると、胸の真ん中の骨が目立つのです。市場で痩せた鶏を見分けるときに、いつも確かめておりました」
レオナルドは、石の胸元を見た。
言われてみれば、胸の中央を縦に走る骨が、刃のように浮き出ている。
「お腹が、空いていたのですね」
ソフィアは、小さく呟いた。
「だから、お鍋を」
それから、しばらく黙り込んだ。
手帳を開く。
村で書き留めた文字を、灯りの下で一行ずつ指でなぞっていく。
山から出てきたことは、何十年もなかった。
子牛くらい。馬よりでかい。
夕方は甲高い声。夜中は、腹に響く低い声。
大きさの違う足跡。
「……ソフィア?」
「レオナルドさま」
ソフィアは、顔を上げた。
少しだけ、迷うような顔だった。
「この傷は、この子の爪よりも、ずっと大きなもので付けられているように見えます」
「うん」
「それに、この子は、子牛くらいの大きさです」
「……うん」
「ですから」
ソフィアは、おそるおそる尋ねた。
「もしかして、もう一羽、いるのでしょうか」
◇
「見せてください」
夜更けにもかかわらず、オズワルドはすぐにやって来た。
グラントとマルコも一緒だった。
オズワルドは灯りを掲げ、石像の傷を一つずつ確かめていく。
指で、傷と傷の間隔を測る。
それから、石像の足の大きさを測る。
「……爪痕の間隔が、この個体の足幅の倍近くある」
「では」
「この個体同士の喧嘩では、こうはならない。自分より大きな相手にやられた傷です」
オズワルドは、ソフィアの手帳を受け取った。
書き留められた証言に、目を走らせる。
「大きさの証言が食い違っているのは、見間違いではなく、見たものが違った」
「はい」
「夕方の甲高い声は、今日、この個体が襲撃の前に上げた声と同じ。夜中の低い声は……」
「山のほうから、と村長さんがおっしゃっていました」
「別の個体だ」
オズワルドは、手帳を閉じた。
「何十年も山から出なかったコカトリスが、里に下りてきた。痩せこけて、自分より大きな相手の爪痕を背負って」
グラントが、低く唸った。
「縄張りを、追われたか」
「ええ。山の上の大型個体に追い出された若い個体が、餌を求めて村に下りてきた。そう考えれば、すべて説明がつきます」
「……かわいそうに」
ソフィアが、石のとさかを撫でた。
オズワルドは、その横顔をしばらく見ていた。
それから、グラントに向き直った。
「問題は、ここからです。若い個体を追い出したということは、大型個体は縄張りを広げている最中だということ」
「このまま広げ続ければ……」
「次は、村が縄張りに入る。その前に、こちらから手を打つ必要があります。夜明けとともに、斥候を北の山へ出してください」
「承知した」
グラントが、足早に去っていく。
オズワルドは、ソフィアに向き直った。
「ソフィア殿」
「はい」
「なぜ、村での証言を書き留めていたのですか?」
「お献立を考えるときも、まず市場で伺ったお話を書き留めますので」
「…………」
「書いておかないと、忘れてしまいますので」
オズワルドは、眼鏡を押し上げた。
昼間までの冷ややかさは、もうなかった。
「……失礼しました。あなたを、ただのメイドと言ったことを」
「いえ。メイドですので」
「そういう意味では……いや」
オズワルドは、小さく笑った。
「もう、いいです」
マルコが、横で小さく肩を震わせていた。
◇
翌朝。
夜明けとともに、ゲオルグが鳴いた。
「コケコッコーーーッ!」
拠点中の兵士が、跳ね起きた。
「……うるさい」
「でも、目覚ましにはちょうどいいな」
昼前、斥候が駆け戻ってきた。
「報告! 北の岩山の中腹に、大型のコカトリスを確認!」
作戦用の天幕に、緊張が走った。
「大きさは」
「馬より大きい! 昨日の個体の、倍はあります!」
――第5話へ続く――




