第2話:石像を拭いておきました
翌日。
ソフィアはレオナルドと数名の兵士に付き添われ、被害のあった村を訪れた。
村の入り口には、五体の石像が並べられていた。
槍を構えたままの兵士。
驚いた顔で振り返る兵士。
尻もちをついた兵士。
鍬を振り上げた農夫と、籠を抱えたまま立ちすくむ老婆。
「……本当に、石になってるんだ」
レオナルドが、声を落とす。
ソフィアは、しばらく黙って石像を見ていた。
それから、鞄から布を取り出した。
「ソフィア?」
ソフィアは、一体目の石像の前に立った。
肩に積もった土埃を、そっと払う。
顔についた泥を、丁寧に拭う。
「解呪師さまがいらっしゃるまで、まだ何日もかかるそうですので」
「うん」
「その間、汚れたままでは可哀想です」
ソフィアは、一体ずつ、順番に拭いていった。
付き添いの兵士たちが、黙ってそれを見ていた。
一人が、鼻をすすった。
「……あいつら、元に戻ったら、真っ先に礼を言わせます」
「お礼でしたら、解呪師さまに」
「いや、あんたにだ」
◇
「こんなことは、初めてでしてなあ」
村長は、白い眉を下げた。
「北の山にコカトリスが棲んでいることは、昔から知られておりました。ですが、山の奥から出てきたことは、わしが生まれてこのかた一度もなかったのです」
「一度も、ですか」
ソフィアは、手帳を開いた。
「いつごろから、村に下りてくるようになったのですか?」
「ひと月ほど前からですな。最初は、山の入り口で鶏の羽根が散らばっておる程度でした。それが、だんだん村に近づいてきて」
「どのくらいの大きさでしたか?」
「それが……」
村長は、困ったように頭をかいた。
「見た者によって、言うことが違うのです。子牛くらいだったという者もおれば、馬よりでかかったという者もおる」
「まあ」
「まあ、怖い思いをすれば、なんでも大きく見えるものですからな」
「鳴き声は、いかがでしたか?」
「ああ、それも妙でしてな。夕方には甲高い声で鳴くのに、夜中に山のほうから聞こえるのは、腹に響くような低い声で」
村長は、肩をすくめた。
「昼と夜とで、声が変わるのでしょう。魔物のすることは、よう分かりません」
「そうなのですね」
ソフィアは、さらさらと手帳に書きつけた。
レオナルドが、その手元をのぞき込む。
「何を書いてるの?」
「伺ったお話です」
「なんで?」
「お献立を考えるときも、まず市場で伺ったお話を書き留めますので」
「献立と同じ扱いなんだ……」
◇
鶏小屋は、ひどい有様だった。
柵は倒れ、羽根が散らばっている。
止まり木には、石になった鶏が数羽。地面にも、逃げようとした姿のまま固まった鶏が転がっていた。
「全滅、か……」
レオナルドが呟いた。
ソフィアは、しゃがみ込んで地面を見ていた。
ぬかるんだ土に、大きな足跡が残っている。
鶏の足跡を、そのまま大きくしたような形だった。
「ソフィア、危ないよ」
「レオナルドさま。こちらの足跡と、あちらの足跡」
ソフィアは、柵の内側と、小屋の裏手を指差した。
「大きさが、違うように見えます」
「……そう?」
レオナルドも、しゃがんで見比べた。
確かに、小屋の裏手に残った足跡は、ひと回り、いや、ふた回りほど大きい。
「でも、ぬかるみの具合で違って見えるだけじゃない?」
付き添いの兵士が、首を傾げた。
「村長も、一羽だけだって言ってたし」
「そうなのですね」
ソフィアは、また手帳に何か書き足した。
そのとき。
小屋の奥の物置から、がたん、と音がした。
兵士たちが、さっと槍を構える。
「下がって、ソフィア!」
物置の扉が、内側から押し開けられた。
出てきたのは。
「コケッ」
一羽の雄鶏だった。
立派なとさか。艶のある黒い尾羽。
雄鶏は胸を張って、きょろきょろと辺りを見回した。
「……生き残りがいた」
「物置に閉じ込められていたので、見なかったのですね」
ソフィアがしゃがみ込むと、雄鶏はとことことやって来て、彼女の靴をつついた。
「お腹が空いているのですね」
ソフィアは、鞄から麦をひとつかみ取り出した。
「なんで麦を持ってるの?」
「念のためです」
「…………」
雄鶏は麦をついばみ終えると、ソフィアの膝に飛び乗った。
そして、胸を張って鳴いた。
「コケコッコーーーッ!」
「まあ」
「懐いた……」
ソフィアは、雄鶏の背中をそっと撫でた。
「この子、拠点へ連れて帰ってもよろしいでしょうか」
「え?」
「ここに一羽だけ残しておくのは、可哀想ですので」
「……まあ、村長さんがいいなら」
村長は、二つ返事で許してくれた。
「名前をつけないといけませんね」
「名前?」
「はい」
ソフィアは、雄鶏の立派なとさかを見つめた。
「……ゲオルグさん」
「なんでそんな立派な名前なの」
「お顔が立派ですので」
「コケッ」
ゲオルグは、満足そうに鳴いた。
◇
拠点に戻ったソフィアは、雄鶏を抱えたまま炊事用の天幕へ入った。
その日の夕食は、温かいシチューだった。
磨き上げた銀の皿によそわれて。
「うわっ、顔が映る!」
「なんだこの皿!?」
「おい、俺の鼻毛が出てるぞ!」
兵士たちの間で、ちょっとした騒ぎになった。
ソフィアはといえば、配膳を終えるとすぐに、拠点中の金物を集め始めた。
鍋の蓋。
水差し。
大きな銀の盆。
そして、布を手に、黙々と磨きはじめる。
きゅっ。
きゅっ、きゅっ。
その様子を、兵士たちが遠巻きに眺めていた。
「……なあ。メイド軍師様、何してるんだ?」
「磨いてるな」
「なんで今、磨くんだ?」
「鏡……みたいになってるよな」
「鏡……」
兵士たちは、顔を見合わせた。
「待てよ。参謀官殿が言ってたよな。自分の姿を鏡で見ると、石になるって伝承が……」
「まさか」
「まさか、これが策……!?」
ざわめきが、さざ波のように広がっていく。
作戦用の天幕から出てきたオズワルドが、眉をひそめた。
「何の騒ぎです」
「参謀官殿! メイド軍師様が、鏡を量産しておられます!」
「鏡?」
オズワルドは、炊事場をのぞき込んだ。
ソフィアは、鍋の蓋を磨いていた。
足元では、ゲオルグが麦をついばんでいた。
「…………ただの掃除でしょう」
「そうですよね」
隣に立ったマルコが、しみじみと頷いた。
「でも参謀官殿。ソフィア様はたいてい、ただの掃除で何とかしてしまうんです」
「何とか、とは」
「前回は、ただの荷物整理でキマイラに勝ちました」
「…………」
オズワルドは、眼鏡を押し上げた。
何か言おうとして、やめた。
◇
「ソフィア。まだ磨いてるの?」
夜更け。
炊事場の灯りに気づいたレオナルドが、天幕をのぞいた。
「はい。あと少しで終わります」
「もう十分ぴかぴかだよ」
「明日、皆さんが気持ちよくお食事できるように」
レオナルドは、ソフィアの隣に腰を下ろした。
ゲオルグが、彼の膝の上に移ってくる。
「……重い」
「ゲオルグさんは、レオナルドさまも気に入ったようです」
「それは光栄だね」
しばらく、布の音だけが響いた。
「ソフィア」
「はい」
「村で、石像を拭いてたでしょう」
「はい」
「どうして、あそこまで丁寧に?」
ソフィアは、手を止めずに答えた。
「誰にも気づかれずにいるのは、寂しいと思いましたので」
「…………」
「石になっていても、ちゃんと見てくれる人がいたら、少しは寂しくないかなと」
レオナルドは、何も言えなかった。
八年間。
誰にも気づかれずに、屋敷を整え続けた人の言葉だった。
「……ソフィア」
「はい」
「僕は、ちゃんと見てるからね」
「はい。存じております」
ソフィアは、磨き上げた盆を顔の前にかざした。
灯りの映り具合を確かめながら、盆を少しずつ傾ける。
磨き残しがないか調べるときの、いつもの癖だった。
盆の向こうから、ソフィアの声だけが聞こえる。
「村でも、私が石像を拭いているあいだ、ずっと見ていらっしゃいましたね」
「…………」
「たまたま、ですか?」
「……たまたまじゃないよ」
盆の陰で、ソフィアが小さく笑った気配がした。
◇
翌日の夕暮れ。
ソフィアが大鍋をかき混ぜていると、見張り台の鐘が激しく鳴り響いた。
「出たぞぉっ!」
見張りの兵士が叫ぶ。
「コカトリスだ! 西の森から、拠点へ向かってくる!」
ゲオルグが、ソフィアの足元で羽を逆立てた。
「コケッ……!」
ソフィアは、お玉を握ったまま顔を上げた。
夕暮れの風に乗って、甲高い鳴き声が聞こえてくる。
村長の言っていた、夕方の声だった。
「……まあ。お夕飯の前に」
――第3話へ続く――




