21.追跡
その後、カリマらの部隊は大掛かりな捜索を行った。シアンの行方を探るためだ。
もちろん、部下らに魔獣が第三王子シアンだとは告げていない。ただ、人型をとる魔物だと告げただけ。
余計な情報を入れて混乱させたくなかった。王族と知れれば、動きに躊躇いが出る可能性もある。
見つけたとしても、無暗に追ったり手を出すようなことはしないように、発見した場合は、すぐにカリマに知らせるようにと言い含めた。
今までの状況から、並大抵の腕では対処できないことは明白だった。
隊のなかでは腕の立つルベルでもダメだ。アスールならかろうじて対峙出来るかどうか。カリマ自身で五分五分と言った所だろう。
報告で聞いた城の惨状で、嫌というほどその力を見せつけられていた。
カリマとセリオンが城に到着した時は、あらかた城内は片付けられ、清められていたが、遺骸の状態をみてもそれが良く分かった。
かみ砕かれ、切り裂かれた身体。人の形をなしていない者がほとんどだった。
たった一体の魔獣でこうもなるものなのか。
剣も弓もろくに通さず、歯が立たない。王や王子らの身体はそこまで無残ではなかったのは、やったのがシアンだったせいかもしれない。
すべて魔物に乗っ取られていたわけではなかったのだろう。だが、アスールの言うように、正気に戻せるとは到底思えなかった。
仮に戻れたとしても、どれほどの重い罪を背負う事になるか。
自身の家族を襲い、家臣を殆ど根絶やしにした。それぞれにあったはずの人生を奪ったのだ。
それを人に戻ったシアンが耐えられるのか。いっそ、魔獣になったまま斬られた方がましだろう。
アスールが甘くなるのも仕方ないが。
アスールはシアンに母性を感じていたのだろう。いつでも優しくアスールを迎え、心から来訪を喜んでくれる。
病弱なシアンは守らなければと、庇護欲も掻き立てられたはず。守りたいと思う存在だったのだろう。
しかし、今回ばかりは看過することはできない。魔物が完全に抜けたなど誰にもわからない。また乗っ取られ、セリオンを襲うかもしれないのだ。それを言えばアスールも言葉を閉ざした。
酷な事ではあるが。
もし、向かって来れば斬り捨てるつもりでいた。後で罪を問われても、受けるつもりだ。これ以上、被害を出すわけには行かなかった。
✢✢✢
闇は深い。
自身に追手がかかったことは分かっていた。追ってくるのはカリマだ。やっかいな相手。この魔獣の身体をもってしても、やれるかどうか。
『食ってしまえばいい』
潜む魔物が毒を吐く。
簡単に言う──。
食う前に自分があの白刃のもとに下る姿が見えた。
カリマは母方に流浪の民の血が流れていると言う。昔、父に聞かされ、興味を持ったシアンは王家の書庫で調べたのだ。
流民は長生な者が多く、強靭な身体を持ち剣の腕も達者なものが多かった。各地を彷徨う流民は古代の種の生き残りなのだとも言われていたが、噂の域をでず定かではない。
ただ、カリマは確かに並みの人を超える力はあった。
滅多にそれを晒すことはないが、いざ戦となるとそれは明白で。たった一騎で目につくものすべてを倒したこともある。
それを見た誰もが一目置いた。奴に狙われれば、命を落としたも同然。いるだけで敵は恐怖した。無益に他を屠ることはなかったが、害をなすものには容赦ない。
やっかいだ。
シアンはアスールに会いたかった。
彼といる時だけ、自身に戻れる事に気づいたのだ。
他のものではこの暴走を止められない。アスールだけが自分を止められる。
もしかして──。
この中に巣くう魔物を滅することができるかもしれない。
『無理さ。俺はやられはしない』
魔物は嗤う。だが、やれなくとも追い出すことはできるかもしれない。
こいつは、何かに取りつかなければ、力を発揮できないのだ。それは分かっていた。甘い言葉で人を誘い、陥れ操る。それは、単体では成り立つことが出来ないからだ。
魔物はさらに嗤う。
『俺を消せはしないさ。だって、お前らには闇がある。僅かな闇でもあれば俺は生きながらえる。お前が倒れても、すぐに次に乗り移るだけだ』
だが、シアンは気付いていた。
このものは、許しがなければ移ることができないのだと。それに耳を貸すものがいなければ、いつか朽ちて終わる。
シアンは幼い頃からの環境によって、徐々に闇に侵され始めていた。
それで、路傍の石だったはずの、あといくばくかで消滅するはずだった魔物の声に耳を傾けてしまったのだ。きっと、健常なものであれば聞こえもしなかっただろうその声に。
シアンがこの魔物を追い出すことができれば、傍に魔に属し、受け入れるものがない限り、消滅するしかない。
ただ、それはもう、シアンひとりの力ではどうにもできなかった。
だから、アスールが必要だ。彼が傍にいれば、きっと僕はできる。もう一度、彼に会いたい。
シアンは策を講じた。
とは言っても単純なものだ。自身をわざとカリマ達に見せて森の奥へと誘う。姿を見失っても追ってくるだろう。
その隙をついて、本陣で待機させているだろう、アスールに会いに行くのだ。
襲われた後だ。きっとアスールは連れてはいかないはず。
カリマならきっとそうするのは分かっていた。大事をとって陣においてくるだろう。
そして、シアンの企みは成功した。
「いたぞ! あそこだ!」
追っていた兵士の前に姿を現すと、発見の合図の笛が鳴らされる。
シアンを追ってカリマの率いる部隊は森の奥深くへと入り込む。
手強い魔物も多く現れた。そこから本陣にはすぐには戻れない。アスールと話す時間は十分あるはずだった。
✢✢✢
「っ…」
熱が思うように引かない。身体の傷は癒えてきたが、だるさは残っていた。
いつもなら、数日で魔獣の毒は抜けている。シアンに襲われてから数日以上は経っていた。症状が軽くなってもいい頃だったが。
「おい、入るぞ」
こちらが答えないうちに入ってきたのはルベルだ。ルベルは本陣近辺の警護に当たっている。時間ができるとこうして見舞いに来るのだ。
「…ルベル、俺の事はいいから、警備に戻れ」
「俺がここに残されたのは、あんたの警護の為だと俺は思ってる」
「…警護?」
「隊長は残されたけが人や病人、食料の警護のためだと言っていたがな。ここはそれほど、やっかいな魔獣もでねぇしな。なのに、ここへある程度の兵を割いて残した。──あんたを守りたいに決まってる」
「…それは」
「違うとは言わせねぇ。あんた、魔獣に襲われたんだろう? あの医師は既知だ。全部じゃねぇが話しは聞いた。…口外するつもりはねぇ。また襲って来る可能性もある。隊長はこれ以上傷ついて欲しくねぇんだろ」
「……」
「ま、隊長があんたをどれほど大事に思っているか良くわかったぜ。──釘もさされたしな」
「釘? それは──」
「俺が無理やり手を出せば生かしておかないだろう。それくらいにはな? 俺は黙って与えられた仕事をしろって事だ」
言って、近くのテーブルに置かれた茶器から、薬湯をカップに注ぐとアスールに差し出した。
「これを切らすなとお達しがあってな。まだ顔色もひでぇ。全然回復してねぇな。とにかく、飲んで寝てろ。じきき隊長が敵を狩って帰って来るさ。単なる調査とは言ったが、あの様子じゃ、それだけで済ませるつもりはねぇだろうな」
敵。
カリマも皆には本当の事を伝えてはいない。ただ、王を襲ったと思われる魔獣を追跡するとだけ告げた。
人型の魔獣。シアンのことを知るものはここにはいない。あれが魔獣だと言えば、誰も躊躇しないだろう。
けれど、それでは──。
間違えばシアンの命は奪われる。
確かに生きて捕らえても、魔物を追い出さない限り、シアンは非常に危険な存在だ。
たった一人であれほどの人の命を奪ったのだ。手練れと言われた第一皇子らも倒した。
俺でもやれるかどうか…。
それでも、カリマならとは思える。討伐するならそれでいい。けれど、アスールはどうしても元のシアンを取り戻したかった。
自分に残された大切なものは少ない。セリオンにカリマ。それにシアン。皆、失くしたくはないのだ。
それでセリオンが命を落としてもいいと言うのか?
カリマが問う。
いいはずがない。けれど、だからと言ってみすみすシアンを失いたくもない。まだ、戻れるかもしれないのだ。
「おいおい。そう、思いつめた顔するなって。──慰めたくなるだろ?」
「ルベル?」
ルベルの手が頭をさらりと撫でていった。
「病身のお前を襲ったら、それこそ、カリマに八つ裂きされる。お前も飛んだ奴に見込まれたな?」
「カリマはそんなんじゃ──」
「いいって。ただ、俺は奴が怖くて手を引くんじゃねぇ。…あいつの思いの強さを知って、勝てる気がしなかっただけだ」
「……」
「ま、それでも、お前が俺を選ぶって言うなら、話しは別だが──」
「それはない…」
アスールは苦笑する。
「だろ? だから、引くしかない。ま、奴がいなくなったらいつでも声をかけてくれ」
「ルベル…」
軽口をいさめるように声をあげれば、表が慌ただしくなった。
「ルベル!」
天幕の入り口で部下の兵が呼んだ。
「どうした?」
ルベルが天幕を出た所で縋る様に部下が駆け寄った。
「例の魔獣が現れたようです! 北側の──」
と、そこで声があがった。それは悲鳴に近い。ルベルはアスールを振り返ると、
「アスール、そこにいろよ?」
そう言いおいて、剣の柄に手をかけ天幕をはぐってその向こうへ消えた。
この状況に、黙って言うことは聞いていられない。ベッドから起き上がると、地面がぐらと揺れたよう。熱の所為で身体がだるい。それでも踏ん張る様にして立つと、立てかけられていた剣を手に取った。
カリマはアスールの剣をそこへ置いて行った。もしもの時に身を守れないようでは困るからと、取り上げずに行ったのだ。
流石に武具は置かれていない。だいたい、獣になったシアンに防具はなんの意味もなさないと分かっていた。城で襲われた兵士は皆、重装備だったのだから。
椅子に掛けられていたローブを纏い外へと出る。
出た途端、きりりと冷えた空気に鉄臭いにおいが混じる。血の匂いだ。
アスールは剣を抜き、声のした方へと走った。
✢✢✢
向かった先にルベルの背が見えた。数人の兵も剣を構え向こうを睨みつけているよう。
「ルベル、魔獣は?」
「アスール! 来るな!」
「ふざけるな。知らぬ顔で寝られるわけがないだろう。だいたい、寝ているうちに襲われるのもごめんだ!」
そう言ってルベルの傍らに立つ。
見れば少し離れた先、魔獣除けの柵の向こうに倒れた人の姿を見た。かなりの数だ。中にはまだ動くものもある。
すぐに助けねば──。
「奴はどこに?」
「ひとしきり暴れたあと、不意に消えやがった。次にどこから襲ってくるか──」
と、強い血の匂いがしたと思った瞬間、横から何者かが飛んできた。ガツンと音がして、ルベルが構えた剣ごと跳ね飛ばされる。
「ルベル!」
飛ばされたルベルは地べたに横たわったまま動かない。肩口から血があふれ出した。
「っ!」
ルベルの元へ駆け寄り、傷を確認する。
どうやら首を狙ったらしいが、寸前で剣で庇うことができたらしい。代わりに肩の肉を削がれていた。
「っ…、ってぇなぁ」
「ルベル、動くな」
そう言うと、着ていたローブを切り裂き、その肩に押しあてる。
「誰か! ルベルを奥へ! 魔獣の相手は俺がする!」
「は、はい!」
おびえた表情の兵士が駆け寄り、三人がかりでルベルを運び出す。アスールは次を警戒し周囲を見渡した。
「みな! 固まれ。散るな! 四方から目を離すな!」
自分がしているように皆に指示すると、アスールは皆の作る輪から先へ進んだ。
もし、相手がシアンなら。
「──!」
黒い影が視界を掠める。
咄嗟に剣を振り、それを避けた。その切っ先が確かに硬い何かに触れた。ガツンと音がする。ただの獣のそれではない。
獣はそこへ降り立った。
「シアン、様…」
狙うのはきっと俺だ。
紅い目をした獣が、唸り声をあげこちらを睨みつけている。シアンが魔獣となった姿を見たのは、これが初めてだ。
大型の狼の様な姿。ただ、ギラリと並んだ鋭い牙や、身体を覆う鈍色に光る体毛が獣とは違う。身体は襲ったものの血で濡れていた。口も同じ。
アスールは剣を構え直す。体調が整わないなど、言っていられなかった。
隙を見せればやられる。
魔獣の姿でいる時は、シアンの存在を期待できなかった。
「皆! ここは俺に任せて、怪我人を連れてカリマの隊と合流しろ! 奴は俺が引き留めておく」
「し、しかし──!」
「お前たちが立ち向かえる相手じゃない! 俺も頃合いをみて後を追う、いいから行け!」
これ以上、被害を出すわけにはいかなかった。獣となったシアンは、確かにアスールしか見ていないようだ。こちらが動けばそれにつられるように後を追ってくる。
都合がいい。
シアンにやられた兵士から離れるように距離をとる。
それで少しは助け出すことができるだろう。シアンは唸った。直ぐに跳びかかろうとはしない。何かを待つようにも思えた。
アスールはここから抜け出せるとは思っていなかった。シアンが人型ならそれもありえたが、魔獣になった今、声が届くかわからない。
人に戻すにも、今は人をこれ以上襲わせるわけには行かなかった。
皆に声が届かない距離まで離れると、声を張り上げた。
「シアン様! どうか、気を静めて、俺の声を聞いて下さい! あなたなら戻れるはずだ!」
シアンは唸る。じりと間合いを詰めてきた。アスールはシアンから目を離さない。
「あなたはこんな事ができる人じゃない。魔物の声に耳を貸さず、自分を信じるんです! シアン様!」
一声、吠えたシアンが飛びかかってきた。
早い。
剣を掲げたが間に合わない。剣を弾き飛ばされ、右腕に噛みつかれた。
ぎっちりと並んだ歯が皮膚に食い込む。アスールは歯を食いしばった。このままなら腕が喰いちぎれるだろう。
目前にある紅い瞳を見た。
「シアン、さま…。どうか、気を、確かに」
あとが続かない。血が口から零れる。
ふと、胸元にしまってあった、件のネックレスが零れ落ちた。
視界にあの時、嬉しそうに笑んだシアンの顔を見た気がする。
どうか、正気に──。
アスールはじっとシアンの獣となった瞳を見つめた。




