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EDGE ―光と闇の約束―  作者: 岩梨
第七章 星霜の灯火
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90. 口づけ


「大切にするね……」

「ああ。でも、使わずに仕舞い込んだりすんなよ」

「そんなことしないよ。ずっとつけていたいもの」


 嬉しそうな声を聞いていると、頬へ添えた手を離し難くなった。贈り物を喜んでもらえたことより、その顔を自分へ向けてくれることが嬉しかった。



「レミ」



 名を呼んで身を屈めると、彼女の目が大きくなる。


 逃げる気配はなかった。だが、近づいた距離に戸惑っているのは分かり、カインはそこで止まった。


「……嫌か?」


 小さく首が横へ振られた。離そうとした指へレミの手が重なり、もう片方の手が胸元の服を掴む。


「嫌じゃないよ。ただ……」

「ただ?」

「カインが近いと、どうしていいか分からなくなるの」


 カインは僅かに笑みを緩めた。


「別に、何もしなくていいよ」


 頬を支える手へ力を込めず、もう少しだけ顔を寄せる。レミはこちらを見つめたまま顎を上げ、触れる直前に、ぎゅっと目を閉じた。



 唇が重なった。



 かすかな震えと、柔らかな温もりが伝わる。ほんの短い触れ合いに留めて顔を離すと、レミは驚いたように目を開いた。


 声もなくこちらを見る顔が愛おしくて、カインは頬を親指で撫でた。


「……びっくりしたか?」

「うん……」


 正直な返事に、胸が少し痛んだ。


「悪い。いきなりだったな」

「でも……離れないで」


 手を下ろしかけたところで、服を掴む指に力がこもった。

 レミが俯き、胸元へ額を寄せる。カインはその背へ腕を回し、落ち着けるようにゆっくり抱き寄せた。


「離れねぇよ。ここにいる」


 言うと、彼女の肩から僅かに力が抜けた。



 その反応だけで、胸が満たされていく。今まで誰かに触れた時とは、まるで違っていた。もっと近づきたいのに、彼女が安心して身を預けてくれるこの時間も、少しも急ぎたくなかった。


「……謝らなくて、いいの」


 胸元から、小さな声がした。


「嫌じゃなかったから」

「そうか」


 安堵が声に混じった。


「なら、よかった」


 銀髪を撫でていると、レミが少しだけ顔を上げた。目が合った途端に俯きかけたので、カインは覗き込むように首を傾けた。


「今度は、どうした?」

「……顔、見られるのが恥ずかしくて」

「さっきまで、普通に見てたろ」

「さっきとは、違うんだもの……」


 むくれたような返事が可愛らしくて、思わず笑ってしまう。


「そりゃ、悪かった」

「……笑わないで」

「悪い。でも、その顔、もうちょっと見ていたい」


 レミが困ったように見上げた。その頬がさらに赤くなるのを見ていると、今度は自分の胸まで熱くなった。


 こんなにも、触れていたいと思う。


 カインは頬へ手を添え直し、今度は先に尋ねた。



「……もう一度、いいか?」



 レミの指が胸元で動いた。


 迷うように視線が揺れ、それから小さく頷く。 


 その手がカインの肩へ移り、再び目が閉じられた。

 迎えてくれる姿に、抑えようのない嬉しさが込み上げた。



 二度目は、先ほどより長く唇を重ねた。



 背中を支える腕へ少し力を込めると、レミの身体が近づいた。緊張にこわばっていた肩も、やがてゆっくり緩んでいく。


 その変化を確かめながら、カインは静かに温もりを受け止めた。触れることには慣れているはずなのに、今は、彼女の小さな反応の一つひとつが胸へ響いた。


 小さく息を吸う気配に、ゆっくり唇を離す。


 レミはすぐに顔を伏せ、胸元へ潜るように身を寄せた。


「……苦しくなかったか?」

「ううん」

「ならいい。顔、隠さなくてもいいだろ」

「今は、無理……」


 耳まで赤かった。


 カインは無理に離そうとはせず、背を撫でた。しばらく待つと、レミの方からおずおずと顔を上げる。


「……私、なんだか、おかしいの」

「どんなふうに?」

「カインの顔を見ると落ち着かないのに、見えないと、また見たくなって……」



 カインの手が止まった。


 もう少し近くにいたいということだろうか。自分を、ほかの仲間とは違う目で見始めてくれたのだろうか。

 そう期待した途端、余裕のあったはずの胸が強く脈打った。


「……じゃあ、見てろよ」


 頬へかかった髪を払い、声を和らげる。


「俺も、お前の顔を見ていたいから」


 レミは瞬き、それから照れたように微笑んだ。



 その笑顔を見ていると、もう隠しておけない気がした。今すぐ同じ想いを返してほしいのではない。ただ、自分が何を思って触れたのかは、知っていてほしかった。



「レミ、俺は――」




「おーい! ここで遊んでたのはアンタらかい!?」



 二人は弾かれたように振り返った。


 丘の下、宿の裏口に亭主が立っている。花火の片付けを途中で放り出していたことを思い出し、レミは慌てて身体を離した。


「そ、そうです! すみません、すぐ片付けます!」

「なら、いいんだよ! 夜は冷えるから、長居しないようにね!」

「はい!」


 亭主が戻ると、カインは天を仰いだ。



 自分たちが悪い。

 それでも、よりによって今でなくてもいいだろう。



「カイン、行こう?」

「……もう少しくらい、いいだろ。そんな事より俺は」

「ダメだよ。お店の人が困っちゃう」

「ちゃんと片付けるって。後で――」

「カイン」


 真っ直ぐに見られ、出かかっていた言葉を呑み込んだ。最早話をする雰囲気でもなくなってしまった。



「……分かったよ。さっさと済ませるぞ」

「うん!」


 先へ歩き出したレミが、数歩で振り返った。戻ってきて手を取り、恥ずかしそうに見上げる。


「……もうちょっとだけ、近くにいたいの。ダメかな?」


 カインは彼女を見つめ、それから細い指を包んだ。


「ダメなわけねぇだろ。ほら、おいで」



 手を引くと、レミは嬉しそうに隣へ並んだ。


 胸の内を言葉にするには、もう少し時間が要るのかもしれない。それでも彼女は、自分から手を取ってくれた。今は、そのことを大切にしたかった。


「今日は、本当にありがとう。私、一生忘れないよ」

「俺も。……約束も増えたしな」

「うん。また一緒に花火を見ようね」

「ああ。今度は、呼び戻されねぇようにしてからな」



 レミが声を立てて笑った。



 聖地へ向かう現実が消えたわけではない。それでも今夜は、いつか二人で過ごす時間の続きを思い描いていたかった。


 空き地へ戻り、燃え殻を水の入ったバケツへ沈めていく。片付けるために手を離すと、レミが少し名残惜しそうな顔をした。


「終わったら、また繋げばいいだろ」


 声を掛けると、ぱっと笑顔が戻る。


 たったそれだけのことで、カインまで嬉しくなった。



 ***



「おかえり~! 遅かったじゃん、二人とも!」


 部屋へ戻るなり、リシェイの声が飛んできた。


 レミは着替えを抱えて脱衣所へ駆け込み、戻ると、誰とも目を合わせないまま二段ベッドへ上っていく。


「レミ、どしたの?」

「あ、あの! お風呂は明日の朝に入るね。今日はもう寝るから……おやすみなさい!」


 布団へ潜る音がして、フェイとリシェイが顔を見合わせた。

 フェイがカインの隣へ寄り、声を落とす。


「……告白した?」

「してねぇよ」

「じゃあ、あの反応は何?」

「知らねぇ」

「その顔で言われても、説得力ないんだけどネェ」


 カインは口元を引き締めた。どうやら、緩んでいたらしい。

 これ以上話せば、告白より先に何をしたのかまで探られる。今はまだ、二人だけのものにしておきたかった。


「ねぇ、何があったの? 教えてよ~!」


 リシェイにも覗き込まれ、カインは二段ベッドを見上げた。


 誰かと唇を重ねたことは、これまでにもある。放浪の日々には、心を交わさないまま過ぎていく触れ合いもあった。


 けれど、今夜のことは、思い返すだけで胸が騒いだ。


 愛おしくて触れ、その相手が離れないでと言ってくれた。次に顔を合わせた時、どんな顔をするのか。それを思うだけで、もう会いたくなっている。

 カインはとうとう、笑みを隠すのをやめた。


「もったいなくて言えるか、バーカ」

「あー! 絶対なんかあった!」


 追及する声を背に、脱衣所へ逃げ込んだ。



 ***



 上の寝台では、レミがシーツを目深に被っていた。


 左手首のブレスレットを撫でていると、花火も、約束した丘も、すぐ近くにあった緑の瞳も、次々に浮かんでくる。


 唇へ指先を当てると、また顔が熱くなった。


 嫌ではなかった。

 嬉しかった。

 けれど、その一言だけでは収まらないものが、まだ胸の中で騒いでいる。



 見ていればいいと言ってくれた。それなのに、明日また目が合ったら、ちゃんと顔を上げられるだろうか。


 レミはシーツを引き上げ、その下で小さく笑った。



 まだ名前の分からないこの温もりを、今は誰にも見られず、大切に抱えていたかった。



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