8.途上
半時ほど前。カリマは神殿へ向かう二人を見送った。
そこで愛の告白を受けたものは、生涯、泉の精霊の祝福に預かれるのだという。先ほど話し好きな宿の主人が教えてくれた。
セリオンが何を考えているのかなど、手に取る様に分かる。これで、アスールはセリオンを受け入れるのだろう。
きちんと真摯な態度で向き合えば、アスールは応じるはず。いつも、冗談半分で告白するから上手く行かないのだ。
二人が幸せでいられるなら──それでいい。
これから困難が多々待ち受けているだろう。しかし、思いが本物なら、乗り越えていけるはず。何かあっても、それはカリマも全力で助けるつもりでいた。
アスールの幸せの為に。
自分の傍らで無邪気に笑うアスールを思い浮かべた。
セリオンと自分の前だけでは素直な姿を見せてくれていた。ことに、カリマにはその思いを吐露してくれることもあり。年長と言う事もあるのだろう。頼られている自負はあった。
一時、距離を置かれた時期もあったが、旅にでると今までと変わりなく接してきた。
セリオンが守り切れなければ、幾らでもアスールを庇うつもりでいる。
素性もはっきりとしない者が王子の傍らに侍るとなれば、きっと周囲からの強い風当りがあるだろう。
セリオンの見えない所で嫌な思いをすることもあるはず。それらから守るのが自分の役目だと思った。
アスールが笑っていられるなら──。
そうして、二人を見送ったのだが。
街で必要なものを買い求め、宿に戻りそろそろ二人を迎えに行こうとした矢先、王都からの使者がやってきたのだ。
自分たちが滞在する場所は、城で待つ者を安心させるため逐一知らせていた。
通常は伝令用の鳥を飛ばす。王都で飼育されたこの鳥は放たれた場所を覚えていて、王都からの帰りも迷う事はない。
ただ、長時間飛ぶことは出来ず、場所によっては一日以上かかることもあった。そのため、急ぐ場合は馬を使って連絡するのが常だった。
その日、辺りが暗くなり始める頃、その馬を使った急ぎの伝令が届いた。
宿には知っているものだけが分かるように、記しとなる旗が掲げられている。旅人が自分の居場所を知らせる為によく使う手段だ。
馬に乗った兵士は、宿の前にいたカリマを認めてすぐに馬から降りると、転がる様にして駆け寄ってくる。見知った顔だ。王の私邸の警備に当たっていたものだ。
兵士は酷く取り乱している。鎧には誰のものとも知れぬ血が飛んでいた。尋常なことではない。
「──どうした?」
「し、城が──お、王が…襲われた!」
兵士はカリマにすがると、幾度か息を整えそう口にした。
「王が? どこの国だ?」
とっさにそう問い返したが。
「…そ、それが、城内に突然現れた魔獣に襲われたのです…」
「魔獣?」
兵士は怯えきった様子で頷くと。
「王に襲い掛かり…、それを止めに入ったアジュール様が…。騎士団が立ち向かったのですが──次々と…。皆どうなったのか…。恐ろしい…、あれは──魔物だ…」
魔物──。
兵士は取り乱し正気を失いかけている。これ以上、詳しい話しは聞けそうになかった。
「話しはわかった。セリオン様にすぐに知らせる。お前はここで少し休んでいけ」
震える兵士を宿の者に任せると、すぐに踵を返し神殿へと向かったのだ。
セリオンはカリマに詰め寄る。その表情は上に立つ者のそれだった。
「城が? 何が起こった?」
「どうやら城内に魔獣が現れたらしい。王が狙われた様だ。止めに入ったアジュール様も襲われたらしい。だが、それ以上詳しいことはわからない…。俺は城へ戻る。セリオンはここに残れ。何が起こったかわからない今、安易に城に戻らない方が賢明だ。王を狙ったのなら、その家族も危ない」
「──いや、戻る。こういう時の為に、俺はいるんだ。父や兄を守らねば──」
「だめだ。お前はここに残れ」
カリマはセリオンを引き留める。押し問答が続くが、そんな様子を見ていたアスールは、
「カリマ、俺が先に様子を見に行く」
そう口にした。
「アスール?」
驚いたセリオンが傍らのアスールを振り返る。
「俺の方が身は軽い。早く城に着ける。カリマはセリオンの護衛を頼む。カリマ以外にセリオンを託せる奴はいない」
言うが早いか、アスールはカリマが連れてきた馬に跨った。旅路の支度は整えてある。カリマはすぐにでも出るつもりだったのだろう。
「バカを言うな! 君をそんな危険な場所に行かせられるか!」
セリオンが食ってかかるが、アスールは馬上から笑って。
「セリオンこそ何をバカな事を言っているんだ? 俺はその為にいる。いざと言う時、王子の盾になるのが俺の役目だ。──そうだろう? カリマ」
「…そうだが」
「カリマ! アスールを行かせるな!」
しかし、飛び出そうとしたセリオンをカリマは引き留めた。
「お前はここを動かない方がいいのは確かだ。──アスール。到着したらすぐに状況を知らせる文を飛ばせ」
「分かった!」
「アスール! 行くな!」
セリオンは追いかけようとしたが、カリマに羽交い絞めにされ、動くことができない。カリマならセリオンを引き留めておけるだろう。
「カリマ! 離せ! お前、友を行かせるつもりか?」
「…俺は、騎士団の一員だ。王族を守るのがその勤め。それはアスールも同じ。俺はアスールを信じている。──行け!」
「セリオンを頼んだ! カリマ」
そうして、呼び止めるセリオンの声を背に、馬を走らせた。
「どうしてだ! どうして──。あの時、アスールが蜘蛛に襲われた時、守ると誓ったんじゃないのか?」
アスールの姿が見えなくなった所で、ようやくカリマは腕の力を緩めた。セリオンはすぐに腕を振りほどくと、カリマの胸を拳で叩く。
当時、セリオンと共にアスールを守ると誓ったのだ。二度と危険な目にはあわせないと。
「──あの頃とは状況が違う。今は最善の選択をしただけだ。アスールの言う通り、奴の方が身が軽い。馬で行くなら早く着く。──それに、いざとなれば、アスールは俺が守る」
「そんな…。いざって、ひとり行かせたのに…。間に合うと思うのか?」
「アスールは大丈夫だ。生き残れるよう鍛えてきた」
「カリマ…」
「俺はそう言う守り方をする」
カリマはアスールに危険が及んでも、対処できるだけの腕になるよう、磨いてきたのだ。セリオンは黙り込む。
カリマはアスールが去った方向を静かに見つめた。
✢✢✢
セリオンの事はカリマに任せて置けばよかった。
何かあっても、カリマなら上手く対処できるはず──。
セリオンに危険が及ぶ事はないだろう。
だが。城は──王はどうなったのか。
ガラノス・エタンセル。トエルノ王国を治める国王。穏やかで寛大な心を持つ王として、国民から支持されていた。
幾分、考え方が慎重で硬い所もあるが、その判断のもとには、国民のため──その思いがある。若い頃は剣術の腕もかなりのものだったとか。多少の刺客など自ら倒すほどだ。
しかし、今はその身辺には腕に覚えのある第一王子のアジュールや、第二王子ブラオが控えている。
ガラノス様が襲われたと言ったが…。
王ガラノスと初めて会ったのは、セリオンに従者の件で許可がおりたと知らされた後の事だった。農家まで馬車で迎えに来たセリオンと共に、急いで支度を整え乗り込む。
意気揚々と城へ向かうセリオンとは正反対に、アスールの心は打ち沈んだ。
やっぱり、無理なんじゃ。
どこの者とも知れない人間を、大切な王子の元に置くわけがない。息子にせがまれ、一旦は、応じたのだろうが、いつ気が変わってもおかしくなかった。
「アスール、そんな固くなるなって。父様は怖い人ではないよ」
居間の椅子に腰掛け王を待つ間、緊張した面持ちのアスールに、傍らに座るセリオンが声をかける。
「でも…」
王に会うのに野良着ではダメだと、セリオンが自分の普段着──とは言っても、平民から見ればかなりの贅沢な品だ──のお下がりを見繕ってくれた。お陰で見た目だけはその辺にいる城下の子供らと変わりない。
けれど。
アスールは真っ白なシャツの袖口からのぞく手首に目を向けた。
元々の肌の色は変えられない。
カリマも同じ褐色の肌を持つが、アスールの方がもっと濃い。白いシャツではそれは覆い隠せなかった。
カリマの様に貴族であり、幼いながら腕の立つ少年ならまだしも、アスールはうさん臭さが増して見えるだけ。
セリオンの様に、きらめく金糸の髪に白い肌を持つ、見目麗しい少年だったなら、王もひと目で納得しただろうに。
「アスール。君はとても賢くて、情に厚いいい奴だ。それにカリマに剣術も習いだしているだろ? カリマが言っていた。アスールは筋がいいって。皆、君を認めるよ。俺が保証する。だから安心して」
まるでアスールの不安を悟ったかのように、そう口にした。微笑むセリオンにアスールも幾分不安が和らいだ気がしたが。
ふかふかとした毛足の長い絨毯が敷かれた部屋は、王族にふさわしい美しい家具や調度品が立ち並ぶ。それらに囲まれるうちに更に気後れしてきた。
「──アスール」
セリオンはひそめた声で名を呼ぶと、軽く手を握って来た。白く細い指先が、アスールの骨ばってカサつく指に絡んでくる。
「大丈夫。何があっても俺が守るから」
「…うん」
どちらかと言えば、守られる事の多いセリオンだったが、その時初めて頼もしく思えた。
思えばこの辺りから、セリオンを見る目が少しずつ変わっていった気がする。
そうこうしていると、王が執事を伴って現れた。
豪奢な衣装ではなく、ベストにシャツと言った普段よりラフな出で立ちだ。椅子に腰掛けると、直ぐにアスールに鋭い視線を投げかけ。
「君がアスールか。──いい目をしているな」
こちらをジッと見つめながらそう口にした。
アスールは強い眼差しに一瞬ひるんで、返す言葉に詰まったが、執事の咳払いに慌てて居住まいを正すと、前もって教わった口上を口にする。
「この度は、私の様なものを第五王子セリオン様の従者としてお引き立ていただきありがとうございました。以後、セリオン様のお役に立てるよう精進してまいります…」
「よい、よい。そんな堅苦しい挨拶は。今回の件はセリオンたっての希望でな。セリオンがこれだけ粘り強く懇願したのは初めてだ。最後には食事も口にせず抗議したくらいだからな」
その言葉に驚いてセリオンを見返した。
セリオンは悪びれもせず、ウィンクして見せる。ガラノスはそんな様子を微笑ましく見つめながら。
「セリオンが信頼するなら間違いないだろう。アスール、セリオン相手は大変だろうがよろしく頼んだ」
「はい…!」
「やった! これで晴れて俺のアスールだ! 早速城内を案内するよ!」
セリオンはアスールの両手をとって、踊るように飛び跳ねたが。
「セリオン、お前のお遊びにつき合わせるのは、従者としての教育を受ける合間だぞ。アスールは仕事優先だ」
ガラノスがたしなめる。
「…分かっております。じゃあ、従者の勉強が終わったら、城内を案内するよ」
ぶすっとしたセリオンにガラノスは笑うと。
「──だが、勉強は明日からだ。今日は、一日自由にするといい」
「はい! 父上!」
ぱっと表情を明るくしたセリオンは、すぐさまアスールの手を引き、部屋を飛びだした。王への挨拶もままならない。
ガラノスは終始笑顔だった。時折、催しで姿を見せる時の重々しい表情はそこにはない。青い目はただ息子の幸せを願う親の眼差しを見せていた。
ガラノス様。
遠い昔の記憶だ。
その後もガラノスはアスールに信頼をよせ、家族同然に気にかけてくれた。今の自分がこうしていられるのは、セリオンやカリマのおかげもあるが、何よりガラノスの厚意あってこそだった。
泉の街からなら城へまで馬を速足で飛ばせば半日とかからない。
どうかご無事で──。
それが、アスールの願いだった。




