81. 安息へ導く誓い
湖畔の荷物をまとめ、出立の準備が整うと、ゼロは再び刀を腰に差した。
「それでは俺は先に行く。お前たちの歩調に合わせるわけにもいかんのでな」
「ああ。……なあ、来た時にレミに何かしただろ。あれ、どうやったんだ?」
冷えて眠っていたレミは、ゼロの処置で元気を取り戻した。
自分にもできることなら、覚えておきたかった。何もできずに見ているだけは、もう嫌だった。
「あれは俺のエーテルを分けただけだ。術へ変換せずに取り出し、レミの体内の流れに沿わせて補った」
「俺にもできるか?」
「応急処置にすぎん。治癒術とは違うぞ」
「分かってる。それでも、教えてくれ」
ゼロはカインの顔を見据え、短く頷いた。
「お前なら、要領を得るのは難しくない。来い」
「ありがとう。皆、ちょっと待っててくれ」
二人は再び、仲間たちから離れた。
***
エーテルの制御そのものは、修行で叩き込まれている。カインが掌へ意識を集めると、赤い光が灯り、僅かに熱を帯びた。
その手首を、ゼロが押さえた。
「火に変えるな。放つ前の状態で留めろ」
「……いつもの癖だ」
「焦れば、慣れた使い方へ戻る。レミを相手に、それをするな」
カインは唇を結び、集めた力を一度戻した。助けたいと思っているのに、その焦りが邪魔になる。
深く息を吐き、今度は熱を生む前の流れを慎重に拾い直した。ゼロが差し出した手へ、少量ずつ送り込んでいく。
「……それでいい。後は相手の流れに合わせろ。無理に押し込むな」
「ああ」
「ただし、お前自身の消耗も大きい。注いだ量ほど回復するとは限らん。一時凌ぎだと思え」
「俺が倒れちゃ、何にもならねぇってことだろ」
「そういうことだ」
手を離すと、カインは掌を見下ろした。
これで少しは助けられる。それは嬉しかったが、彼女の身体が元に戻るわけではなかった。
「……どうしたら、あいつは治るんだろうな」
限界で止まれず、力とともに命まで零れているのだとしたら。眠っている間さえ安心できない身体を、どうすれば元へ戻せるのか。
「仮にリミッターが壊れているとして、それを修復する方法など知らん。ライフェンなら知っているかもしれんが、奴とて壊すだけで、戻せん可能性もある」
「くそっ……」
拳を握ると、ゼロは低く息をついた。
「少なくとも、余計な術を使わせるな。今、確実に減らせる負担はそれだ」
カインは顔を上げた。
壊れているのが限界で止める仕組みなら、限界へ近づけなければいい。そう考えかけたところへ、ゼロの声が続いた。
「だが、術の消耗だけを見ていれば済むとは限らん。心身の疲労も負担になるだろう」
「旅で歩き回るのは疲れるだろうけど……」
「レミは、何から逃げている?」
言葉に詰まった。
ライフェンから逃れ、捕まれば何をされるかも知っている。仲間を信頼し、笑って過ごしていても、その恐怖まで消えたわけではない。
「時間を稼ぎ、考えを変えさせたいのだろう。だが、行程を延ばすほど、追われる時間も長くなる」
「でも、このまま救済の聖地へ行ったって、幸せになれるか分かんねぇだろ!」
北のラメント大陸のさらに果て、エヴァルナを経由して向かう孤島。そこでは、過去の罪を問われず、また、外界の干渉を受けずに暮らせるという。
ライフェンですら手出しが出来ないのかもしれない。
一方で、真の自由はないとも囁かれていた。内情を伝えるのは、百年以上前に脱出した重罪人の証言が主であり、今の暮らしを確かめる術はない。
「各地を歩く俺とて、あの場所の明確な情報は得られん」
「そんなの、分かってる」
「ならば、そこで生きる者が皆、不幸だと決めつけるな。出られなかった者も、出たくなかった者もいるかもしれん」
カインは唇を噛んだ。
「何を幸せに感じるかは、人によって違う。……他人に、自分の幸せの定義を押し付けるな」
言い返そうとして、声が止まった。
聖地の暮らしを知らないまま、不幸に決まっていると考えていた。そこへ行かれたら、自分が二度と会えなくなるからではないのか。
その疑いが胸を刺す。
けれど、雨の中で聞いた声まで、聞かなかったことにはできなかった。
「……一人ぼっちは怖いって、あいつは言ったんだ」
ゼロが黙ってこちらを見た。
「あそこへ行けば捕まらずに済む。それは分かる。でも、本当は誰かと一緒にいたいなら……ほかに何もねぇって、諦めてほしくない」
自分の願いと、彼女の望みを、都合よく重ねているのかもしれない。
それでも、ほかの道を探すことまでやめたくはなかった。
知らない楽しみを教わって笑っていた、先ほどの顔を思い出す。あんな時間が、彼女の未来にもあってほしかった。
「……今のレミに必要なのは療養だ。何者にも脅えず、身体を休められる場所。その意味では、彼女の望む聖地行きが適している可能性はある」
「ああ。だからって、そこへ送れば終わりだとは思えねぇよ」
ゼロは僅かに目を伏せた。
「俺には、ほかの道を指し示すことなどできん」
「分かってる。何から何まで頼るつもりもない」
「当面は、聖地を目指すのだな」
「ああ。行き当たりばったりに動けば、余計に負担をかける。今は、そのつもりだ」
手放したくない。その気持ちは変わらない。
だからこそ、焦りに任せて彼女を振り回すわけにはいかなかった。
「……了解した」
ゼロが踵を返した。仲間たちの待つ湖とは、違う方向だった。
「おい。何の挨拶もしないで行く気か?」
「別に、今生の別れではないだろうが」
リアンシティへ帰れば、また会える。
長旅のせいか、その当たり前を忘れかけていた。カインが口元を緩めると、ゼロは面倒そうに続けた。
「いちいち別れの挨拶などしたくはない。俺はこのまま行く」
「相変わらずだな。……久々に会って、色々むかついたよ。サンキュ」
「それは結構なことだ。俺も久々に会って、相変わらずの甘さに吐き気がした」
「そりゃ、どーも」
ゼロの表情が、僅かに和らいだ気がした。
だが、背を向けかけたところで足が止まる。振り返った隻眼は、もう笑っていなかった。
「……本人が気づかぬ程度のエーテル切れなら、先ほどの処置で多少は凌げる。だが、本人も気づかざるを得ないほどの決定的な症状が現れた時……それは身体からの最終警告だと思え」
カインの喉が、小さく動いた。
「他人への治癒は、これ以上控えさせろ。それで消耗は減らせる。だが、使わなければ安全だとまでは思うな」
「……症状が出たら、もう補えないのか?」
「多少持ち直しても、失う分に追いつかなくなるかもしれん。落ち着いたように見えたからといって、それで済んだと思うな」
教わった方法が、万能ではないことは分かっていた。それでも、目の前で効かなくなる時を想像すると、掌が冷えた。
「治療法は、俺にも分からん。肝に銘じておけ」
カインは固唾を呑み、頷いた。
ゼロはそれを見届けると、今度こそ振り返らずに去っていった。
***
「あれ? 怖い兄さんは?」
湖へ戻ったカインを見て、フェイたちが辺りを見回した。
「あいつはもう行ったよ。別れの挨拶なんて面倒だからってさ」
「ゼロらしいネェ。まあ、引き止めたって困った顔しかしないだろうケド」
リシェイも「言いそう」と笑ったが、レミは残念そうに肩を落とした。
「せめて、お礼とご挨拶くらい、したかったな……」
その横顔を見て、カインは気づいた。
ゼロは、帰れば会えると思って去った。自分もそのつもりで見送った。
けれどレミだけは、これを最後の別れとして受け止めている。リアンシティへ戻る未来が、まだ彼女の中にはないのだ。
「……また会えるよ」
「え?」
見上げてきた顔へ、カインは笑ってみせた。
「あいつ、ふらっと現れるからな。今日だってそうだっただろ」
「……うん。そうだね」
レミの目元が、少し和らいだ。
嘘ではない。それでも、その偶然を待つだけにするつもりはなかった。
光溢れる花畑で交わした契約も、雨の中で心へ刻んだ誓いも、自分の中に残っている。
彼女が望む安息の場所へ、必ず導く。
それがどこなのか、まだ答えは出せない。だが、ほかの幸せを知らないまま、ただ一つしかないと思い込んで別れるのは嫌だった。
また皆で笑い合える未来を、彼女と一緒に探したかった。
「行こうぜ。次の村まで、少しずつな」
差し出した手を、レミが取った。
その温もりを確かめながら、カインは仲間たちと湖を後にした。
続きが6章ラストなので、夜に更新できたらします。




