15.カリマの回顧
その日、長い戦が終わり、ようやく父が帰ってきた。
父は戦が終わってからも、部下に任せず、自ら戦場を回り、積極的に怪我人の救護や避難民の援助にあたっていたのだ。
「皆、元気にしていたか」
「はい。父上」
「カリマ、見ない間にまた大きくなったな?」
暫くぶりに我が家に帰ってきた父は、鎧を脱ぐ間も惜しんで、幼いカリマを腕に抱き上げると、ヒゲの生えた頬を顔に擦り寄せて来た。
ザラリとした感触はけしていいものではないのだが、そんな心地も父が無事に帰って来た証。カリマは何もかもが嬉しかった。
そんな父親が、食事が終わり暖炉の前で火が爆ぜる中、長い戦での出来事を話してくれるのが毎回楽しみでもあり。
それまでも遠征や魔獣の討伐から帰って来ると、様々な話しを聞かせてくれたものだ。
勿論、子どもが喜んで聞く類の話だけで。血なまぐさい話は一切しなかった。
爆ぜる暖炉の火を頬に受けながら、父は目を輝かせ話してくれた。
「今回は子どもに出会ったんだ」
「子ども?」
「ああ。カリマより少し下だろうな。戦で焼かれた村にいた子でな。焼け落ちかけた家の中から助け出したんだ」
「家族は?」
すると父は悲し気な顔をして首を振り。
「母親も他の家族も亡くなっていてな。無事なのはその子だけだった…」
「それで、その子はどうされたのですか?」
「勿論、保護したさ。肌の色はカリマよりもう少し濃い、髪の色は更に濃い茶で黒に近い、目の澄んだ子だったよ」
「では、亡くなった母上と同じですね」
「そうだ。──それで、思いついた事があってな」
「思いついたこと?」
「お前につけようか、迷った名があったんだ。それを彼に与えたんだよ。なんせ、自分の名も言えないような小さい子だったからな」
「私の、名前…」
「『カリマ』はお前を産んだ母上が気に入ってつけた名前だ。その時、もう一つ、私がつけようと用意していた名があってな」
「なんという名前なのですか?」
「アスール」
「アスール?」
カリマは思わず聞き返す。
「そうだ。いい名前だろう? 今の母上に生まれたのは妹だ。流石につけられない」
父は肩をすくめてみせた。ひと月程前、妹が産まれたばかり。名前をリノンと名付けた。
「では、私には弟がいるのですね?」
すると、父は破顔して。
「──そうだな。『弟』だ。近くの孤児院に預けてきた。機会があれば会うこともあるだろう。まあ、向こうは覚えてもいないだろうがな」
「私の、弟…」
カリマは嬉しくなったのを覚えている。
それから暫くしたある日、思い立ったカリマは時間を作り件の孤児院を訪ねてみた。
とは言ってもこっそりとだ。
父はその後も孤児院に名を名乗らず寄付をしていた。それを渡す使いの者について行ったのだ。
アスールとは、誰だろう。
父が自分に与えるはずだった名前を付けた子ども。他人の気がしなかった。
中で働く侍女に聞いて、ようやく見つけた。
今は学習の時間らしく、狭い学習室の中で、数十人がひしめき合っていた。
二人に一冊の割合で本を渡され、指された者がそれを立って読んでいる。その中で、アスールは三人で一冊となったらしい本を、椅子から落ちそうになりながらジッと見入っていた。
その真剣な眼差しに惹かれる。真っ直ぐな瞳。他の生徒の中にいて、抜きんでて容姿がいいわけでもない。それなのに、一度目にすると視線を外せなかった。
髪は黒く、確かにカリマより肌の色が濃い褐色で。それでも兄弟と言われたなら、それはそれで通じるだろう。
「アスール、次を読んで」
「はい…」
教師に呼ばれ、皆の視線が集まったのを、どこか居心地悪そうにして、アスールは立ち上がると、友人らが見つめる中、本を読みだす。
澄んだ声。真っ直ぐ紙面を見つめる強い眼差し。凛とした立ち姿。
特別な何かを手に入れた気がした。
「──カリマ様、どうかされましたか?」
そうして学習室の窓の傍で、中の様子を盗み見ていれば、用の済んだ使いの者が声をかけてきた。
「ううん。なんでもない…」
軽く首を振って答える。本当の事は言い辛い。父親が名付け親となった子が、どんな子どもなのか気になって見に来たなど。
それに、このことは秘密にしておきたかった。
知るのは父と自分とで十分だ。
カリマはそっとそこを離れた。
不思議と声をかけようとは思わなかった。誰かと問われれば返答に困るし、きっかけもない。
それからも、度々孤児院を訪れ、アスールを影から見守った。
✢✢✢
月日は流れ、八歳を数える頃、セリオンの別荘へ遊びに行くと、一人の少年を紹介してきた。
セリオンの保養先の別荘にほど近い孤児院。そこで過ごしている少年だという。
別荘の傍の──孤児院?
カリマはふと例の少年を思い出した。彼もその孤児院で暮らしているのだ。
「彼だよ」
セリオンが得意げな顔をして紹介して見せた、その少年に確かに見覚えがあった。
自分より濃い肌の色、黒い髪。なにより、澄んだ灰褐色の瞳に目が行った。
「アスール…」
「え? どうして知ってるの?」
不思議がるセリオンに咄嗟に取り繕う。
「前に、言っていた…」
そうだっけ? と訝しむセリオンの向こう、カリマの前には恥ずかし気に立つ一人の少年がいた。
アスール。
間違いない。この少年は父が救い出した子どもだ。間近で見たのはこれが初めて。
俺の名前を与えられた子供。『弟』だ。
じっとこちらを見ているアスールに、カリマはなんとか笑顔を作ろうとして失敗し、口をへの字に曲げる。
「俺はカリマ。よろしく、──アスール」
そう言って手を差し出した。すると、手を握り返してきたアスールは、くしゃりと相好を崩し笑い出す。
「…よろしく、カリマ。──なんか、へんな顔…」
そう言ってケラケラ笑い出した。セリオンも直ぐに気付き、
「ホントだ! カリマ、怒りたいのか笑いたいのか、分からないよ」
腹を抱えて笑い出す。
セリオンにはムッとしたものの、不思議とアスールには腹が立たなかった。笑うアスールに困惑した眼差しを向けながらも、そんな屈託のない姿を見られたのが嬉しくて。
それからは、ひそかに別荘を抜け出したセリオンと共に、アスールと遊ぶのが楽しみになった。
遊べるのはセリオンが別荘にいる間だけ。
裏庭を抜け出し、アスールの過ごす院の裏から、待っていたアスールを引き連れ、森や近くの丘をかけまわる。
そんな折り、小型の獣に出くわすことがあった。小柄なイノシシだ。しかし、獰猛で縄張り意識が強いため、一度自身の縄張りに入ると執拗に追いかけてくる。
うっかりそこへ入り込んで、主にみつかったセリオンらは慌てて逃げ出すが、すぐに追いつかれ。皆を守るため、カリマは父からもらった剣を獣に向け対峙すると、襲い掛かってきた所を一撃で斬り倒した。
今夜の孤児院の食事の足しになるだろう。剣についた血を振り払い、鞘に納めた所で、歓声が上がる。
「すごい! カリマ、すごい!」
アスールだ。しきりに感心している。セリオンはすでにカリマの腕は知っていた。どこか悔しそうな顔を見せつつも、
「カリマの剣術の腕はみんなに認められてるんだ。きっと、騎士団に入るって。カリマの父上もじきに隊長だものな?」
「──いずれそうなる」
アスールの目はカリマに釘付けになっていた。そんなアスールに、表情には見せなくとも、カリマは誇らしく思った。
「いいな…、俺も上手くなりたい…」
狩ったイノシシを院の料理人に引き渡すと、遊びの時間も終わる。
帰り際、二人を見送ったアスールがぽそりと呟いたのをカリマは聞き逃さなかった。
「──それなら、一緒に鍛錬しようか?」
「…いいの?」
「ああ。会える時にだけれど…」
「やった! ありがとう、カリマ」
飛びつかんばかりに喜ぶアスールに、気を良くするが、面白くないセリオンは。
「俺だって教えらえるのに…」
「お前、剣技は苦手だろう? よく訓練をさぼるって指南役の団員がぼやいてた」
「そ、それは…! ──よし。俺もそれに参加する! 一緒にやるからな!」
「いいけど、俺はアスールに教えるだけだからな? セリオンは外にちゃんと師匠がいるんだ。アスールに教える時は、アスールが中心だ。それでいいなら」
「…わかってる。それでもいいよ」
不貞腐れつつそう返したセリオンに、カリマは頷くと。
「じゃあ、次に。その時は模造刀も持ってくる」
「ありがとう。カリマ」
嬉しそうなアスールに、満足気な笑みを浮かべたカリマだった。
その鍛錬はアスールがセリオンの従者となってからも続いた。
カン、カン! と、木製の剣がぶつかり合う音が辺りに響く。城内の訓練場だ。
最後にひと際強い一撃を受け、アスールの剣が宙に舞う。それが地面に落ちた所で、アスールは汗の流れるのをそのままにカリマに笑いかけ。
「やっぱり、カリマには敵わないな」
そこへ座り込み笑みをこぼす。
青年へと成長したアスールは目に眩しい位だ。強い眼差し。しなやかな身体。自分より濃い肌をした青年に、いつからか思いを寄せていた。
幼い頃、彼が蜘蛛に襲われた際に、その思いをはっきりと自覚したのだ。
しかし、初めて会った時から──いや。思えば父親にその存在を教えられた時から、意識していたのだろう。
アスールに対しては妙な独占欲が湧き。
アスールが友人と頼るセリオン以外に、彼の傍に人を寄せ付けない様にしていた。勿論、さりげなくだったが。
妹もアスールと遊びたがったが、危険だからと寄せ付けなかった。
他にもアスールの剣の腕に興味を持ち、一緒に習いたいと言うものもいたが、一緒に習わせることはしなかった。アスールはこのことに気づいてはいない。
その後、セリオンもアスールを好いていると知った時。強い嫉妬と焦燥感を覚えた。程なくして、セリオンの求愛にアスールもまんざらではないのだと知り。
深い喪失感と落胆。
アスールの思いはセリオンに傾いていた。
しかし、身分の違いから、叶わぬと理解し苦しんでいる様で。だが、セリオンの強い懇願にアスールの決心も揺らぎ。
祝福を与えると言われる泉で、その思いに応えるはずだった。
──だが。
突然の王と王妃、兄達の死によって、セリオンは王位を継ぐことを余儀なくされた。
アスールも、自身の甘い思いを捨てそのもとを離れ。
これを好機と見るものもいるだろうが、アスールの切ない思いが分かるだけに、不用意に自分の思いを吐露は出来なかった。
第一、セリオンだからアスールは好意を受け入れたのだ。何処か潔癖さを持つアスールだ。誰でもいいと言うわけではないだろう。
結局は思いを表に出すことは許されない。
アスールに必要なのは、それではないのだ。
アスールの湯浴みする天幕を出たカリマは、すっかり日の落ちた空を見上げた。
星が瞬く夜空はいつもと変わりなくそこにあった。




