10.別離
国を悲しみが覆う。
城内から葬られる王家の墳墓までの道すがら、人々の手によって白い花びらがまかれた。
白は別れの色とされている。その白い花びらを踏みしめ葬列は進んだ。
柩と共に先頭に立って墳墓に向かうのは、第五王子セリオンただ一人だ。遅れて元老院の者たちと、王家を支える貴族、将校らが続く。騎士団の中にはカリマの姿も見えた。
王の意識は混濁したままで回復しない。
怪我の具合から医師の話ではそう長く保たないだろうとの事だった。
結局、シアンの姿はどこにも見当たらず。部屋の状況からも、現れた魔獣に食われ命を落としたのだろうと推測された。そのため、遺骸はないものの、シアンもその葬列に含められる。
セリオン。
いつぞやは頼もしく見えたその背が、小さく打ちひしがれて見えた。
彼が帰還したのは、城内全ての遺体が収容された後。残された家臣たちの判断だった。
それはあまりに凄惨で、たったひとり残された王子に見せるには酷だと判断されたからだ。
「アスール!」
セリオンは帰還するとまっすぐ、アスールのいる講堂へと姿を現した。そこには、王妃や王子の眠る柩がある。
「セリオン…」
セリオンは柩の前に佇んていたアスールの元に駆け寄る。
伝令では帰還を促すのみで、王妃と兄たちの生死については触れなかった。それで何かあったのだと悟ったらしい。
「…これ、は──」
セリオンは並べられた柩の数に無言になる。
まさか、王妃含めシアン以外の兄たち全てが収まっているとは、思っても見なかったのだろう。
アスールは棺に目を向ける。真っ白な布がかけられ、花で彩られたそこはまるで春の庭園の様だった。
「…皆、眠ってる」
「──どうして…、こんな…」
後は言葉にならず、魂が抜けた様になってセリオンは柩を見つめていた。
「俺が着いた時、息があったのは…ガラノス様とニゲル様だけだった…。けれど、ニゲル様は、直ぐにこと切れて…」
言葉少なにそう告げると、セリオンはそうか、とだけ口にし。
「…君が、最後に看取ってくれてニゲルも幸せだっただろう…。アスール…」
弱々しい声で名を呼ぶと、こちらに手を差し伸べてきた。その手を取ると、しっかりと握り締める。セリオンはアスールの胸元に額を寄せると。
「アスール…。君は…どうか、俺の傍にいてくれ。頼む…」
アスールは震える肩をそっと抱き締めると。
「ああ…」
どこか遠い目をして答えた。
王ガラノスは結局亡くなった。
その数時間前、奇跡的に意識を取り戻し、セリオン以外の息子ら、また王妃が命を落としたことを知ると、静かに目を閉じ、『次期王をセリオンに』それだけ言い残し、また意識を手放した。
その夜、ガラノスは五十有余年の生涯を閉じる。忠実な家臣たちに見守られ、凄惨な出来事とは裏腹に穏やかな最後だった。
ひとり残されたセリオンの道はただ一つ。トエルノの王として立つことだけだった。王の命でもある。
それは、セリオンにとってもアスールにとっても、辛い選択を迫られる結果となった。
葬儀ののち、元老院と貴族たちの推挙により、第五王子セリオンが王に即位する事が決定した。
それは国内外に知らされ、近隣の国々も今回の凄惨な出来事を打ち消す吉事だと歓迎した。
トエルノは大国だ。その国の主がいつまでも決まらないとあっては、いらぬ諍いを呼ぶ可能性もある。すぐに王が立てられたことは吉事に他ならなかった。
同時に貴族の中から王妃が選ばれる。
これもすぐに世継ぎをと望む元老院からの立っての願いであり、セリオンは拒むことはできなかった。
選ばれたのは、王家の親戚筋にもあたる、エクレール侯爵カリマの妹、リノンだった。
リノンはセリオンとも既知の存在だった。カリマのエクレール家へ、訓練がてら遊びに行けば、言葉を交わすこともあった。一緒にお茶を飲んだこともたびたび。
控えめではあったが、兄と一緒に剣をふるう一面も持ち合わせ。お転婆だとカリマが愚痴をこぼしていたのを思い出す。
艶めく黒髪に透き通るような白い肌は後添いの母親譲り、青い瞳は父親譲りだった。
カリマは王家の外戚の家系で、ずっとその傍らに寄り添うように付き従ってきた家柄であり。身分に何も問題はなかった。
王であったガラノスは、息子の誰かにリノンを迎え入れようとしてたらしい。
『良かった。これで国は安泰だ』
誰もがそう、口にした。悲しい出来事を慶事が覆い隠す。盛大に婚儀は行われるだろう。
ひとたび街に出れば、その話でもちきりだった。誰もが凶事から目を背けたがったのだ。そうでもしなければ、皆失くしたものの大きさに耐えられなかった。
✢✢✢
「アスール…」
王位の即位と同時に、婚姻が発表されたその日。昼下がりのセリオンの自室に呼ばれたアスールは彼と相対していた。
呼ばれて部屋を訪れると、予想したように落ち込むセリオンの姿があり。
窓辺に佇み、苦しそうな表情を浮かべ唇を噛みしめている。そこに、セリオンの苦悩が読み取れた。
父と母、兄たちを同時期に失くしたセリオンの落胆は計り知れず。
その傍らにずっと寄り添ってきたアスールだったが、その時からすでにこの事は予測できていた。この決定によって、さらにセリオンが悲嘆することも。
しかし、もとよりこうなるはずだったのだ。
アスールにとっては想定内のこと。やはりセリオンと共にあろうなどと、過ぎた願いだったのだ。一時でもその思いに浸れたことで、よしとしなければならない。
冷たい泉の水に足を浸し、セリオンの瞳を見つめた時の思いを、そっと胸の中に閉じ込めた。
忘れなければ──。
セリオンは、この国の王となるのだから。
一介の平民に手が届く相手ではなかったのだ。セリオンが口を開くより先、それを伝える。
「セリオン──。俺は従者の職を辞する。ずっとそうしようと思っていた…」
「なにを──」
セリオンが驚き伏せていた顔を上げる。
「辞してもこの国を支える兵士の一人に戻るだけだ。セリオン──いや、セリオン陛下。その傍らに立つのに俺はふさわしくない」
「そんなつもりでここに呼んだんじゃない! 俺は君と離れたくないんだ…! 例え后を迎えても、それは形だけで──」
アスールは悲しい笑みを浮かべ首を振ると。
「──それをカリマが許すとでも? 大切な妹リノンをそんな男の元へやるなど、許せるはずがない。カリマのエクレール家は古参の貴族代表だ。もし険悪にでもなれば結びつきが失われ、ほころびが生まれる。貴族との間に溝が出来る様な事になれば、国の基盤を失い兼ねない。──俺たちは…何もなかったんだ。セリオン」
「アスール…!」
アスールはしっかりとセリオンの瞳を見つめたあと、それを逸らし。
「…俺は──ずっとセリオンが嫌いだった」
「──アスール?」
「すべてに恵まれ、愛され…。俺にないものばかり手にしていて。俺に好意を示すのも、お遊びに過ぎないと分かっていた…。──結局、セリオンにとって、俺は優越感を与えるだけの道具に過ぎなかったんだ。貧しく恵まれない俺を助けることで自身の優位を感じる。──それだけの存在だった…」
「アスール…。そんな、ことを…?」
アスールはひたとセリオンを見つめると。
「ああ、そうだ。いつもそう思っていた。これで、そんな君と離れることができる。俺にとって本当の自由が始まるんだ。せいせいした──」
駆け寄ったセリオンが頬をはたいた。パン! という、乾いた音と共に鋭い痛みが走る。唇の端に血が滲んだ。セリオンはそのまま胸倉をつかむと引き寄せ。
「アスール…。それは──本心か?」
澄んだ青い瞳が、怒りに震えていた。
「…ああ、そうだ…。俺は、セリオンがずっと妬ましく、憎らしかった」
紡ぐ言葉とは裏腹に、悲しい気持ちでそれを見つめる。
「──っ…」
「これで──俺は行く。さよならだ。──セリオン」
それだけ言うと、アスールはセリオンの手をほどき踵を返すと部屋を出る。なるべく足早に。
去り際、セリオンの俯く顔をそっと盗み見た。
美しい金糸も、伏せられる瞳の透き通った青さも、二度と間近に臨む事はないだろう。
セリオン…。俺は──。
ぐいと切れた唇の端を手の甲で拭うと、思いを断ち切る様に、その後に続く言葉を飲み込んだ。
部屋を出た所、扉の向こうに立ってた影とすれ違う。濡れたような艶のある黒髪、濃い青い瞳。美しく育ったと思う。アスールが呼んでおいたのだ。
「アスール…」
涼やかな声が自分を呼んだ。
彼女なら、セリオンを託せる。
「リノン。後は頼んだ」
「まって──!」
リノンは手を伸ばしかけたが、それがアスールに届くことはなかった。




