11.行方
従者の職を辞したアスールは、その足で新たに騎士団を束ねる騎士団長リンテウスの執務室を尋ねた。前任の騎士団長は、王妃、王子らとともに城内で息絶えたのだ。
「俺を北部のネラへ行かせてください」
「ネラへ? お前はセリオン様つきの従者だろう? それがまたどうして──」
「従者の職は辞しました。俺は一介の兵士です。なんの不都合もないはずです。そこへ向かわせてください」
「いや、しかし──」
突然のことにリンテウスは狼狽する。
「王や王子を襲った魔物は北へ去ったと言う話も聞きました。北には闇の森が広がる…。そこに向かう調査隊を編成中とか。その隊を向かわせる前に、斥候が必要でしょう? 俺ならそれに適しています。あなたの采配でいかようにもできるはずです」
「──だが、ネラは魔物も多く、危険が多い場所だ。お前の腕は良く分かっているが、万が一何かがあったことを考えるとな。第一、セリオン様が──王が許すかどうか…」
リンテウスは顎に手をあて唸る。
ネラは冬になれば雪に閉ざされる深い森の広がる地帯で、食料や水の配給もままならない場所だった。
加えて昔から出現する魔獣が多く、派遣されれば命を落とす確率が他のどこよりも格段に高いのだ。
しかし、そこを何とか治めねば、いつ危険な魔獣が国内へ侵入しないとも限らない。手の抜けない場所でもあった。
それが、今回の件で調査が必要となり。
前王ガラノスらを襲った魔獣が北に広がる森にいるとしたら、かなり危険な調査になるに違いないと思われていた。
「王は関係ありません。先ほども申しましたが、もう従者ではありません」
「それは──そうだが…」
セリオンがアスールを重用しているのは周知の事だ。幾ら従者でなくなったからと言っても、リンテウスが渋るのも致し方ない。
しかし、アスールは引くつもりはなかった。もう、セリオンの傍らに自分の居場所はない。後には戻れないのだ。
アスールは畳み掛ける。
「先の不幸により、王都にいたかなりの手練れが失われたと聞きます。ガラノス王を襲った魔獣を探すにしろ、腕の立つ者が必要でしょう? 俺は国内随一と言われる剣術の使い手カリマに鍛えられました。それに例え俺に何かがあったとしても、誰も困るものはいません。家督を継ぐような家もありません。使える駒は使うべきです」
リンテウスはアスールの勢いに押され気味なる。
「誰も困らないとはいいきれんが…。わかった。しかし、王には報告を──」
「いいえ、これは内密に。王は今、とても大切な時期です。俺の事で、王を煩わせることはしたくない。そっとしておきたいのです」
「…だが」
「俺は王の役に立ちたい。亡きガラノス王の敵を暴くことで、王の婚儀に華を添えたいのです」
アスールの必死の懇願に、とうとうリンテウスも根負けし。
「わかった…」
そうして、ようやく無理を通して、調査の為の斥候を兼ね、北へと向かう許可を得た。
追撃の兵士を派遣するかどうか、アスールの調査次第で決まる。すでに北部ネラにいる兵へ調査の指令はだしていたが、僻地にいる者たちは半ば傭兵に近く、あてになるか分からないのだという。
実際、アスールが向かってくれると言うなら、ありがたい話しだったのだ。
王都は新しい王の誕生と、婚儀とを控え、明るい話題に盛り上がっている最中の出来事だった。
✢✢✢
「アスールがいない?」
その報告を受けたのは、セリオンからアスールが従者を辞したと聞かされ、本人から話しを聞くためすぐさま探させた、その日の夕刻の事だった。
城内のどこにもその姿がないというのだ。すでに辞したその日の内に、城内に置かれたアスールの部屋は空となっていた。
もともと持ち物などないに等しい。前王ガラノスから直々に下賜された一振りの剣と共に、忽然と姿を消していたのだ。
カリマは舌打ちする。セリオンとリノンの婚儀は一月後と決まった。家長として妹の慶事にやることは山ほどある。
それが終わるまではカリマは遠出はできない。探しに行きたくとも、自らが歩き回ることはできなかった。
いったい、何処へ行ったのか。
城に来てからすぐにセリオンの従者となった為、アスールと親しい者は少ない。僅かな知人を当たったが、誰一人、行方を知らなかった。
数日聞きまわり、ようやく衛兵の一人が、騎士団長リンテウスの部屋を訪れる姿を見かけたと言う。
「騎士団長…」
彼を訪ねたと言う事は、目的も絞られてくる。
自室でその報告を受けていると、妹のリノンが部屋を訪れた。
今は長い黒髪を結って肩へと垂らしている。すっかり美しい女性へと成長したリノンだが、たおやかな様でいて、実はかなり気は強い。男に生まれていれば――そう、亡き父が漏らしたことがあるくらいだ。
「どうした?」
「人払いを…」
言われて、すぐに報告にきた従者を下げさせる。
扉が閉まったのを見届けると、リノンはおもむろに一つの手紙を差し出してきた。白い封書の表に宛名は無い。裏に返せば、アスールのサインが記されている。
「これは…?」
「アスールが兄さんへと。他のものには見られたくないからと、私に託されました。中は読んでおりません」
確かに蝋で封がされたそれは、開けた様子はない。
「…アスールは、どこか思いつめた目をしていました。セリオン様に別れを告げた時も。──私は呼ばれていたんです…。あの場に来るようにと。セリオン様が気落ちするだろうから慰めて欲しいと…」
「あいつ…」
「アスールの姿が見えないとか…。兄さん、どうかアスールを追ってください。私の婚儀など、他のものに任せておけば充分です。どうか――」
「リノン、お前はどうして…?」
そこまでアスールにこだわるのか。
自分が嫁ぐ相手の思い人だ。セリオンがアスールを重用し、好意さえ抱いていることを知っているはず。疎んじてもいいほどなのに。
リノンは僅かに視線を落すと。
「…幼い頃より、ずっと見てきました。──兄さんたちと同じです。アスールは、ぶっきらぼうでいて、いつも私に優しかった…。兄さんとセリオンが羨ましかった。私だって、一緒に駆けまわりたかったのです。──アスールと一緒に」
ひたとカリマを見上げてくる。その目がすべてを物語っていた。
リノン…。
幼い頃、共に時を過ごしたのはリノンも同じだった。
「分かった…。すぐに探しに行こう。婚儀の準備は抜かりないよう、信頼できるものに頼んでいく。──すまない」
「私の事は気にせず。どうか、アスールを。これは――セリオン様のお気持ちでもあります…」
「…ああ」
セリオン。
あの時、アスールが職を辞したと聞かされた後、ソファに座ったままのセリオンは力なく笑っていた。
自室のテーブルの上には酒瓶と、飲み干された後の空になったグラスが置かれている。瓶の中身は半分以上なくなっていた。
「あいつ…、言葉と表情が一致していなかった…」
「…そうか」
「あんな、泣きそうな顔をして――拒絶されて…。信じられるわけがない…」
「セリオン」
「初めてアスールに手を上げた…。もどかしくて。好いているくせに、そんな言葉を言うあいつが許せなくて…。でも、分かっているんだ。アスールにはああ言う外、なかったんだって…」
「……」
「こんな俺の元に、妹を嫁がせるなんて…嫌だろう? カリマ。アスールにも言われた…。けど、すぐには受け入れられない…。俺には――ずっと、アスールだけだったんだ…」
顔を覆い座っていたソファに蹲る。泣いていた。
セリオンが泣くのを見たのはこれで二度目。一度目は、アスールが蜘蛛に襲われ命を落としかけた時。そして今だ。
「…知っている」
カリマの言葉に、セリオンは何も答えず、ただそこで肩を震わせていた。
アスールは、いったいどこへ?
唯一、事情を知っていそうな騎士団長リンテウスのもとへと向かった。
この国の兵士でいることをやめたわけではない。従者の職を辞しても、名目上、アスールはトエルノ王国の兵士の一人だ。あのアスールがそれも辞すとは思えない。きっと、死ぬまでこの国に仕えるだろう。──セリオンの為に。
カリマはそれが羨ましくもあった。アスールもまた、胸に思うのはセリオンだけなのだ。
いつかの野獣退治の後、世話になった領主の館で言った言葉が思い起こされた。俺の本当の居場所はお前達の隣りじゃない、と。
アスール…。
その言葉をどんな思いで言ったのか。
もともと、セリオンと結ばれるとは思ってはいなかった。それでも、押されてその思いが揺らいだはず。何事も無ければ、きっと今頃はセリオンの手を取って、その腕に抱かれていたことだろう。
──だが。
二度とそんなことは起こらない。奇跡でも起きて、アジュールやブラオ、ニゲルが生き返らない限り。ひとり生き残ったセリオンの肩にはこの国の未来が重くのしかかっている。それを誰も肩代わりはできないのだ。
セリオンがアスールの手を取ることは二度とない。
唯一、愛したものに触れることができないなど、どんなに辛い仕打ちか。その気持ちはカリマにも良くわかった。自身も同じ思いを抱えて来たからだった。
愛しい人に触れることは叶わない──。
それは何より辛いことだった。
アスールをこのままにしては置けない。辛いのはアスールも同じ。傷心のまま、放っておくことなどできなかった。
本人にしてみれば、そっとしておいて欲しいのだろう。だから、誰にも何も告げずに去ろうとしたのだ。
ただ、カリマにはこの手紙を残していった。
リノンが去った後、すぐに手紙を開く。中にはアスールの少し癖のある、でも読みやすい丁寧な文字が連なっていた。
『カリマ。何も告げずに去ることを許して欲しい。君ならきっと俺がこうする意味を分かるはず。俺はどんなに離れても、君と妹のリノン、それにセリオンを大切に思う。
どうか俺の事は探さずにいて欲しい。カリマのお陰で一人でもやって行ける力を得た。心配はいらない。
本当は、もっと早くにこうするべきだった。君たちといることはとても心地よく幸せで、つい長居をしてしまった。
陰からいつまでも君たちの幸せを願っている。
ありがとう。カリマ。君の幸せを強く願う。 アスール』
✢✢✢
「リンテウス騎士団長」
「…どうした? カリマ」
執務室で他の団員と話し終えたばかりのリンテウスに声をかける。
どこか警戒した表情を見せるリンテウスに、カリマは何かを読み取った。団員が去ったのを見届けてから声をかける。
「…アスールがここへ来たと聞きました。彼は今行方不明なのです。行き先を知りませんか?」
すると、リンテウスの表情が険しく変化した。
「確かにここへ来たが──」
「…どんな用向きで?」
注意深くその表情の変化をひとつも逃すまいと見つめる。
するとリンテウスは大きくため息をつき、腕を組むと座っていた椅子に背を預けた。ギシリと木製の背もたれが音を立てる。
「──奴に黙っていると約束した」
「私は彼の上官に当たります。知る権利がある」
確かにその通りで、友人同士であっても、貴族であるカリマは騎士団の副官の一人だった。
騎士団長は一人だが、その下に副官が三人付く。そのうちの一人だったのだ。
行く行くは王付きの親衛隊長にもなるだろうと言われている。今までは、前王ガラノスの命で第五王子であったセリオンについていたのだ。
比べ、アスールは一介の兵士に過ぎない。リンテウスは重い口を開く。
「…王達を襲った魔獣は北に去った。アスールならそれを知って、どう行動するか、長年付き合ってきたお前なら分かるだろう?」
そこまで聞いて、カリマは深いため息をつく。
「北方の僻地、ネラですか…」
会議の中でも、王を襲った魔獣について話し合いがあった。残虐な所業を行った魔獣を生かしておくことはできない。
数少ない目撃者の証言から、やはり北方へ去ったらしいことが分かった。その真偽を探るため、調査隊が編成されつつあったのだ。アスールもそれは知っていたはず。
「あそこには元々手を焼いている。今回の件でかなり手練れのものを失った。調査のため北方に送る者の人選に悩んでいたのは事実だ」
「アスールは、そこですか」
「…奴はいい斥候なる」
それだけ聞くとカリマは踵を返した。
「何処へ行く?」
「私に北方へ行く許可を。これで、ネラの戦力はさらに増強されるでしょう」
「待て! お前は妹の婚儀があるだろう? ひと月あるとは言え、北方へ向かへばそれまでに戻って来れるか…。妹は王の后になるんだぞ? 身内がいなくてどうする? お前は家長だろう?」
「母も叔父もおりますし、信頼できる執事が家にはおります。妹も承知の上。それでは――」
「カリマ!」
リンテウスは引き留めたが、カリマは聞かなかった。結局、ネラ警備隊長死亡の連絡を受け、その代わりに不在となっていたネラの警備隊隊長職を得てカリマは北方へと向かうこととなった。
「アスールが…ネラに?」
出立の準備を整え、セリオンに報告した。自身がそのネラに向かうとも。
セリオンは王の執務室にいた。椅子に座ってカリマを見上げてくる。
以前はガラノスが座していた場所だ。年若いと言えども、それなりに王としての顔つきになるから不思議だった。やはり、王としての素質は備えているのだろう。
「ああ。ガラノス様たちを襲った魔獣の調査の為、先に斥候として向かったそうだ。俺もすぐにでも出る。…もしかしたら、婚儀には間に合わないかもしれない。リノンも承知の上だ。あとは家のものに任せることになるが──」
「婚儀は――いい。君の母君がいれば。叔父上もいるだろう? 騎士が戦でいないことなどままある。…アスールを頼む。きっと、自暴自棄になっているはずだ…。だからそんな僻地に…。俺の所為だ。アスールまで、亡くしたら──俺は生きていけない…」
「お前は国王だ。私事で物事を見誤るな」
カリマの指摘にセリオンは皮肉気な笑みを口元に浮かべ。
「一人の人間としての思いも捨てろと? …アスールが、俺の全てだと知っていて言うのか?」
「もし、アスールの身に何かあったとして。奴はお前がそんな状態になることを望むとは到底思えない。アスールの願いは、お前が幸せになることだ。そして、偉大な王になること。アスールを本気で思うなら、奴の願いの通り生きろ。それがアスールの幸せにつながる」
「は! ──綺麗ごとを…。そんな風に、考えられるわけがない…。アスールの為に、アスール以外のものと幸せになれと? そんなの――到底無理だ…! 君の──妹には済まないと思うが…」
セリオンは顔を覆い俯く。
「無理は承知だ。だが――もう、過去には戻れない…」
カリマの言葉にセリオンの肩がピクリと動いた。
ガラノスも王妃も兄たちも、すでにいない。どんなに願っても、生き返りはしないのだ。進むよりほか道はなかった。
ことにセリオンにとって、それが望まない道であったとしても。その道はセリオンしか行くことができないのだ。
セリオンは大きなため息を漏らすと、
「…アスールを見つけ出してくれ。無事な姿が見たい。今はそれだけだ…」
「わかった」
カリマはそうとだけ言い残すと、執務室を離れた。
そうして、馬を飛ばし北方ネラを目指した。
アスールは必ずそこにいる──。
王都からは早馬を飛ばしても丸三日はかかる。すでにアスールの行方が知れなくなって、二週間が過ぎていた。
北方の僻地には誰もが行きたがらない。ただ、身分の低い者、平民出身のものは昇給を望めない。それならと、手当の厚いその北方を目指した。だから兵士と言えども、半ば傭兵に近く荒くれ者も多い。
アスールがその中で上手くやって行けるのか。
確かに剣術で右に出るものはいないが──カリマが鍛えたのだ。そこは胸を張って言える──人の中でもまれるのは苦手なはず。
それより──。
あそこは魔獣の質が違う。闇が深いため魔獣が力を倍増させるのだ。ここの所益々、闇が濃くなってきている。ガラノスたちを襲った魔獣が潜んでいても可笑しくはない。もし、その魔獣に遭遇するような事があれば、立ち向かうことができるのか。
向かった理由は予測がつく。今回の件のあとだ。ガラノスらの仇をとる思いもあるだろうが、なによりセリオンとの事を忘れたいのだろう。
危険な場所へ行けば、考え事をしている余裕などない。戦いの中に身を置けば、すべて忘れて居られる──。
アスールの思いが手に取る様にわかった。セリオンの言う通り、自暴自棄になっているのは否めない。
無茶をしていなければいいが…。
カリマにはその心配が強かった。




