16.手当
アスールはひとり落ち付かない湯浴みを終える。
用意してあった新しい衣服は心地いい。それまで汗や血、泥にまみれていたのだ。ようやく息がつけた気がする。すべてカリマのおかげだった。
天幕を出ると、腕組みしたカリマが脇に立っている。まるで警護しているようでもあり。
「待たせた…」
先ほどのやり取りに気恥ずかしさが残るが。
「──いや。すぐに手当をしよう。必要なものは持って来た」
「ん…。ありがとう。色々済まない、カリマ」
表情を盗み見るが平素と変わらない。いつものカリマだ。やはり考えすぎなのだろう。
早速、アスールの天幕に戻り手当てが始まった。
手際がいい。まるで医者よろしく、アスールの左腕の傷の具合を確認し、持参してきた薬を塗ると、布をあて包帯を巻く。
上に立つ者として剣術体術以外にも、救護に関して一通りのことは出来るよう訓練しているのだ。それ以前にカリマは元々器用で、こう言った事も難なくこなして行く。
「──これでいいだろう」
巻かれた包帯からは薬草の香りがした。先ほどより痛みが和らいだ気がするのは性急過ぎるか。
「これも飲んでおくといい。炎症が和らぐはずだ」
そう言って、手渡された木製のカップには薄い茶色の液体が温かな湯気を上げている。薬草を煎じたものだ。
ツンとした匂いがするが、そこまでキツくない。けれど、たいがいこういった薬は苦いと相場が決まっている。
「…飲まなきゃ、だめか?」
鼻先に近づけたところで、上目使いになってそう尋ねれば。
「飲むまでは、寝かせない」
カリマは腕組みして答える。きっちり口を引き結んだカリマは、許してくれそうにはなかった。
仕方なくアスールはカップの縁に口を近づけ、僅かに口に含む。と、なんとも言えない渋い苦さが口内に広がった。
「っ、に、苦い…」
「それでも薄く淹れた方だ。本来ならもっとドロドロしていて飲み辛い。いいから黙って飲み干せ」
「…分かったって」
ややためらったものの、何も考えずひと息に飲み干した。強い苦味が身体中に染み渡るよう。だが、カリマが心配してせっかく作ってくれた薬を無駄には出来なかった。
そうして、空になったカップをカリマへ突き出して見せる。
「これでいいか?」
するとカリマは徐ろにそのカップを受け取って、近くに置いていたポットから中身を注ぐ。再び薄茶色の液体に満たされた。
「…カリマ?」
「これをあと二杯だ」
「──嘘だろ?」
「俺が冗談を言わないのは知っているだろう。薄めた分、量を飲まないと効かない。──ほら」
アスールはため息を吐き出した後、大人しくカリマの指示に従った。
その後、今まで使っていた敷布も毛布も取り替えられ、代わりに撥水性のある生地の上に毛皮を敷かれ、その上にシーツをかけると、横になる様に言われた。
「俺だけこんなので寝れない…」
横になった途端、毛が織り込まれた暖かい毛布が掛けられる。至れり尽くせりだが、皆、湿った敷布と硬い毛布一枚でしのいでいるのだ。
しかし、カリマは事も無げに、
「人数分、取り寄せた。足りない分は後日送らせる。この現場は、それくらいして当然だろう」
「そうか、皆喜ぶ。…ありがとう、カリマ」
「…別に。当たり前の事だ。今までの隊長の怠慢だろう。──今晩はここで俺も寝る。何かあれば遠慮なく起こせ」
「けど、カリマだって長旅で疲れているだろう? 一人でゆっくり休んだ方が──」
「お前が無茶をしないかと心配で眠れない。──いいからもう休め」
そう言って、大きな手のひらで頭を撫でてきた。子どもに戻った気分だった。
アスールは小さく笑うと。
「…ありがとう。カリマ」
そう言って、傍らで見下ろしてくるカリマを見つめたあと、目を閉じた。
幸せだった幼い頃の様だと思った。
✢✢✢
カリマは死亡した隊長の代わりとして、ネラへ赴任してきた。きちんと騎士団長のサインの入った辞令を手にしている。アスールはそのまま副隊長へと任命された。
いつかは漏れるだろうとは思っていたが、予想していたより、カリマへ知られるのが早かった。
どこからか、アスールが騎士団長とやりとしていたと聞きつけたカリマに詰め寄られたのだろう。カリマに迫られれば、話さないわけにもいかない。アスールとの約束を反故にしても仕方のないことだった。
あのまま、別れるつもりだったのに。
傍らに立つカリマを見つめる。今は皆に剣術の指南中だった。
左腕が完治するまでは、巡回を許さないときつく言われ、仕方なくこうしてカリマと共に指導にあたっている。
友人でもあり王でもあるセリオンと、大切な妹リノンの婚儀も放って駆けつけて──。
エクレール家の当主として、それはどうかと思うのだが、一度決めれば頑として意思を突き通すカリマには何を言っても無駄だとわかっていた。
しかし、婚儀は迫っている。それでもと、傍らに立つカリマに切り出した。
「カリマ、今からでも遅くない。婚儀に出るべきだ。まだ間に合う。リノンにとって一生に一度の事だ。しかも、王の后になるんだぞ?」
言葉にしてみると、改めて事の重大さが分かる。ただの婚儀ではないのだ。大国の主と妹との婚儀で。これをすっぽかす意味が分からない。
鍛錬中の兵士の間から、気合の入った声が上がった。カリマがアスールの剣術の師匠だと知って、皆、緊張した面持ちで取り組んでいる。いつもより雑談も少ない。カリマはそんな皆の様子に目をむけたまま。
「出ないことは伝えてある。セリオンの許可も得た」
「そうは言っても、エクレール家の当主が出ないなんて印象を悪くするぞ。バカな噂もたつかもしれない」
「妹の婚儀を認めていないと?」
「…それもある。口さがない連中は幾らでもいる。お前の事を引きずり下ろそうとしている連中には、恰好の機会だろう? 隙をみせるな」
「セリオンがそんな噂に惑わされるような男だと思っているのか?」
「それは…ないけど」
「余計な心配はするな。俺は皆の思いを託されてここにいる。本当の事は当事者が分かっていればそれでいい。なにより、俺がそうしたかったんだ」
カリマはやはり頑なに固辞する。不服に思うが、これ以上言っても考えを変えるつもりがないと知っていた。
「…わかった」
そこでようやくカリマはアスールに目を向けると。
「わかればいい」
幾分眼差しが和らいで見えた。
そんな二人を少し離れた所から、つまらなそうにルベルは眺めていた。はたから見ても、親密なのが伺える。
「ふん…」
気に入らない。気に入らないが、どうすることもできない。
ただ分かるのは、二人の間に何かある、と言う事ではないらしい。ただの友人。その間柄に見える。
以前、アスールを無理やり抱こうとしたときの怯え方を見ればそれがわかった。
そう言ったことに慣れていない、または初めてに近いのだ。誰かとそう言う関係になったことはないはず。
それなら、気にすることもない。
相手はまだ決まっていないのだ。白銀の髪と銀灰の瞳を持つ男を見返し。
この男でもない。
今は黙って大人しくしていようと決めた。
✢✢✢
「副隊長!」
その日、アスールが巡回に出た先の野営地で休息をとっていると、先に哨戒に出ていた兵が、仲間を半ば肩に担ぐ様にして戻ってきた。
久しぶりの巡回だった。左腕の傷もだいぶ良くなり、力を入れても痛まなくなったお陰で、カリマの許可がようやく下りたのだ。
戻って来たのはこの二人だけだ。行ったの五名だったはず。
「どうした? 何があった?」
真っ先にアスールは駆け寄ると、肩に背負われた兵を引き受ける。背負われた兵の背中は大きく裂かれていた。分厚い鉄製の鎧が見事に断ち切られている。一見して人にやられたものでは無いと分かった。
無事だった兵士は、顔を青くし身体を震わせながら。
「お、女が…いたんです」
「女?」
アスールの問いに怯え切った様子でこくりと頷くと。
「も…森の奥です。金髪で目の青い、白い薄汚れた服を着た女が一人…。まさかとは思ったのですが、こんな森で女一人は危ないと声をかければ、突然──、魔獣に変化して…」
「襲われたのか?」
「…は、はい…。恐ろしい…。あんなもの、見たのは初めてです…。突然、人から化け物に変わった…。狼の様な、でももっと大きい奴です…。他の仲間は奴に食われたんです…!」
「…そうか。それでそいつはどこへ?」
「もう、無我夢中で逃げて…。それ以上は追っては来なかったようですが…」
「──わかった。落ち着くまで奥で休むといい」
「はい…」
駆けつけた衛生兵が、アスールから怪我を負った兵士を引き取ると、それと一緒に兵士も下がって行った。
すぐに調査に向かった方がいいだろう。そこに奴はいないだろうが…。
その背を見送ってから、アスールは騒ぎに駆けつけた兵士の一人に、
「本陣にこの事を伝えてくれ。もう一度確認に出る。本陣も警戒を怠るなと」
「わかりました!」
それから他の部下達に向かい、
「調査には俺一人で行く。他はここで待機する様に。調査地の往復に半日も有れば十分だろう。俺が半日経っても戻らないようなら、速やかに本陣に戻る様に。俺の捜索は不要だ。──以上だ」
「しかし、それでは──」
「多分、聞いた様子では、お前たちの手には負えない。無駄に危険を冒す必要はない。お前たちは貴重な戦力だ。これは命令だ」
「は、はい…」
上官の命令仕方なくそう返事をしたが、不服そうではあった。ついてきたいのだろう。
だが、もし、これがガラノス達を襲った魔獣なら、兵士たちを連れて行くのは危険だと感じた。城での惨状を思い出す。屈強な者たちが、いとも簡単に殺られていたのだ。
──嫌な感じだ。
人が魔獣になるなど、聞いたこともない。
アスールはすぐに兵士から聞いた場所へと向かった。




