30.光の子
「起きられない…」
すっかり日が傾き、頬を撫でる風がひんやりと感じられた。
アスールはカリマの膝の上に頭を乗せ横になったままだ。カリマはその髪を愛おしそうに梳いている。
「だろうな…。無理させた。もうしばらく休んでいていい」
「…いつか、言われたけどさ。本当に起きられないもんなんだな?」
「加減によるだろう。済まない。抑えが効かなかった…。具合が悪いか?」
「別に…。平気って言えば平気だけどさ」
それだけカリマに思われていたことにもなる。そう思うと頬が熱くなった。するとそれに気づいたカリマが、
「どうした? 熱があるのか?」
大きな手のひらが額に当てられる。アスールはその手に自分の手を添えると。
「それ、からかってんのか?」
「──からかってはいない。熱がないのならいいが」
「平気だけど、気恥ずかしいんだって。…わかるだろ?」
カリマが笑みを浮かべてみせた。
「──わかるさ。だが、遠慮は今後もしない。嫌なら止めるが…」
手の平が頬に滑って、目元をくすぐる。
甘い表情と仕草にまた熱があがった。今までのカリマとは全く違う。たががはずれた、とでも言うのだろうか。
「…ずるいの。そんな顔されて、嫌だとか言えないっての」
「アスールにしか見せない。──好きだアスール」
ああ。もう。
「わかったって…」
そう言うと、だるい身体を無理やり引き起こし、膝に手をついて、キスを返す。肩にかけられていたローブが滑り落ちた。
「──俺も好きだ。カリマ」
再び触れて来るカリマに、アスールも遠慮なく腕を回すと抱きついた。
✢✢✢
その後、アスールはカリマと共に旅に出た。
どうやら、カリマの身体の変化は長期間続くものらしく。その後も消えることなく残った。
もともと頑丈な身体が、魔物が残した変化によってさらに強化され、ちょっとやそっとの傷はすぐに回復するし、疲れもろくに知らなくなった。
他にも試せば色々あるのかも知れないが──怖くて試させていない。だいたい、アスールを生み出すまでならいいが、魔獣を生み出したら大変だ。
取り込んだ《《もの》》を、生み出せるのだ。それが出来ない事はないと思うが、やはり試すのは控えたい。
のちにカリマの紹介で知り合ったアリヴは、もしかしたら、人であった頃より長く生きる可能性があるとも言われ。
それは、カリマから生まれたアスールにも、その特性は引き継がれているらしい。確かに誤って手を切った時も、すぐに回復して見せた。驚くしかない。
「まあ、実際は分からんがな。また顔を見せに来てくれ。その時、また身体を調べて比べてみようじゃないか。年齢を感じさせなければ、そう言うことだな?」
どこか面白そうに笑って見せた。アリヴとしては貴重な研究対象が現れた、という所だなのだろう。
その後、セリオンにも会った。
ひと目にはつきたくない。以前、保養の為に滞在した別荘を使った。
幾分、古くなったものの、当時のままの姿に懐かしさを覚える。
「話は先に聞いた。信じがたいが──本当なんだな?」
居間で向かい合うセリオンは、アスールをじっと見つめる。
「見ての通り。五体満足だ。──カリマのお陰で」
「…ならいい。アスールが無事なら、それで…」
セリオンは一度視線を伏せたが、再び上げると。
「カリマもアスールも、魔獣との戦闘により行方不明としてある。今後、王都には近付かない方が賢明だ。見つかると説明が面倒だからな?」
「──ありがとう。セリオン」
「礼なんて…。カリマ。お前も家の事は気にするな。エクレール家は母君が亡くなるまで安泰だ。その後も、悪いようにはしない。──代わりに、アスールを頼む」
「分かった。…ありがとう。セリオン」
カリマの返答に、セリオンは苦笑を浮かべると。
「本当は、俺がそこに立ちたかったよ…」
カリマは黙ってセリオンを見返したが、
「お前にだって、守るべきものができた。──そうだろ?」
「ああ…。そうだな。──この際だから、リノンと山の様に子どもを作って賑やかにして見せるさ。父上に負けないくらいな…」
カリマの言葉におどけてみせるが、アスールはその肩にそっと手を置くと、
「セリオンの気持ちは忘れない。どんなに離れても、ずっと幸せを願ってる…」
セリオンは、はたとアスールを見た後。
「…ありがとう。アスール」
肩に置かれたアスールの手を取ったセリオンの、閉じた瞼の端に涙が浮かんだ。
──それで、セリオンとは別れた。
それでもいつか、セリオンには会いに来ようと思っている。
それが、いつになるかは分からないけれど…。
それに危機があればいつでも駆けつけようと決めていた。カリマと共に決めたことだった。
✢✢✢
「寂しいか?」
カリマと二人、孤児院の傍の丘から広がる景色を眺める。大樹が葉を広げる例の丘だ。
これで当分、ここから望む景色ともお別れとなるだろう。
「…寂しいけど、ここがなくなる訳じゃない。それに、ここで作った過去がなくなる訳でもない。確かに寂しいけど、それだけじゃないさ。これから先も、もっと沢山思い出を積み重ねていくんだからな。──だろ?」
「…ああ。そうだな」
カリマが柔らかい眼差しで見下ろしてくる。空高く舞う鳥が一声鳴いた。
「──さて、っと。行こうか。南へ行くんだっけ?」
「実母の生まれた村がある…。母は流民だったが、もともとはそこに住んでいたらしい。──そこに行ってみたかったんだ」
「へぇ。カリマの実家かぁ。──皆、そんなにデカいんじゃないよな?」
「どうだろうな。母から話しを聞いた父は、小さいながらも賑やかな村で、近くには海も広がると言っていた…。年中、暖かく花の甘い香りが漂うと」
「いいなぁ…。楽しみだ。とりあえず、日が暮れる前には宿をとる村に行かないとな。──遠いんだろ?」
「ああ。途中、海も渡るだろう」
「余計楽しみだ。ほら、行こう!」
手を差し伸べると、カリマが眩しそうに見つめていることに気付いた。
「カリマ?」
「…いいや。行こう」
差し出した手を握られる。大きな手は温もりに満ちていた。
いつか、すべてが遠い昔の話になるのだろう。でも、今はこの時を存分に楽しみたかった。
傍らのカリマと共に──。
ふと、風が流れ雲の合間から一筋の光が差す。それはまるでこれからの二人の行方を示す様だった。




