8. メルのお迎え
「もう、本当に無茶ばかりなさるんですから! 私がどれだけ心配したと思っているんですか!?」
カイン達がリーン大陸を飛び出した翌朝。
可愛らしい少女の小言が、まだ薄暗い早朝の空気に響き渡る。
東の空は白み始めたばかりだが、この様子なら今日は快晴になるだろう。潮の香りが漂うリアン港からは、早朝の漁へ飛び出していく船の灯りがぽつぽつと遠ざかっていくのが見えていた。
今朝、夜通しの航海を経てリアン港へ到着したカインは、公衆の伝声機を使って組織へ連絡を入れた。
昨夜はすれ違いで連絡が取れず帰宅していた同僚の少女――メルは、早朝の報せに飛び起きると、すぐさま魔導車を走らせて港まで迎えに駆けつけてくれたのだった。
「ウィリスさんやルディナスさんにも慌てて相談して、昨日は心配で寝不足なんですよ! ……はぁ、夜更かしなんてお肌の大敵なのに……! 今日のメイク、ノリが悪かったらカインさんのせいですからね!」
ピンク色のベレー帽をきゅっと直し、外側にくるりと跳ねたグリーンアッシュの髪を揺らしながら頬を膨らませる。
十七歳のメルはレミと歳が近く、組織『デュロアル』では魔導機関を専門とする魔導具士だ。
小柄で可憐な容姿に反し、魔導回路や精密機関を扱う腕前はその筋で一目置かれる才女である。だが、普段から機械油まみれになることもある生業だからこそ、人一倍おしゃれやスキンケア、可愛いお洋服には敏感な年頃の女の子だった。
助手席のカインは、反省半分、うんざり半分といった様子で大げさに両手をひらひらと振ってみせる。
「悪かった悪かった、メルにはマジで感謝してるって。けどさ、そもそもはあのクソジジイ……クライアントが現場で勝手にパニくって暴走したのが悪いんだろ! 研究所の警備ゴーレムを刺激して大騒ぎを起こした挙句、自分だけ私設護衛に担がれて真っ先にトンズラしやがって。おかげで俺まで巻き込まれて足止め食らったんだぞ」
「……まぁ、あの方ならやりかねないとは思いますけど……」
メルはハンドルを握りながら苦笑いを浮かべた。
「一発ぶん殴っておけば良かった」と物騒な愚痴を吐き捨てるカインに、メルはそれ以上の小言を引っ込める。
「クライアントからは、カインさんが戻る前にお怒りの連絡が入ってましたよ。『護衛の分際で勝手にはぐれおって! 報酬は減額だ!』ってキャンキャン騒いでました」
「ケッ、ふざけんな。あいつの身の安全は確保して外へ逃がしたんだから、護衛の契約は全うしてんだよ。あんな砂漠の僻地に取り残されて、もし船賃持ってなかったらどうやって帰ってこいってんだ。金さえ払えば何でも許されると思いやがって!」
いつになく感情を露わにするカインに、メルは少しだけ気を引き締めた。普段は気さくで飄々とした仲間だが、怒りを露わにした瞬間の鋭い眼光は、やはり歴戦の凄腕ファイターそのものだ。
もっとも、そのクライアントは組織のメンバー全員が嫌悪しているような傲慢な成り上がり貴族でもある。メルとしても、噂を聞くだけでうんざりしていた相手だった。
ふとメルは、バックミラーへと視線を向けた。
後部座席では、レミがちょこんと身を縮めて座っている。
丸みを帯びた屋根に、木枠で縁取られた窓。
青灰色の小ぶりな魔導車は、街で主流の馬車と違って馬を必要とせず、前方に嵌め込まれた魔水晶の淡い光を動力にして静かに走る。魔導車の維持には高度な技術が必要だが、デュロアルにはメルをはじめ整備を担える者が揃っているため、こうして日常の足として活躍していた。
「寒くないですか? 足元のブランケット、使ってくださいね。……えっと、レミさん、で合ってますよね?」
バックミラー越しに優しく問いかけると、レミはびくっと肩を揺らし、恐る恐るコクリと頷いた。そして、用意されていた柔らかなブランケットを胸元までぎゅっと引き上げる。
(うわぁ……近くで見ると、ますます信じられないくらい可愛い……!)
港で合流した時、カインの隣に佇んでいた彼女を見て、メルは思わず息を呑んだものだ。
座席に広がる見たこともないほど艶やかで長い銀髪、透き通るような白い肌、そして吸い込まれそうな青い瞳。
カインから「あの研究所の奥に閉じ込められて、酷い実験をされていた子だ」とだけかいつまんで聞かされたメルは、言葉を失って怒りに震えた。
そして、怯えたようにカインのジャケットの裾を握りしめて離れない姿を見て、理屈抜きで「絶対にこの子を守ってあげなきゃ」と即座に受け入れたのだった。
メルは助手席のカインをチラリと睨み、それからレミへ満面の笑みを向けた。
「私のことはメルって呼んでくださいね! レミさんとお友達になれたら、私すっごく嬉しいです!」
「は、はい……っ」
ぎこちなく返事をしたレミは、どこか居心地が悪そうに視線を落とし、ぽつりと呟いた。
「私……迷惑、じゃないかな? 何もできないのに……」
「迷惑なわけないじゃないですか! もう、大歓迎です!」
メルは力強く即答した。
「歳も近そうですし、女の子のお友達ができるなんて最高です! 一緒にお買い物行ったり、可愛いカフェでお茶したりしましょうね!」
「ほらな。言っただろ?」
カインが助手席から振り返ってからかうように笑うと、レミは張り詰めていた肩の力をふっと抜き、小さく「……ありがとう」と呟いた。
「それにしても、レミさん本当に綺麗すぎます……! 髪も信じられないくらいサラサラですし、そのお肌の透明感、一体どうなってるんですか!? うぅ、すっぴんでその輝きは反則です、羨ましすぎます……!」
「す、すっぴん……?」
首をかしげるレミに、カインは思わず吹き出す。
この純粋な少女なら、デュロアルの仲間たちともすぐに打ち解けられるだろう。カインがそう確信して息を吐いた矢先、メルが呆れたように目を細めた。
「……あ。でも、フェイさんには要注意ですね。絶対に大騒ぎしますよ」
その名が出た瞬間、カインの片眉がピクリと跳ね上がった。
「あいつには絶対会わせねぇ。近づけさせもしねぇぞ。あのバカ、可愛い女と見れば見境なく口説きにかかるからな」
「でも、一緒に暮らすなら顔を合わせないわけにはいかないですよ?」
助手席と運転席で繰り広げられる不穏な空気に、レミは後部座席でおずおずと尋ねた。
「フェイ……さん?」
カインには家族のような大切な仲間がたくさんいると聞いていたが、その一人だろうか。怯えるように問いかけてくるレミに、カインは至って大真面目な顔で忠告した。
「いいか、レミ。デュロアルの連中は基本的にいい奴らだけど……フェイってチャラ男にだけは気をつけろ。調子のいいこと言って、すぐ口説こうとするからな。話しかけられても無視しろ」
「手を出す? 殴られるの……?」
レミの青い瞳に、怯えの色が走る。
カインは慌てて両手をぶんぶんと振った。
「違う違う! そういう暴力の手じゃない! 暴力の心配はもう金輪際しなくていいんだって!」
殴られるのではないなら、どういうことなのだろう。文字通り手を差し出されるのだろうか?
レミは不思議そうに、膝の上で自分の両手をじっと見つめ直した。
研究所の冷たい部屋しか知らず、世間一般の知識がすっぽりと抜け落ちている少女に、手を出されるの意味が分かるはずもない。
会話がまったく成立していない様子に、カインは頭を抱えた。
「この調子じゃ、あいつのキザな口説き文句も通じねぇか……」
「ふふっ。でも、こんな美少女を前にしてフェイさんが黙っているはずありませんよ。……あ、そうだ! カインさん、名案があります!」
メルはポンと片手でハンドルを叩き、楽しそうにミラー越しにレミを見た。
「『カインさんの恋人』ってことにしちゃえばいいんじゃないですか? さすがのフェイさんも、カインさんの彼女には手を出せないはずですよ!」
「ばっ、バカ言うな! なんでそうなるんだよ!!」
思いも寄らぬからかいに、カインは盛大に狼狽した。 戦いでは度胸の据わったカインが狼狽える姿に、メルは助手席を横目に「あはは、カインさん可愛い〜!」と大笑いする。
そんな二人のやり取りを、レミはますます分からなそうに見つめていた。
「ねえ、『コイビト』って、なあに?」
天使のような無垢さで投下された純粋な疑問に、二人は同時に固まり、目を丸くした。
「……」
「……」
しばしの沈黙の後、カインは盛大に脱力してシートに背中を預けた。
これなら、どれほど言葉巧みなフェイが口説き文句を並べ立てたところで、一撃で撃沈するに違いない。メルとカインの意見が完全に一致した瞬間だった。
むしろ、渾身のキザな笑みを浮かべたフェイが、暖簾に腕押し状態で頭を抱えて混乱する未来が目に浮かび、カインの口元には少しだけ意地の悪い笑みが浮かんでいた。




