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第3話:石になったら食べられません

「盾兵、前へ! 視線を伏せろ!」


オズワルドの声が、夕暮れの拠点に響いた。


「決して顔を上げるな! 足元の影だけを見ろ!」


盾兵たちが、一斉に盾を低く構える。


森の縁から、それは現れた。


鶏の頭。


鶏の胴体。


大きさは、子牛ほど。


背には蝙蝠のような翼。尾は、ぬらりと光る蛇。


「……あれが」


本陣の後ろで、レオナルドが息を呑んだ。


コカトリスが、甲高く鳴いた。


耳をつんざくような声だった。


「来るぞ!」


巨体が地を蹴る。


盾兵たちは足元だけを見て、どうにか突進を受け止めた。


けれど、そこまでだった。


「どこだ!?」


「右だ! いや、左……!」


相手を見られない。


影の動きだけでは、次に何をしてくるのか分からない。


嘴が、盾を叩く。


一人がよろめき、思わず顔を上げた。


「しまっ――」


その兵士は、声を上げたまま、灰色に固まった。


「一人やられた!」


「顔を上げるなと言っている!」


オズワルドが叫ぶ。


コカトリスは盾兵には目もくれず、隙間を抜けて拠点の奥へ駆け込んだ。


戦うためではない。


まるで、何かの匂いに引かれるように。


その先には。


「……炊事場!?」


レオナルドが、顔色を変えた。


「ソフィア!」


◇


炊事用の天幕では、ソフィアが大鍋をかき混ぜていた。


「……騒がしいですね」


「ソ、ソフィア様! 逃げてください!」


炊事係の兵士たちが、悲鳴を上げて逃げ出していく。


ソフィアは、お玉を置いた。


足元で、ゲオルグが羽を逆立てている。


「ゲオルグさん、どうしました?」


ばさり、と。


天幕の入り口が、大きく揺れた。


巨大な鶏の頭が、のぞき込んでいた。


「まあ」


ソフィアは目を瞬いた。


大きい。


思っていたよりずっと大きい。


そして、その鶏は。


まっすぐに、ソフィアの大鍋を見ていた。


「……あ」


鍋の中では、兵士百人分のシチューが煮えている。


朝から骨で出汁をとって。


野菜の下ごしらえをして。


半日かけて煮込んだシチューだった。


コカトリスが、翼を広げる。


土埃が舞い上がる。


「いけません」


ソフィアは、すぐそばの台に置いてあった銀の盆をつかんだ。


昨夜、いちばん丁寧に磨き上げた、いちばん大きな盆だった。


「お鍋に埃が入ります!」


ソフィアは、鍋とコカトリスの間に立ち、盆を顔の前に掲げた。


舞い上がる埃を、少しでも遮ろうとして。


ついでに、自分の目にも埃が入らないように。


盆の陰に、ソフィアの顔がすっぽりと隠れる。


磨き上げた鏡面だけが、まっすぐにコカトリスへ向いていた。


コカトリスが、ぎろりと睨みつける。


石化の視線が、真正面から放たれて――


磨き抜かれた銀の盆に、ぶつかった。


「…………コケ?」


コカトリスは、盆に映った自分の顔を見た。


見てしまった。


ぴしり、と。


嘴の先から、灰色が広がっていく。


とさか。


首。


広げた翼。


蛇の尾の先まで。


ぴし、ぴしぴし、と。


一拍おいて。


天幕の入り口に、鶏の石像が立っていた。


「…………」


ソフィアは、盆を掲げたまま、しばらく固まっていた。


やけに静かだった。


そっと、盆の陰から顔を出す。


それから、鍋の中をのぞいた。


「……よかった。埃は入っていません」


「コケッ」


ゲオルグが、誇らしげに鳴いた。


◇


「ソフィアっ!」


駆けつけたレオナルドは、天幕の前で急停止した。


目の前に、石像がある。


翼を広げ、嘴を開いた、コカトリスの石像が。


「……え?」


その脇から、ソフィアがひょこりと顔を出した。


「レオナルドさま。ご無事でしたか」


「それ、こっちの台詞……!」


レオナルドは、ソフィアの両肩をつかんだ。


頭のてっぺんから、つま先まで確かめる。


「怪我はない!?」


「はい。大丈夫です」


レオナルドは、その場にへたり込んだ。


「……よかった」


追いついてきたグラントと兵士たちが、石像を見上げて立ち尽くす。


「これは……」


「何が起きたんだ……」


最後に、オズワルドがやって来た。


石像を見上げる。


ソフィアの手にある銀の盆を見る。


もう一度、石像を見る。


「……鏡」


オズワルドの声が、かすかに震えた。


「自分の姿を鏡で見ると、石になる。伝承どおりに……」


「お盆です」


「待ってください。あなたは、なぜ石になっていない?」


「さあ……」


ソフィアは、首を傾げた。


「お盆を、このように持っておりました」


ソフィアは、盆を顔の前に掲げてみせた。


顔が、すっぽりと隠れる。


鏡面だけが、オズワルドのほうを向いていた。


オズワルドは、自分の顔とにらめっこする形になった。


「……反射面を相手に向け、自身は完全に死角に入る」


「埃が目に入らないように、と思いまして」


「視線を跳ね返しつつ、自分は相手の目を見ない……理想的な構えだ……」


「お鍋を守っていただけです」


「昨夜から鏡を量産していたのも、このため……!?」


「お盆です」


「拠点中の金物を磨いていたのも……!」


「汚れていたので」


オズワルドは、ふらりとよろめいた。


グラントが、その肩を支える。


「参謀官殿。しっかりしろ」


「……私は、迷信だと切り捨てた」


「ああ」


「その迷信を、彼女は……計算に入れていた……」


「入れておりません」


ソフィアが、きっぱりと言った。


誰も聞いていなかった。


「勝った……」


「メイド軍師様が、お盆一枚で……!」


「うおおおおっ!」


兵士たちの歓声が、拠点に響き渡った。


◇


歓声の中で。


ソフィアだけが、しょんぼりと石像を見上げていた。


「ソフィア?」


レオナルドが、首を傾げる。


「どうしたの? 勝ったんだよ」


「はい……」


「何か、心配なことでも?」


「……石に、なってしまいました」


「うん。なったね」


「石になってしまっては……」


ソフィアは、珍しく声を張り上げた。


「唐揚げに、できないじゃないですかぁ!」


「「「そっち!?」」」


レオナルドと、グラントと、マルコの声が重なった。


「せっかく、油を大鍋三つ分も持ってまいりましたのに……」


「本当にそのための油だったの!?」


「念のためです」


「念のためで油を鍋三つ分!?」


マルコが、オズワルドの肩にそっと手を置いた。


「参謀官殿。たぶん、本当に唐揚げのことしか考えていません」


「この方は、天然なのですか!? 天才なのですか!?」


「たぶん……両方です」


――第4話へ続く――

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