20.告白
気が付くと、温かい天幕の中だった。
灯りの中にその広い背が浮かび上がっている。こちらに背を向け何か作業をしている様だった。ホッとする背中だ。
「…カ、リマ」
漏らした声が、思った以上に枯れていて驚く。喉がひりついていた。身体を横にしようとして重いことに気が付く。熱もあるのかだるかった。
アスールの問いかけに振り向いたカリマは、作業の手を休めて、横になるアスールの額に大きな手のひらを置いた。硬い骨ばった手が心地いい。
「…まだ熱があるな。近隣の村の医師に診てもらったが、大きなケガはないとのことだ。ただ、身体の内部に魔獣の毒が入り込んだらしい。自然に中和されるまで待つしかないそうだ」
「…そっか」
「暫くは安静にと──。これを飲め。気休めだが──」
そう言って差し出してきたのは、左腕に傷を負った時、飲んだ薬湯だった。馴染んだ香りに苦笑する。
「また…飲まないといけないのか?」
「そうだ。これで身体に入り込んだ毒素が抜けるとは思わないが…。せめてもの気休めだ。何もしないよりはいい」
医者の見立てもある。アスールの身に何が起こったのか、カリマは分かっているのだろう。
あれは──事故だと、思っている。
身体を起こそうとすると、カリマがそれに手を貸した。一旦、器を脇へ置くと、背を支え背後に枕を挟む。それにもたれると改めてカリマを見た。
いつもと同じ無表情に見えるが、そこに労りの色が浮かんでいるのが分かる。
身につけている衣服も綺麗なものに取り替えてある。身体も清められ、着いた傷も手当てされていた。
「…ありがとう。──また、助けられた」
カリマは首を振ると。
「俺は──助けられなかった。お前をひどい目に…。襲ったのはシアン様か? 俺が駆けつけた時、そこにいた…」
アスールは改めて差し出された器を受け取ると、それを口に含む。相変わらずの苦さに眉根を寄せるが、カリマの思いに文句を言う気はなかった。
「シアン様は…魔物に操られている様だった。──いや、乗っ取られている、の方が正しいのか…。けれど、完全に乗っ取られているわけじゃない。──俺も、見た目ほど酷くはされなかった…」
その言葉にカリマはくっと手のひらを握り締め。
「…王や王子を殺したのも、シアン様か?」
アスールは深いため息をつく。
「そうだ…。そう言っていた。──けれど、操ったのは魔物だ。本人にその気はなかったはず…」
「お前はそれで許すのか? お前自身にも無体を…。ひどくはされなかったと言ったが、あれは──獣の所業だ…!」
語気を強めるカリマを見上げると。
「カリマ…。けど、シアン様は操られていたんだ。…自分の意思じゃない」
「──もし、セリオンが殺られていても、同じことが言えるのか?」
「そ、れは──」
アスールは押し黙る。
──言えない、だろう。
セリオンがもし襲われていたなら、命を落としていたなら。
きっと、どうして殺したのかとなじったに違いない。この手で斬り捨てようと迫ったかも知れない。
カリマはそんなアスールを黙って見つめていたが。
「…俺は──シアン様を許さない」
「王や王子達を手に掛けたからか?」
「それだけじゃない。お前と同じだ。大切に思うものを汚されて、許せるはずがない」
大切に──。
カリマに友人としてそう思われていることは、よく分かっている。
「何度も言うが、シアン様は──操られていたんだ。魔物を追い出せれば、自分を取り戻せる。斬ったら、そこでおしまいだ」
カリマは強い眼差しで見返すと、
「──斬りはしない。シアン様は仮にも王族。その処分を決めるのは、セリオンだ。俺が勝手に手を下せるものではない。セリオンが殺すなと言えば、生かして捕らえる。──だが、許すかどうかは別だ」
「カリマ…」
「奴は魔物だ。俺の中で一番、触れてはならないものに手を出した…。許す事は出来ない。──俺はシアン様の後を追う。お前は落ち着いたら一旦、城に戻って休め」
「戻らない!」
「アスール…」
「これくらい、いつもの事だ。今までだって、野獣や魔獣の毒に侵された事はある。数日も過ぎれば熱も下がって、毒も消えた。俺には耐性がある。俺も追跡に参加する!」
アスールは食い下がるが。
「──だめだ。お前の回復を待っていては、気配を逃す。それに、回復如何に関わらず、参加はさせない。動けるようになれば王都へ帰す」
「俺がいれば、またシアン様が現れるかも知れない。その時、元に戻るよう説得すれば──」
「戻れたとして、巣食った魔物が滅したかどうか、知る手立てはない。シアン様の中に残っていて、また復活したらどうする? それでセリオンが命を落としても良いと言うのか?」
「っ…、そんなこと…」
思うはずがない。
けれど、シアンは正気だった。入り込んだ魔物を追い出すことができればきっと──。
そう、思ってしまう。
セリオンとはまた別の意味で、シアンは大切な存在だった。カリマは息をつくと。
「…お前がシアン様を慕っていたのは承知している。だが、元に戻すなど悠長な事は言っていられない。今はこれ以上、被害が出ないよう、奴の行動範囲や居所を探る。ルベルにお前の代わりをしてもらう」
「……」
「とにかく、今の状態のお前を連れて行くことはできない。だいたい、立ち上がる事もできるかどうか…。それほどまでに弱っているんだ。それもこれも、すべてシアン様の所為だと言うことを忘れるな。お前はここで休め。体調が戻り次第、王都へ立ってもらう」
「いやだ! せめて、ここに残させてくれ! 何か役に立つこともあるはず──」
と、言い終わらないうちに、不意にこちらへ詰め寄ったカリマに抱きしめられていた。
「俺は…、アスールを失いたくない…」
「……」
「お前を死の淵に追いやろうとしたシアンを、許すことはできない。俺は──」
そこで言葉を切った。
その先を言葉にするのを躊躇うと、言葉の代わりにまるごとアスールを抱えるようにして抱きしめてくる。
「カリマ?」
「…失くしたくないんだ」
頬を髪に摺り寄せるようにして、言いかけた言葉を一度飲み込んでから、もう一度そう口にした。
カリマの胸に縋る様にしていると、その心音が響き早くなっているのが分かる。
それが、カリマの思いを告げている様で、アスールは落ち着かなくなった。アスールもまた鼓動が早くなる。
カリマに抱かれているだけなのに。
こんな風に抱きしめられるのは初めてだった。
いつも、飛びつくように抱きしめてくるのはセリオンで。カリマはそんな様子をあきれたように黙って背後で眺めているだけだった気がする。
カリマは何を言いたかったのか。聞きたいような聞きたくないような。知ったら後戻りができない、そんな気がした。
「──分かった…」
小さく頷くと、カリマはまるで何事も無かったかのようにさっと身体を起こし、アスールを見下ろすと。
「…見張りをつける。よく休んでくれ」
そう言いおいて、顔をそむけ今度こそ去っていく。アスールはその背を見つめたまま何も言えなかった。
ああ言われてしまえば、意思を貫くことなどできなかった。カリマの思いは──よく分かる。
かけられた毛布をひっぱり潜り込む。熱があるせいだけではない、動悸がしばらく治まりそうになかった。
✢✢✢
気持ちを吐露するつもりはなかった。
しかし、アスールは魔獣となったシアンに襲われ。
もし、アスールが命を落としていたら──。
それを思うと、いてもたってもいられなくなり、抱きしめていた。
生きていたからいいものの、あのまま命を落としていた可能性もある。もしかすれば、思いを告げる間もなく、カリマの前からいなくなっていたかもしれないのだ。
シアンの所業は許せるものではなかった。
が、やはり仮にも一国の王子だ。行った事を思えば生かしておくことはできないが、それでも問答無用に切り捨てる権限はカリマにはなかった。
出来るとすればセリオンのみだろう。セリオンにその処分を委ねるのが正しい道だと思った。
あれで、少しは伝わっただろうか。
カリマの思いを汲めば、きっと動くことはないだろう。
セリオンがアスールをどれ程思っていたか知っている。アスールも同じように、強く思っていた。だからこそ、カリマの思いも分かるはずだった。
驚いた顔のアスール。思いも寄らなかっただろう。だが、もう後戻りは出来ない。
行動に移した以上、なかった事には出来なかった。
このまま、手に入れてしまえれば──。
だが、襲われたばかりの手負いのアスールに無体はできなかった。冷静さを取り戻し、アスールを手放した。
帰ってきたら──。
全て話そうと決めた。
アスールがまだ幼い頃から、父の話しを聞いてから、ひそかに見つめ続けて来たのだと。
✢✢✢
「隊長。あんた、アスールとどういう仲なんだ?」
隊長用に張られた天幕に戻ると、隊の編成を終えたと報告に来たルベルが、話の最後に問う。カリマはルベルを一瞥すると。
「…互いに幼い頃から既知の関係だ」
「そんなの、見てりゃわかるって。俺の聞きてぇのはそれじゃねぇ。──言っとくが、俺はアスールをものにしたいと思っている」
挑むような眼差し。カリマはそれを冷静に見返すと、
「だからなんだ。邪魔をするなとでも? 重要な作戦の前に言うべき事か?」
「ああ。俺たちは明日をも知れねぇ世界で戦ってる。いつ死んだっておかしくねぇ。だから欲しいものは多少、強引でも手に入れておく。あんたがただの幼なじみって言うんなら、いい。俺は好きにする──」
腰に帯びた剣を抜くと、言って去りかけたルベルの首筋にその刃をあてがった。
音もせずあてられたそれに、ルベルが息をのんだよう。
「──アスールは誰にも渡さない」
「…っ」
「アスールがお前を望むなら認める。だが、違うのだろう?」
「あ、ああ…」
「──行け。お前には重要な役目を与えた。余計な事を考える暇はないはずだ。警戒を怠るな」
言って剣を収める。ルベルは無言になって足早にその場を去った。
それを見送り、カリマは息を吐いた。やはり、アスールは手元に置いておくべきなのだと悟った。
あいつ。音もたてず…。
天幕を出たルベルは、我知らず冷たい剣先が当てられた首筋を撫でていた。
殺気も感じさせなかった。
あのままルベルを切り捨てる事もできただろう。
恐ろしい腕だ…。
ルベルの腕も普通の者から見れば、かなりたつ方だった。だからこそ、分かる。
随一と言われる由縁を身をもって知った。




