29.願い
謹慎が解ける前に、カリマは職を辞した。
謹慎が解けたとしても、このまま何事もなかった様にセリオンの側には仕えられない。
セリオンは引き留めなかった。
しかし、何事かに精を出す気にもなれず。邸で無為に過ごす日々が続いた。
そんなある日、思いがけない事が起こった。
その日、カリマは出産の為、実家へ帰って来ていた妹リノンの警護についていた。
お腹の子はセリオンとの間に出来た子だ。順調に成長しているらしい。母子共に健康だった。あと数ヶ月で臨月を迎える。
他にも侍女を従え、遊び慣れた近くの森を散策していた時、狼の群れに出くわしたのだ。
普段はひと気のある場所には出てこないのだが、その日は獲物を追って出てきてしまったらしい。
獲物より襲いやすいリノンら一行を見つけた群れは、そのまま襲って来た。
警護についていたカリマは難なくそれらを斬り捨てたが、一匹が横合いから突然飛び出し。剣で避けられず、右腕でそれを受けた。
噛み付かれたまま、地面に打ちつけ昏倒させると、一撃で倒す。
腕には鋭い歯が食い込み、深い傷となった。血が流れ落ちる。
「兄さん!」
身重に関わらずリノンが駆け寄った。
「──大丈夫だ。侍女とお前は邸に戻っていろ」
「でも、血が──」
リノンが止血にと、身体にかけていたショールを傷口に当てようとした所で。
「…あ…傷が──」
リノンは驚きの表情を浮かべる。カリマも傷に目を向けたが。
なんと、傷口は白く跡を残すばかりで、半ば消えかけていたのだ。
「…これは」
流石のカリマも驚かざるを得ない。
「どうして?」
「わからない…。だが──」
まるで、魔獣であった頃と同じに思えた。
カリマはその後、歴史に造詣のある長老のもとを訪ねた。
もとは前王ガラノスの父の代に、重臣として重用された男だった。
彼なら何か知っているのでは、そう思ったのだ。自身の身に起こった事象について何か似たような前例がないものかと。
男の名はアリヴと言った。
顔には深くシワが刻まれ、頭髪も髭も白く変化している。
アリヴは今は引退し、王都の近隣の村に住んでいた。そこは人里離れた場所にあり、本や書物に埋もれる日々を送っている。
「魔物に憑かれた人、とな?」
アリヴは少なくなった頭髪に手を当てながら、考え込んだ。それから、チラとカリマを見やって。
「お前さんは、それを見たことでもあるのか?」
今さら隠しても仕方ない。それまでの経緯を掻い摘んで話した。
魔物につかれたシアンのこと。それを救おうとしたアスールのこと。そして、自身に起こったこと。
「…信じてもらえるとは思っていません。ただ、これは冗談ではなく、実際に起こった事なのです」
「確かに、そのへんの人間には信じがたい事だろうな…。で、その身体の異変もそのせいだと疑っているわけか」
「異常な事です。魔獣だった頃なら考えられましたが……」
「王家に関わる魔物の話はある…」
そう言うと、書斎の机の引き出しを探り出し、中から古い本を取り出す。背は糸で綴られていた。
「これは、王家の歴史を綴った本の写しだ。百冊以上はある、そのうちの一冊だ。ここに記されておる。──以前にも、似たような事を聞かれてな。調べたばかりだった。訪ねてきたのはセリオン様だ」
「セリオンが?」
「なんでも魔物について知りたいとな。今、お前さんが語ったように、人に取り入るようなものだ。王家に関わることでそんな事象はないのかとな。──それで、この話しを思い出した。セリオン様はそれを聞いて、どこか納得したようだったが…」
そう言って、本を開くと内容を語った。
「遥か昔、千年以上前のこと。王国を魔物が襲った。魔の森、北の古き森からそれは現れた──」
その魔物は魔を滅ぼそうとする王国に反撃するため、魔獣の大群を率いて王国を襲った。
戦は半年近くにも及んだ。しかし、最後は当時王宮に仕えていた魔法使いに退治され、封印された。
「その封印された先は小さな玉だった」
「玉?」
「それは永らく王家の宝物庫に封印されておったそうだが、年月を経てそれもただのおとぎ話となり、その存在も忘れられて行った…。本来それで良かったのだよ。忘れ去られ玉に封印された魔物は力を失い、消滅する運命だった。──だがそれが運悪く人の目に触れた…」
「シアン様が?」
「──そうだろう。シアン様は身体が弱く、外には出なかった分、王宮の中で過ごされた。宝物庫には多くの書物もあった。シアン様は訪れるうち、それに触れてしまったのだろう」
「それで、乗っ取られたと?」
「もう弱った魔物だったはず。力は弱かった。あと少しで消えるはずだった。──が、シアン様に取り憑き生きながらえ、最後はお前さんに──と言うことだろう。──だが、お前さんには魔の気配がない…」
「目覚める前、アスールが退治したと…。ガラノス様から下賜された剣でした。でも、あれは──夢だ…」
しかし、アリヴは首を振ると、
「夢ではないだろう。それは実際起きたこと。アスールの手によって具現化された古代の剣を持って、お前さんの中に潜む魔物を打ち砕いた。力の弱った魔物は消滅し、お前さんにはその産物の特化した身体と能力が残った──そう言うことでは? でなければ、傷が勝手に回復するなどありえない」
「それは…」
アリヴは興味深げにカリマを見つめると、
「アスールは身を挺して君を生かした。そして、君の中にいる──そう告げたんじゃな?」
「確かに、アスールの気配を感じます。彼はいなくなったのに、近くに感じて…。その、彼は本当に俺の中に?」
「封印される前の魔物は強力な力を持っていた。切っても切っても再生する…。そして、眷属を生み出す力があったとある。──一度、試して見ては?」
「…試す?」
「魔物は去ったが、力は残った。お前さんにも、その力があるかも知れん」
アリヴはカリマをみつめると、いたずらっぽく笑み。
「彼を取り戻したいのだろう? 嘘か誠か…。方法を伝授するから、試してみるといい」
そう口にした。
✢✢✢
カリマはアリヴの言われるまま、誰にも邪魔されない静かな場所を探した。
できればアスールとの思い出が深い場所がいいと言われ。
幼い頃から、アスールと剣の鍛錬をした場所だ。
小川沿いの開けた場所。広葉樹が広がり明るい日射しが差し込む。アスールが好きな場所の一つだった。どこもかしこもアスールとの思い出が残る。
ここなら──。
丈の低い草が広がる場所へ腰をおろす。
半信半疑だった。
幾ら自分が魔物によって作り変えられたと言っても、人ひとりを生み出す力などあるものなのか。
途方もない話しだ。だが、アスールを取り戻せる機会があるなら、やってみない手はなかった。
アリヴに教えられた通り、目を閉じ、自分の内に集中した。そして、アスールを思う。
初めて知ったのは、父から聞いた話だった。それから、アスールをずっと見守ってきた。
縁あって、友人として側にいることができるようになって。いつもその姿を見つめていた。
彼がひとりでも生きて行けるようにと力もつけさせた。アスールも、それに答えるだけの力を持っていて。
アスールとの日々は、ささやかではあったが、カリマの心をいつも明るく照らした。
蜘蛛にアスールが襲われた時、思わず我を忘れた。それで、自分の思いに確信をもったのだ。アスールを好いていると。
父を失った時、落ち込むカリマの傍に何も言わず、傍にいてくれた。
他人に弱みを見せることのないカリマを気遣ってのことだろう。その気遣いが嬉しかった。年齢は三つも離れているのに、時折、自分より大人びて感じることがあった。
強く優しいアスール。身寄りもないその身は孤独であるはずなのに、そんな素振りは微塵も見せなかった。
カリマやセリオン、そのほか、周囲を取り巻く者たちの存在に、感謝をしていたからだろう。
自分に向けられる僅かな思いを感じ取ることができたからだ。孤独ではないと、分かっていたのだ。
そうして立派な青年となり。
セリオンに思いを向けられ、アスールはそれを受け入れるだろうと思った。カリマは、アスールが幸せならそれで良かった。
だが、思わぬ所から横やりが入る。
件の魔物が王家の人々を襲い、セリオンとアスールの未来を閉ざしたのだ。
永遠に交わることはない二人。魔物を呪った。
どこまでもアスールを追い詰め、最後には──。
アスール。お前は、俺の中にいるのか?
夢だと思ったあの世界で、アスールはそう言った。ずっとここにいると──。
それなら、取り戻すこともできるのか? 俺は──お前に触れたい。アスール。この手に抱きしめたいんだ…。
あれが最後にはしたくない。まともな人の姿で、アスールを抱きしめたかった。
この腕で──。
「アスール…」
知らずに声が漏れていた。
自分に向けて笑いかけるアスールを思う。
彼を取り戻す──。
と、身体の内が急激に熱くなった。
体調を崩した時のそれではない。燃えているのではないかと思うほど熱くなる。内側から溶け出すのではないかと思った。
「っ──?!」
その熱が頂点を極めた所で、閉じた筈の目に光が見えた。
いや、知らずのうちに開けていたのだろうか。とにかく光の塊が目の前にあった。
アスール…?
思わず手を伸ばしそれに恐る恐る触れた。触れたと思った瞬間。それがぶるりと震え、光が弾ける。
あっと思った時には、その光は跡形もなく消えていた。
代わりにそこにいたのは──。
✢✢✢
「──カリマ?」
目の前にカリマの驚く顔があった。
今までに見たことのない表情だ。普段めったに表情を崩さない。崩しても、眉を少し上げたり、目を僅かに瞠ったり。その程度だ。
なのに、ここまで驚いているなんて。
「カリマ…。顔、へんだ…」
出会ったあの時の様に、くっくっと笑うと、カリマの表情が一気に崩れた。
それが泣き顔だと知る。熱い塊がポタリと頬に落ちてきた。
アスールが手を伸ばし、その頬に触れると、カリマはアスールに縋って、ただ黙って泣いた。
それは、アスールが見た初めての涙だった。
✢✢✢
「きまり悪い?」
「…いや」
カリマのすっかり赤くなった目元を見つめる。
アスールは水辺に座り、足を浸していた。
子供のころ、激しく鍛錬した後、そこへ足を漬けるのが日課だった。
カリマはそんなアスールの腰に腕を回したままそこへ座り、流れる小川に目を向けている。
アスールの身体には、カリマの身に着けていたローブが巻かれていた。
なんせ素っ裸だったのだ。目が覚めれば、カリマの膝の上にいて。
ただ、ずっと光に包まれて眠りについていたのに。誰かに強く呼ばれ、目を覚ました。
ああ、行かないと──。
そう思った瞬間、目が覚め、ここにいた。
俺は──死んだはず。
魂はカリマの中にいた。それだけは覚えている。カリマの中は心地よくて。このまま眠っていても良かったのだが。
「──俺、呼んでくれたろ?」
「そうだ…」
「こんなことって、あるんだな? ──もう、会えないと思ってた…」
こうして身体を持って会うことなどないと思っていた。
なのに。
「俺の身体には異変が起きていた。魔物が去った後も、その特異な体質は残ったままだったんだ…。器だけが残ったようなものだ」
「器だけ…」
「──それで、長老を頼った。元は先々代の王に仕えた人物だ。彼の話しは興味深かったが、にわかには信じ難かった…。それでも、彼に勧められ、話しを聞くうちかけてみようと思った…。アスールがもし、ここへ戻ってくる手があるなら、試してみようと…」
「それで、俺はここにいる──すごいな? 魔法使いみたいだ。カリマ。──ありがとう」
「──どうして礼を言う? …お前を殺めたのは俺だ。お前を生かすつもりが結局、俺は……」
「済んだことだって。俺が選択したんだ。それに、俺は今、カリマのおかげでここにいる、それは事実だろ? こんな風にカリマと話せるとは思っていなかった。もう一度言う。…ありがとう。カリマ」
アスールはそのままカリマの肩に頭を寄せた。寄りかかると、よりカリマの体温がより感じられる。
「アスール…?」
「──なんだか…前よりもっと、カリマが近く感じられる…。中にいた所為かな? 繋がってるって思える…」
目を閉じてその存在を感じた。
温かく大きなものが自分を包み込んでいる様だった。
カリマが髪に頬を寄せて来た。
「──アスール、好きだ」
「…うん」
「本当は──昔から好いていた。父がアルースを戦場から連れ出し名をつけた。それを知ってから、弟ができた様に思っていた」
「…カリマの、お父さんだったのか…」
「そうだ」
「知らなかった…。院長がつけたんだって思ってた…」
「本当は俺につけたかった名前らしい。そう言っていた…」
「ふふ。ほんっと兄弟みたいだな? それを聞くと」
「──けれど、思いを募らせるうち、アスールを好いている自分に気が付いたんだ。──セリオンがお前を思うより、ずっと前から…」
カリマは背後から抱きしめてくる。
「うん…」
「──もう、アスールを手放せない。離れると思うと、苦しい…。──だが、アスールには選ぶ権利がある。せっかく得た命だ。お前が別の道を行きたいと言うなら、俺は──」
アスールは顔を上げて振り返ると、指先でカリマの額をついた。詳しくは眉間のしわだ。
「そんな顔、すんなって。俺、言わなかったか? お前が好きだって」
「──だが…」
「本当はずっと好いていた…。セリオンに言い寄られて、揺れたのは事実だ。受け入れようともした。──けど、心の奥にずっとカリマがいた。俺は、自分の本当の気持ちに蓋をしてたんだ。カリマにふさわしい人間じゃないって。気づかない振りをしてたんだ…」
「俺が好いたのは、アスールだけだ」
「ふふ。必死なの、似合わねぇって」
「アスール…」
「分かってる。──もう、よく分かった。何度でも言う。俺はカリマが好きだ。このまま、ずっと一緒にいよう」
「──いいのか?」
「いいって言ってるだろ? 信じろよ」
笑って、カリマの首筋に腕を伸ばし抱きついた。
筋肉のついた首筋は太く固い。その頬が目に入った。アスールを助けた時についた傷跡だ。そこへ口づけると。
「…カリマが連れ戻してくれなきゃ、ずっとお前の中にいた。それでも良かったけど、やっぱり、こうして抱き締めるのがいい。──好きだ。カリマ」
「──!」
そう言い終わらないうち、カリマはアスールをそのまま、柔らかい草地に横たえた。柔らかい草が頬をくすぐる。
「カリマ?」
「二度と、手放さない。好きだ、アスール…」
そう言うと、頬に両手が添えられ唇にキスが落ちてきた。
閉じかけた瞳の端、カリマの肩越しに、眩しい日が差して見える。
いつかと、同じだ──。
あの時。カリマ自身が、太陽の様に見えたのだ。触れて来る手のひらも、眼差しも、全てが。
熱い──。
そう思った。




