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EDGE ―光と闇の約束―  作者: 岩梨
第七章 星霜の灯火
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85. フェイの夢とウィリスの掌


 陽が沈み、空が濃紺に染まり始めた頃、寝台で衣擦れの音がした。



 顔を上げると、レミが両腕を伸ばしていた。

 昼間より表情がすっきりしているのを確かめ、フェイは本を閉じた。


「おはよ、レミちゃん。よく眠れた?」

「うん、すごく気持ちよかった。……でも、寝すぎちゃったかな?」

「いいの、いいの。カインたちも、まだ帰ってないしネ」


 壁の時計は十七時半を指していた。

 買い出しにしては長いが、祭りの人混みで手間取っているのかもしれない。


 レミは窓へ顔を向けた。隣町には明かりが灯り始め、一つ増えるたびに、その目が追っていく。



 やがて窓を閉め、寝台へ座り直したところで、フェイは声をかけた。


「退屈そうだネ」

「えっ……そ、そんなことないよ?」


 否定しながら、膝の上の指がもぞもぞと動いた。


「よかったら、何か話そうか。オレと話すのは楽しいんだろ~?」


 胸を張ってみせると、ようやくレミが笑った。少し迷ってから、隣をぽんと叩く。


 フェイは目を細め、その場所へ腰を下ろした。



「何が聞きたい? 仕事の裏話? それとも、家の連中の恥ずかしい話?」


「デュロアルに入ったきっかけを、聞いてみたいな。……聞いてもいい?」


 思いがけない問いに、フェイは一瞬だけ返事を遅らせた。


「リシェイとメルの話は?」

「二人から教えてもらったよ。リシェイはカインに助けてもらって、メルは、ご両親がルディナスさんとお知り合いだったって」

「そっか。じゃあ、オレねぇ……」


 いつもの調子で笑い、膝へ肘を置く。


「貧乏だったから、かな」

「貧乏……?」

「八歳で両親を病気で亡くしてさ。それから、孤児院で育ったんだ」


 レミの笑みが消えた。

 開きかけた唇を閉じ、細い指を握り込んでいる。


「……ごめんなさい。悪いこと、聞いちゃった?」

「いいんだヨ。オレが話し始めたんだから」


 そう答えてから、窓へ目を向けた。



 昔のことだと笑えば、それ以上は聞かれずに済む。いつもなら、そうして別の話へ移っていた。


 だが、レミは慰めを急がず、黙って待っていた。その沈黙に促されるように、フェイは続けた。


「両親のことを、悲しい話だけにはしたくなくてネ。楽しかったこともあるのに、亡くなった話ばかりになるのは、何だか嫌なんだ」

「……うん」


 小さな頷きが返る。分かったふりで言葉を足されないことが、ありがたかった。


「ただ、病気は……金があれば、治療できたかもしれなかった」


 治る見込みがないと言われたわけではなかった。必要な薬と治療に、手が届かなかったのだ。


 横になる両親の傍で、何かできることを探した。呼吸が苦しそうになるたび街へ走ったが、治安の悪い地区へ往診に来てくれる医者は見つからなかった。


「八歳の子どもが、出世払いでお願いしますって言っても、信用ないだろ?」


 冗談にしたつもりだったが、うまく笑えなかった。

 レミは俯いたものの、謝らなかった。ただ、こちらへ身体を向け直した。その仕草を見て、フェイも息を継いだ。



「だから、自分が医者になろうと思ったんだ。金がなくても診てやれる奴が、一人くらいいたっていいじゃない」


 両親には、もう間に合わなかった。

 それでも、医者になりたい気持ちは残った。


 同じように頼む相手を探して走る子どもを、次は自分が迎えられたらと思った。



「本、沢山読んだの?」

「読んだヨ。捨てられた医学書を拾って、分からない言葉は図書館で調べてさ。暗記だけは得意だったから、片っ端から頭に入れた」

「難しくなかった?」

「難しかった。だから、毎日通ったんだよネ」


 本屋で立ち読みを続け、店主に追われたこともある。買うつもりがないと思われても仕方なかったが、ほかに読む方法がなかった。


「そうやって本にかじりついてたら、同じくらい本が好きな、あの人に会ったわけ」


「……ウィリスさん?」

「そのとーり」



 名を口にすると、自然に笑みが戻った。



 いつも見かける薄墨色の髪の青年に声をかけられた時は、店の者へ言いつけられるのかと警戒した。


 だがウィリスは、読んでいた本を覗き、どこまで分かったのかと尋ねてきた。試されている気がして、覚えた内容をできるだけ並べたことまで、今も覚えている。


「知ったかぶりも、すぐ見抜かれたけどネ」

「怒られた?」

「いや。『それだけ覚えられるなら、意味が分かればもっと面白くなりますよ』って」



 笑われなかった。


 子どもの思いつきとして片付けられず、何を学びたくて、何が分からないのかを聞いてもらえた。

 そのことが嬉しくて、気づけば医者になりたい理由まで話していた。


「それで、デュロアルへ連れていってくれたんだ。十二歳の時だったかな」

「そんなに小さい頃から……」

「当時は、組織もようやく黒字になった頃でさ。ゼロには言われたヨ。働けもしない、金のかかるガキを置いてどうするんだって」

「……ゼロさんらしいね」

「だろ〜?」


 フェイは苦笑した。


 正しい指摘だったから、余計に腹が立った。役に立てると言い返したくても、何ができるのかと聞かれれば答えられない。


 その時、ウィリスが笑った。



『この子ほど、デュロアルの未来に相応しい人はいませんよ』



 レミに伝えると、彼女は驚いた顔でこちらを見た。


「そんなふうに……」

「よく言うよね。医学書を覚えてただけの子どもにサ」


 軽く返したが、あの言葉は一度も忘れていなかった。


 まだ何もできない自分に、できるようになる先を見てくれた。その期待を、口先だけのものにはしたくなかった。


「教わるの、頑張ったんだね」

「そりゃあネ。あれだけ言ってもらって、やっぱり駄目でした、じゃ格好つかないでしょ」


 基礎を教える時間は、ウィリスが忙しい仕事の合間に作ってくれた。隣には未処理の書類が積まれ、目元に疲れが見える夜もあった。


 それでも質問すれば手を止め、フェイが理解するまで付き合ってくれた。課題を終えると「よく頑張ったね」と目を細め、頭へ手を置く。


「毎回、子ども扱いすんなって文句言ってた」

「……嬉しくなかったの?」

「そこ、聞く?」


 レミが不思議そうに瞬いたので、フェイは降参して肩をすくめた。


「嬉しかったヨ。……本人には、あんまり言いたくないけど」

「きっと、知ってると思う」

「まあ、あの人だしネェ」


 何もかも見透かしているようで、面白くない。それでも、帰った時に声を聞けば安心する相手だった。


「文句を言っても、全然やめてくれなくてさ。『可愛い教え子の成長が嬉しいだけなので、大目に見てください』って」

「ウィリスさん、嬉しかったんだね」

「……そうなら、いいけど」


 そう答えると、レミは柔らかく笑った。


「今のフェイを見たら、嬉しいと思うよ。ちゃんと、誰かを助ける人になってるもの」



 フェイは返事に詰まった。



 まだ足りないことばかりだった。今日だって、目の前の彼女へ何を伝えるべきか決められずにいる。


 それでも、その言葉をすぐに軽口へ変える気にはなれなかった。



「……ありがと」



 小さく返すと、レミはただ頷いた。



 こんなふうに受け取ってもらえるから、普段なら話さないところまで口にしてしまうのだろう。



 フェイは一度喉を鳴らし、話を先へ戻した。


「専門の勉強へ進めるようになってからは、ルディナスさんが、リアンシティの医者を紹介してくれた。孤児院の健診も、無償で引き受けるような人でネ」

「フェイが、なりたいお医者さんだ」

「そう。今も、全然敵わない師匠だヨ」


 そのもとで医学を学びながら、デュロアルの仕事も覚えていった。生活の面倒を見てもらうだけだった場所が、少しずつ、自分も支えたい場所へ変わっていった。



 リシェイにとってカインが兄なら、自分にはウィリスがいる。


 面と向かってそんなことを言えば、きっと嬉しそうに笑われる。それが照れくさくて、まだ一度も言えていなかった。


「それじゃあ、フェイは『家』で四番目に入ったの?」

「そうそう。歳は下でも、デュロアルじゃカインより先輩なんだヨ」

「知らなかった……!」

「あいつ、先輩を敬う気が全然ないからねぇ」


 わざと嘆くと、レミが声を立てて笑った。



「でも、創設のきっかけは、詳しく知らないんだ。ゼロは謎だらけだし、ウィリスも、ルディナスさんに誘われたとしか話さないし」

「そうなんだね」

「ま、いつか聞けたら聞くサ。オレにとっては、あそこへ連れてきてもらえたことが、一番大事だから」


 口にしてから、今日は随分素直だと自分で可笑しくなった。


 レミは茶化さずに頷き、それから少し身を乗り出した。


「カインが来た時も、フェイはいたんだよね?」

「いたヨ。……ああ、あの頃か」



 初めて会った日の、刺々しい眼差しが浮かぶ。


 仲間にすら噛みつきそうだった青年が、今では、目の前の少女のことで頭を抱えている。本人に言えば怒るだろうが、その変化を傍で見られたことも、フェイには嬉しかった。


 口元に、いつもの笑みが戻る。



「あいつの荒み具合は……本当に凄かったなぁ~」



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