9.城内
そうして月が昇る中、休憩もろくに取らずに馬を飛ばし城へと到着した。その頃には東の空の裾が薄っすらと紫に染まり、明けはじめていた。
城門を駆け抜けひと息に城へと向かう。門兵は危険だからと引き留めようとしたが、アスールは聞かなかった。
「誰か!」
馬を飛び降り、城内へと続く重い扉を押し開けた。平素ならいるはずの衛兵の姿がない。
「──っ…! これは──」
扉を開けた途端、血の匂いが鼻をつく。
薄暗い城内には、蒼白く疲れ切った顔をした兵士が所々に倒れこむ様に座っていた。皆、そこかしこに傷を負っている。中には目を背けたくなる程の怪我人もいた。
「──何があった?」
近くにいた兵士に声をかける。ぐったりと壁に背を預けていた兵士は力なく首を左右に振って、
「王が……。皆、やられた…」
兵の視線が力なく城の奥へと向けられる。アスールはそれ以上、そこにとどまらず奥へと駆けた。
大広間を抜け、王の私室まで走る。途中、無数の騎士、兵士の屍があった。
ただの屍ではなく、姿を留めていないものもある。無残な姿は剣で斬られたわけではないらしい。
一体、何が?
石段を駆けあがり、累々と重なり合う騎士らの屍を乗り越え、開け放たれたままの扉の向こうへ向かえば。
「!」
部屋の中央に置かれた豪奢な椅子の上にガクリと頭を垂れた王の姿があった。僅かに呻くような声が聞き取れる。
生きておられる!
すぐにその元へ向かおうとすれば、その足元に剣を手に持ち、くず折れた人影があった。
「あ…」
見覚えのある濃い茶色の髪。王と同じそれは、今はすっかり血に染まっていた。
「アジュール様!」
すぐに駆け寄り王の足元に寄りかかる様に倒れていた身体に触れれば、わずかに温もりが残っていた。はっとして首筋に触れたが脈がない。
そん、な──。
「アジュール…様…」
唇からも血が溢れている。顔色は蒼白だった。最後まで王を守ろうとしたのだろう。しっかりと剣を握ったままだ。
「─…っ」
一度深く目を閉じ、再び開けると、そっとアジュールの身体を床に寝かしつけた。
そうして、椅子に座ったガラノスの容態を看る。眉根を寄せ苦し気な表情。腹部の出血がひどい。急いで手当しなければ間にあわないだろう。
「誰か! 誰かここへ! 医師を!」
アスールの声に、階下から駆けつけた兵士が慌てふためき、医師を呼びに行く。
アスールはガラノスの身体を椅子からおろし絨毯の上に横たえる。
出血を押さえる様に、手近にあった布で抑えると、周囲を見渡した。と、部屋の片隅に人影があるのに気がつく。金色の髪に見覚えがあった。
まさか──。
「…ブラオ、様…」
まるで壁に叩きつけられた人形のように、力なくその場に倒れるブラオは一見しただけで、生きていると思えなかった。呆然とする。
いったい、何が──。
アジュールもブラオも、簡単にやられるような手合ではない。
伝令の伝えた様に、この惨状から人の手によるものではないのは明らかだった。皆、半ば一撃でやられている。
狙いは王と、その家族か?
そこではたとする。
シアン様やニゲル様は?
そうしていれば兵士が医者を伴ってやってきた。
「王を別室へ。手当を急いで。出血がひどい」
「わかりました…!」
医師は年若い。確か王宮で雇っていた医師の下で働いていたものだ。きっとこの分ではお抱えの医師もやられたのだろう。
衛兵や医師に託すと、いったんガラノスの傍を離れ、シアンの元へ急いで向かう。
シアンなど病室で寝たきりなのだ。ここを襲った魔獣に見つかればひとたまりもないはず。
どうか、ご無事で!
アスールはシアンの居室に向かって城内を走った。
この騒ぎで先に逃げ出していれば──。
シアンとの出会いは、セリオンを介してだった。
城へ招かれて、セリオンの従者として雇われてから数日。兄のもとへひとりで行くのは気まずいからと、ついてくるようにセリオンに命じられたのだ。
連れて行かれたのは、一日の大半をベッドの上で過ごす、三番目の兄シアンの元だった。
幼い頃から病弱で、少しでも走れば咳をしてその場に倒れる、普通の生活は無理な体だった。
セリオンは蒼白い顔をしていつも鬱々としていたその兄をあまり好いてはいなかった。
それでも母の言いつけで、数日に一度はご機嫌伺いに訪れていたのだ。
いつも訪れた際は、一方的にそれまであった出来事を話し、用意された菓子を食べることにだけ専念していたらしい。それでも、シアンは楽しそうだったという。
セリオンにせっつかれ、王族と召使しか入れないその部屋への入室を許された。そして、シアンと出会ったのだ。
金色の髪は妾だった母親譲り。青い瞳は父親と同じ。日に当たらないせいで、その肌は血管が浮いて見える程透き通って見えた。顔色は悪く蒼白い。
青い瞳だけは生者のそれだったが、もし彼が動かなければ生きていると判別はしにくかったかもしれない。
「セリオン。よく来たね。…後ろの彼は?」
綺麗な声だったが、やはり細く、耳を澄まさねば聞き逃してしまいそうだった。
「アスール。俺の従者だよ。新しく雇ったんだ。こっちはシアン兄さん。これからはアスールもここへ連れてくるよ? いいだろ?」
「いいとも。アスール、君もこちらへ来て一緒にお座り。お菓子もたくさんある。遠慮せずに食べてくれ」
「でも──」
とりあえず、一通り、従者としての決まりを上のものから教育されていて。主と同じようにふるまうなときつく言いつけられていた。しかし、シアンは笑むと。
「ここにいるのは僕とセリオンだけ。誰も咎めはしないよ。いいから、そうしてくれ。その方が僕も嬉しい」
「アスール。兄さんがそう言うんだから、こっちに来て一緒に座って食べよう。それで、アスールのことを兄さんに話してよ」
「セリオン様…」
「ここではセリオンでいい。ほら、座って」
言うと、セリオンは椅子を引いて隣に置く。セリオンとしては苦手な兄の相手をアスールに押し付けたかった思いもあるのだろう。
仕方なく、アスールはおずおずと椅子に腰かけ、セリオンが差し出した焼き菓子を手に取ったのだ。それが、初めてだ。
シアンはアスールのそれまでの生活を知りたがった。
自分たちとはあまりにかけ離れていて、興味を持ったのだろう。会うたびに、少しずつ話すうち、いつの間にか、シアンの話しの相手はセリオンからアスールになっていた。
セリオンは苦手だと言ったが、アスールはそんな事はなかった。
確かに暗い影を背負うような所はあったが、それはすべて幼い頃から床に伏せっていた所為があるからだろう。
どんな些細なことでも興味深げに優しい笑みを浮かべて聞いてくれるシアンが嫌いではなかった。そこに母性を感じたからかも知れない。
母親が生きていたら、きっとこんな感じだっただろうな。
アスールは記憶にもない、母の面影をそこに見た。
ある日、休暇を得たアスールは街に出た。
人々が行き交う往来には、出店が出て賑やかだ。孤児院を出てからは働き三昧で、こうして自分の為に時間を使うことは殆どなかった。見るもの全てが物珍しい。
「どうだい、見ていかないかい?」
通りかかったアスールへ声をかける者があった。アクセサリーを売る出店だ。
「全部、一点物だよ。動物の角を掘った彫り物細工だ。子どもには負けとくよ」
子ども。
その言葉に内心ムッとする。確かに子どもだろうが、これでも立派に職を持ち働いているのだ。それでも安くなると言う言葉に、広げられたアクセサリーに目を向けた。
白い彫り物細工がズラリと並んでいる。
小さなそれは、どれも細やかな細工が施されていた。太陽や月、星、波や草木をあしらったものもある。
特に月をリングの様に象ったものに惹かれた。三日月の縁に星があしらわれている。
「綺麗…」
「ペンダントにも指輪にも、イヤリングにも加工できるよ。今ならオマケで鎖をつけよう」
ふと、儚げなシアンの顔が浮かんだ。
こんな綺麗な細工が似合うのは、自分の知っている限りシアンくらいだろう。いつもお菓子をふるまってくれるシアンに何かお礼がしたいと思っていたのだ。
「…これ、幾らですか?」
丸く円を描くそれは大人の親指の先ほどの大きさだ。売り子で職人の男は人の良さげな笑みを浮かべると、
「今、どれくらい持ってる?」
その問いにおずおずと手持ちの金を見せた。
本を買う為に持ち出した分で、後は一杯、お茶が飲めるかどうかの金額だ。
男は差し出された硬貨から、ふたつあった大きめの硬貨のうち一つを取ると、
「これでいい。さあ、指輪かイヤリングか、それともネックレスかい?」
「え…あ、あの、ネックレスで──でも、いいんですか?」
硬貨一つで買えるのは、大人の手の平の大きさのパンが一つほど。どう見てもこれらの彫り物は安いものには見えなかった。男は笑みを浮かべると。
「これは俺の趣味で作っている様なもんだ。本職は猟師でね。値段なんてないも同然さ。君が綺麗と思ってくれたならそれでいい。──まあ、金を持っている奴からはそれなりにふっかけて取るがな?」
ニヤリと笑って見せた。
「…ありがとう、ございます」
「さ、少し待ってな」
そう言うと、対して待たないうちにネックレスが出来上がった。トップには件の彫り物が揺れる。男は取り出した紙でそれを丁寧に包み差し出しすと。
「プレゼントだろ? 喜んでくれるといいな?」
「ありがとうございます!」
そうして、生まれて初めて他人の為に買ったそれを携え、シアンに渡したのだった。
「ああ、綺麗だね? これを僕に?」
アスールはこくりと頷くと。
「…いつも、珍しいお菓子をいただくので」
「ふふ。嬉しいな。人からプレゼントをもらったのはいつぶりだろう?」
シアンはベッドの上に座ったまま、受け取ったそれを鎖をとってかざしてみる。
白い象牙の様な細工は、とても丁寧に作られていて、つい魅入ってしまう出来だった。
実際、王族が身に着ける様な代物ではなかっただろう。けれど、シアンは心底嬉しそうで。
「アスール、首にかけてもらえるかい?」
「は、はい…」
そうして、こちらに屈んで見せたシアンの細い白すぎる首筋へそれをかける。首の後ろで留め金をしっかりとめると。
「できました…」
「ありがとう。アスール。大事にするよ」
顔を上げてそれを指先で触れながら、こちらに向かって嬉しそうに笑んだシアンを今もよく覚えている。
──シアン様。
セリオンやカリマと共に大切な存在だった。
なんとしても無事でいて欲しい。
先ほどの部屋にニゲルの姿はなかった。もしかして、シアンのもとに駆けつけたのかもしれない。
僅かな期待を胸に部屋に向かった。
その途中の廊下にも衛兵の屍が重なる。
いったい、どんな獣だ?
ひどいありさまだ。人知を超えた圧倒的な強さを持つ何かの存在を感じる。
「シアン様!」
緊張した面持ちでいつも通い慣れた部屋のドアを開ければ。
「…!」
ベッドは空になっていた。部屋中に飛び散る血痕。折り重なる兵士の亡骸。
ここ、も?
落胆と悲しみが襲う。
と、扉のすぐ横で人の声を聞いた気がした。見れば壁際に座り込む見覚えのある人影があった。赤茶の髪に小柄な体躯。
「ニゲル様!」
「…っ…」
上部の石壁にはひびが入り窪んでいた。恐ろしい力で叩きつけられたのだろう。
急いで傍らに駆け寄ると、ガクリと垂れた頭をそっと起こす。口と言わず鼻と言わず、血が溢れていた。一見して、助からないと分かる。
これでは──。
唇を噛みしめた。
「ニゲル様、すぐに医師を呼びます。そこのベッドへ──」
ニゲルに肩を貸し、主のいなくなったベッドへ向かおうとしたが。
「…ル…、魔物──は、…だ…」
「ニゲル様? 今、なんと──」
「──、っ…!」
アスールの目を見つめた後、つっと、その目の端に涙が一筋零れ、後は頭を垂らすとそのまま動かなくなってしまった。
「ニゲル様…!」
垂れた頭ごと強く抱き締める。
セリオンやカリマと同様に、この城に来てからずっと傍で過ごしてきたのだ。
アジュールもブラオも、ニゲルも。
おこがましいが、家族同然に接してきてくれたのだ。それがすべて失われようとしている。
どうして──こんな─…!
シアンはいったい何処へ行ったのか。いや、この状況を見る限り、生きているとは到底思えない。欠片のないのも見ると、魔物に食われたのだろうか。
腕の中のニゲルの身体は次第に温もりを失い冷たくなっていく。茶色い短髪の髪にそばかすの浮く頬。それが、二度と笑顔を見せないとは到底、受け入れられなかった。
「っ──…」
ふたたび、強く抱きしめる。
そう遠くない昔、城内の庭を駆け回った頃が思い起こされた。
あの頃、こんな結末を迎えるとは誰が想像できたか。頬に涙がとめどなく流れ落ちていく。
ずっと幸せな日々が続くのだと思っていた。
一体、彼らが何をした?
なにもかも、認めたくない現実だった。
その後、王妃も私室の寝室でこと切れた姿で発見された。
王の一家だけを狙ったのか、止めに入った兵士以外、民への被害はなかった。
誰もその魔獣を直接見てはいない。目にしたものはことごとく葬られたのだ。
唯一、セリオンらに伝達に出た兵士だけが僅かに見たばかり。
だが、魔獣そのものを見たわけではないらしい。何者かが王を襲い、それを止めに入ったアジュールが襲われた。その場面だけを見たらしいのだ。
その後、上官に第五王子に事の次第を知らせろと命じられ馬を走らせた。
一体、どんな魔物が彼らを襲ったのか。
王ガラノスの意識は回復しない。彼から魔物の正体を知ることは当分不可能だった。
ニゲルはその魔物を見たらしいが、その最後の言葉は聞き取れず。
突如城内の、しかも王の私室に現れた魔物。黒い影が北へ飛び去ったと言った者がいたが、それもあの混乱の中だった為、定かではない。
何せ見たはずのものが全て息絶えたのだ。知りようもなかった。
王の一家を襲った理由も何もかも、不明のままだった。




