88. 小さな花火と癒しの力
「うん、すっごく似合ってる! 絶対、こういうのがいいと思ったんだよね!」
男二人を追い出した部屋で、リシェイは満足そうに頷いた。
レミは鏡の前で、そっと身体の向きを変えた。爽やかな青のトップスに、動きやすいキュロットスカート。足元のショートブーツも窮屈ではなく、これなら長く歩けそうだった。
「リシェイの服とは、少し違うね」
「アタシはパンツの方が好きだけど、可愛い服も好きだもん。似合う人に着てもらえるなら、選びがいがあるじゃん!」
そう言われると、自分も何か特別なものになれたようで、頬が緩んだ。
「せっかくだし、髪も結ぼうよ。人の髪を整えるの、得意なんだから」
丸椅子へ座ると、銀髪に櫛が通された。引っ張られて痛くないか確かめながら、高い位置で一つにまとめ、買ってきたリボンを結んでくれる。
鏡に映った姿へ、レミは思わず手を伸ばした。
服も髪も変わっただけなのに、顔まで少し明るく見えた。
ようやく部屋へ招き入れられたカインは、その姿を見て目元を和らげた。
「いいじゃん。よく似合ってるよ」
「……ありがとう」
「リシェイに任せたから、もっとボーイッシュになるかと思ったけどな」
「ちゃんと似合うもの選びますー!」
言い返すリシェイの声を聞きながら、レミはもう一度服へ目を落とした。
選んでもらえたことも、似合うと言ってもらえたことも嬉しかった。洋服一つで、こんなに心が弾むものなのだと、初めて知った。
***
夕食を済ませた頃には、十九時を回っていた。
部屋へ戻ると、レミは荷物の整理を手伝いたいと申し出た。眠ってばかりいた分、少しでも役に立ちたかったし、何より、何かしていたい気分だった。
座ってできることだけにしようと念を押され、紙袋の中身を用途ごとに分けていく。
最後の袋へ手を入れたところで、見慣れないものが指に触れた。
「……何、これ。ふしぎな棒……?」
紙で巻かれた細い棒が、何本も束ねられていた。一本取り出して眺めると、カインが傍へ来た。
「ああ、花火。買っといたんだよ」
「はなび?」
「えっ、花火買ってきてくれたの!?」
リシェイが駆け寄り、フェイも袋を覗き込んだ。
「手持ちか。いいじゃない」
「ねぇ、花火って何?」
尋ねても、二人は楽しそうに顔を見合わせるばかりだった。皆が知っているのに、自分には棒にしか見えない。そのことが、もどかしくも面白かった。
「外も暗くなったし、裏でやろうぜ。女将さんには話してある」
「これで遊ぶの?」
「見れば分かるって」
袋を手にしたカインが、扉へ向かう。
「祭りには連れていけなかったけど、これくらいならできるからな。たまには皆で遊ぼうぜ」
その言葉に、レミは棒を握ったまま顔を上げた。
昼間、窓の向こうに見ていた祭りの明かりを思い出す。行きたかったとは言わなかったのに、その代わりを考えてくれたのだろうか。
「……うん!」
胸の奥が温かくなり、皆の後を追った。
***
宿の裏手にある砂利の空き地で、リシェイが水の入ったバケツを置いた。フェイが袋から何本か取り分ける間に、カインがマッチを擦る。レミは驚いて目を丸くする。
「あ、危ないよ!」
「これから火ぃつけるんだって。先を人に向けるなよ。びっくりしても投げるな」
棒を持つ手を慎重に伸ばすと、その先へ小さな炎が近づいた。
チリチリと音がして、次の瞬間、眩しい光が噴き出した。
「わっ……!」
腰が引けたが、投げるなと言われたことを思い出し、慌てて握り直す。散っていく火の粉は赤から緑へ、さらに鮮やかな黄色へと変わった。
「すごい……! カイン、何の術を使ったの?」
「ただの火薬だよ。おい、覗き込むなって」
顔を近づけかけて注意され、姿勢を戻す。カインが笑うので、レミも可笑しくなった。
フェイとリシェイの手にも火が灯り、暗い空き地へ幾つもの光が咲いた。
白い煙が流れ、その向こうで皆の顔が明るくなったり、影に沈んだりする。リシェイが選ぶ次の一本は、先ほどとは違う音を立て、星のような火花を飛ばした。
術ではないというのに、魔法のようだった。
新しい一本に火がつくたび、思わず声が出た。綺麗だと振り返れば誰かが頷き、驚けば笑ってくれる。そのやり取りまで楽しくて、袋の中身が減っていくことを忘れていた。
最後の一本を渡された時、レミは急に寂しくなった。
「……これ、使わずに取っておいたら駄目かな?」
「中身は火薬だからな。湿気たら使えなくなるし、持ち歩くには邪魔だぞ」
「そっか……」
分かっていても、火をつけるのをためらった。
何か残っていれば、今日が本当にあったのだと、何度でも確かめられる気がした。
俯くと、頭へ掌が置かれた。
「そんなに落ち込むなって。また買えばいいだろ」
「また……?」
「ああ。また皆でやろうぜ。なあ――」
カインが振り返った先には、誰もいなかった。
***
「……あんのアホ二人」
宿の方へ目を凝らしても、フェイとリシェイの姿はない。揃って気配を消したところを見るに、用事を思い出して戻ったわけではなさそうだった。
片付けまで任せる気かと呆れたが、レミは最後の花火を手に、不思議そうに辺りを見回している。
「二人とも、もう終わりだったのかな?」
「……そうみたいだな」
説明するのも面倒で、カインは残った一本へ火を灯した。
レミは目を輝かせ、消えるまでじっと見つめていた。最後の火の粉が落ちると、今度は自分から燃え殻をバケツへ沈める。
残しておく代わりに、また遊ぶ約束を受け取ってくれたのならいい。
カインは彼女と並んで、空き地の端へ腰を下ろした。
「疲れてねぇか?」
「たくさん眠ったし、たくさん笑ったもの。元気すぎるくらいだよ!」
小さな拳を握ってみせるので、思わず吹き出した。
顔色もいい。昼間、寝台にいた時より、ずっと表情が明るかった。
「遊ぶって、こんなに幸せなことなんだね」
「ああ。たまにはバカ騒ぎすんのも、悪くないだろ」
「うん。本当にありがとう、カイン」
真っ直ぐな笑顔が、胸に沁みた。
こんな時間を、また作ってやりたい。
それでも、そのために話さなければならないことがある。笑顔を曇らせるのが嫌で先延ばしにしたら、今度こそ取り返しがつかなくなるかもしれなかった。
「レミ。……治癒の力のこと、話してもいいか」
彼女がこちらを向いた。
足元には燃え殻が沈むバケツがあり、風が薄れた煙の匂いを運んでくる。先ほどまでの賑わいが遠のいたように感じながら、カインは言葉を選んだ。
「今日、湖で寝てた時、お前の身体、すごく冷たくなってたんだ。呼んでも揺すっても起きなくて……ゼロに力を分けてもらって、ようやく目を覚ました」
「……そうだったの?」
「ああ」
「でも、そんなに疲れてなかったよ?」
驚く顔に、やはり自覚はなかったのだと分かった。
「自分じゃ、限界に気づけてないのかもしれない。眠ったんじゃなくて、力を使いすぎて動けなくなってたなら……次も同じように起きられるとは限らねぇ」
レミの笑みが消えた。
怖がらせたいわけではない。だが、安心させるために曖昧にしていい話でもなかった。
「原因は、まだ分からない。フェイも調べようとしてる。だから、それまでは治癒を控えてほしい。怪我をしたら、まずあいつに診てもらおう」
「私、早く治した方がいいと思ってたの。皆の怪我も……」
「ああ。俺たちも頼りすぎてた。お前の負担を考えてなかった。悪かった」
「違うよ。私が、そうしたかったんだもの」
レミは膝の上で掌を開いた。
「役に立てることがあるって、嬉しかったから……」
その手が灯す光に、何度も救われた。ありがたいと思うばかりで、差し出す側の身体まで見ようとしなかった自分へ、腹が立った。
それでも今、彼女の喜びまで否定してしまえば、話は届かなくなる。
「助けたいって気持ちまで、駄目だとは言わねぇよ。でも、お前が倒れるまで頑張る必要はないだろ」
「……うん」
「誰かが怪我したら、まず俺たちを呼んでくれ。一人で何とかしようとしないで、一緒に考えよう」
レミは掌を見つめ、やがて頷いた。
「分かった。無茶は、しないから」
真剣に聞いてくれた。そのことに安堵しながらも、目の前で誰かが苦しめば、彼女はまた手を伸ばすかもしれないと思った。
念を押しかけ、口を閉じる。
約束させるだけで済ませては、また彼女一人へ負わせることになる。
カインは小さな手へ、自分の手を重ねた。レミが顔を上げ、その指をそっと握り返す。
皆で、また花火をする。
先ほど交わした約束を、ただの慰めにしたくなかった。
次も彼女が隣で笑っていられるように、自分たちも変わらなければならなかった。
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