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EDGE ―光と闇の約束―  作者: 岩梨
第七章 星霜の灯火
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83. 籠の中の小鳥


 旧街道を歩き続け、ようやく辿り着いた村には、のどかな田園風景が広がっていた。


 道端で子どもたちが追いかけ合い、畑から戻った大人が声をかける。エリザ村で見たものが頭に残っていたせいか、そんな光景に、フェイは思った以上にほっとした。



 宿を取って荷物を下ろすと、カインとリシェイは隣町へ買い出しに出かけた。歩けば二十分ほどの距離だが、今日は祭りで人が多いという。

 人混みを避け、レミはフェイと留守番をすることになった。



 三階の部屋には、畑を渡った風が入ってくる。


 フェイは丸テーブルへ医学書を広げたが、窓際の寝台に座るレミが気になり、何度も同じ行を読み直していた。


 少し前までは、女将に聞いた祭りの話をしていた。今は会話も途切れ、レミは実り始めた稲穂と、その向こうに見える街並みを眺めている。


 外で子どもの笑い声が上がると、銀色の頭が僅かに動いた。


「……お祭り、賑やかそうだね」

「この時期は、近くの村からも人が集まるんだってサ」

「そっか……」


 レミは頷き、それきり黙った。


 どんな店があるのか、何をする祭りなのか。普段なら続きそうな問いが、今日は出てこない。


「なんだか、押さえつけるみたいでごめんネ」

「えっ?」


 振り向いた顔に、慌てて笑みが浮かんだ。その作り方を見て、フェイは余計なことを言ったと思った。


「外に出たいかもしれないケドさ。怪我が治ったばかりだし、少し前まで危ない状態だったから……」

「うん。分かってるよ。フェイも、お出かけできなくなっちゃって、ごめんなさい」

「オレは構わないヨ。本も読めるし、のんびりするのも嫌いじゃないから」


 軽く肩をすくめる。だが、レミは本を見てから、もう一度フェイへ目を向けた。



「……ちゃんと、読めてる?」

「え?」

「さっきから、あまり頁が変わってない気がして。私のことが気になって、集中できないのかなって……」


 フェイは口元を緩めた。


「難しいところで、引っかかってるだけだヨ」

「そうなの?」


 嘘を疑うような目ではなかった。自分を気遣ってくれているだけだった。それなのに、いつもの調子で返した言葉が、喉の奥に残った。


 彼女は時々、何気ない一言で、こちらの隠したいところへ触れてくる。からかいも駆け引きもなく、見えたものをそのまま受け止めてしまうから、軽口では逃げ切れない。


 そういうところに惹かれる気持ちは、フェイにもあった。



 けれど今、望むのは、その目に余計な心配を映させないことだった。自分を気遣うより先に、彼女自身のために笑っていてほしかった。


「……ちょっと考え事もしてた。レミちゃんのせいじゃないヨ」


 今度は、それだけ答えた。



 ***



 買い出しに出る直前、カインはフェイとリシェイを廊下へ呼び出した。

 扉が閉まると、その顔からいつもの強気な色が消えた。



 ゼロから聞いた話だという。


 力の限界を制御する機能に異常があり、レミは治癒の際、生命力まで消費しているかもしれない。これまで治癒の後に眠り込んだ時も、単に疲れていただけではない可能性がある。



 話を聞くうち、フェイの胸は冷えていった。



 自分たちも、あの光に何度も救われた。傷が塞がるたびに安堵し、彼女が眠れば、疲れたのだろうと休ませた。

 目を覚ませば笑っていた。その結果ばかりを見て、身体の内側で何が起きているのか、疑わなかった。


『……ホント、オレって何やってんだろうね』


 絞り出した声は、思ったより低かった。


 異常な回復力を目の前にしながら、自分には扱えない領域だと、どこかで線を引いていなかったか。

 過酷な旅では、たちまち傷を塞ぐ力が頼もしかった。彼女が嬉しそうに手を差し伸べるから、こちらも安心して受け取った。


 助かると思った。


 だから、止めなかった。


『アタシ、何にも考えてなかった……』


 リシェイが涙を零した。普段なら何か言って宥めるところだったが、今は慰めの言葉も浮かばなかった。


『誰を責めたって仕方ねぇよ。今からでも、できることをしよう』


 カインは閉ざされた扉へ目を向けた。


 術を控えさせれば、少なくとも消耗は減らせる。ただし、それだけで安全だとは言い切れない。ゼロにも治療法は分からず、リミッターの異常そのものも、まだ推測だった。


『俺一人じゃ、目が届かない時もある。二人とも、頼む。あいつが無理しねぇように、協力してくれ』


 その声が僅かに震えた。


 カインがレミをどう想っているのか、フェイはもう知っている。彼女の方も、分からないと言いながら、何かあるたびにカインを目で追っていた。


 二人とも、もう少し自分の顔を鏡で見ればいい。


 そうからかってやれる日を、フェイも楽しみにしていた。その先が失われることなど、考えたくなかった。



『……ただ、レミには、力を使えば静かに死ねるなんて言わないでくれ』

『どうして?』


 リシェイが顔を上げた。フェイも、本人に知らせるべきではないかと思った。


 自分の身体に何が起きているのか。それを知ることは、これからを選ぶためにも必要なはずだった。


 カインは唇を噛んだ。


『今のあいつなら、悲しむって言えば考え直すかもしれない。でも……また、何もかも嫌になったら?』


 扉へ向けた視線が戻らない。



『苦しまないで済む方法だって、思われたら……』



 フェイは口を閉じた。


 何もかも諦めたような顔を、覚えている。自分の居場所などないと、静かに告げた声も。


 誰かを救いながら、自分は消えられる。もし、そう受け取ってしまったら。


『……あいつ、誰かの命を救えるなら、自分のことなんか後回しにするだろ』


 カインがこちらを見た。



『死なせたくないんだ。絶対に』



 その願いは、フェイも同じだった。

 だからこそ、すぐに正しさを言い返せなかった。


 ただ、いつまでも黙っていてよいとも思えない。分かっていることと推測を分け、危険を伝えながら、彼女を追い詰めない説明を考えなければならなかった。


『まずは、治癒を控えて休んでもらおう。詳しい話は、どう伝えるか、もう少し考えさせて』


 そう提案すると、二人は頷いた。

 結論を先延ばしにしただけかもしれない。それでも、あの場でフェイが出せた答えは、それしかなかった。



 ***



「……フェイ?」


 呼ばれて、開いた本から顔を上げると、レミがこちらを見ていた。澄んだ青い瞳が、真っ直ぐにこちらを捉えている。


「私、ちゃんと休むから。そんなに心配しないで」

「……そんな顔してた?」

「うん。少し」


 困ったように笑われ、フェイも口元だけを上げた。


「参ったネ。医者が先に不安そうにしてちゃ、格好つかないな」

「でも、私のことを考えてくれているんでしょう?」


 責める響きはなかった。それどころか、彼女は少し嬉しそうだった。


「ありがとう。フェイがいてくれるから、私も安心できるよ」


 胸の奥が痛んだ。


 こちらは、何を伝えるべきかさえ決められずにいる。その気持ちごと、彼女は善意として受け取ってくれる。


 嬉しいと思う。

 だからこそ、その信頼に甘えたくはなかった。


「……じゃあ、その分、ちゃんと役に立たなきゃね」


 軽く返し、机の上の水差しへ手を伸ばした。差し出したカップをレミが両手で受け取り、少しずつ飲む。


 怪我はまだ残っている。旅の疲れも抜けてはいない。休んでほしいのは本当だった。

 けれど、窓へ向く眼差しまで、見ないふりはできなかった。


 研究所と同じではない。そう思いたいのは、こちらの都合なのだろう。外へ出たい時に出られず、理由も十分に知らされない。その窮屈さを、守るためだからと受け入れさせている。



「眠くなったら、横になっていいヨ」


 言うと、レミはカップを置いた。


「……うん。そうするね」


 毛布を引き寄せ、素直に寝台へ横たわる。その動きを見て、フェイは自分の言葉を思い返した。


 今すぐ眠れとは言っていない。

 けれど彼女には、そう聞こえたのかもしれなかった。


 レミは何も文句を言わず、目を閉じた。窓から入った風が銀髪を揺らし、外では子どもたちが笑っている。


 その素直さに安心しかけた自分が、フェイは嫌になった。


 守りたい。無事に休んでほしい。

 その願いと、彼女がどう過ごしたいかを尋ねることは、本来、両立できるはずだった。



 ――祭りへ、行ってみたかった?



 口にしかけて、止まった。行きたいと答えられた時、自分はどうするつもりなのか。何も叶えてやれないまま、また我慢だけを頼むことになるのではないか。


 外から、祭りへ急ぐらしい人々の声が聞こえた。レミの瞼が僅かに動いたが、そのまま開くことはなかった。



 風に押され、医学書の頁がめくれた。


 フェイはそれを押さえた。


 今の彼女に何をしてやれるのか、答えはまだ、そのどこにも見つからなかった。





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