77. リミッター
カインは皆に「ゼロと少し積もる話がある」と告げ、湖から離れた。
高い太陽が肌を焼く中、ゼロは湖畔を一瞥した。
「アレは……」
「レミだ。そういう呼び方はやめろよ」
物のように扱われると、ライフェンを思い出す。本当の名前ではないのかもしれない。それでも、今ここにいる彼女を呼ぶための名だった。
ゼロは僅かに間を置いた。
「……レミは非力に見えるが、内に秘めたエーテルは桁外れだ」
「分かってる。何度も見てきたからな」
「あの力で治癒を行えば、効果も凄まじいだろう。頻繁に頼んでいるのか?」
「まあ……怪我をすれば、な」
シンとの戦いで負った傷も、昨夜の深手も、彼女が治してくれた。リシェイやフェイが傷ついた時も同じだ。差し伸べられる光を、疑ったことはなかった。
「お前たちは、レミを殺す気か?」
カインの顔が強張った。
「……ふざけんなよ。何言ってんだ」
「リミッターという概念を知っているか」
「話を逸らすな! 何で俺たちが、あいつを殺さなきゃならねぇんだ!」
守るために旅をしている。その相手を殺すなど、聞き捨てならなかった。
ゼロは声を荒らげずに続けた。
「走り続ければ、いずれ脚は動かなくなる。術も同じだ。使える力が尽きれば止まり、身体を壊す前に制御がかかる。だが、レミは限界に達しても止まっていなかった」
「……眠ってた時の、あの光か?」
「ああ。リミッターが壊れているのではないかと疑っている」
「壊れてるって……」
「似た状態になった術士を、一度見たことがある」
敵を倒せず、背後には守るべき者がいた。術士は力が尽きても詠唱をやめず、無理に術を使い続けたという。
「使えるエネルギーを失っても、なお術を行使する。その時、何が消費されると思う」
「まさか……」
「生命力だ」
最後の術を放つと、その術士は安堵した顔で倒れた。傷一つなかったが、身体は冷え切り、二度と目覚めなかった。
「レミも、そうなってるって言うのか?」
「断定はできん。だが、意識を失っても力が漏れ、身体は冷えていた。単なる居眠りと見なすには不自然だ」
気持ちよさそうだから、寝かせておこうと思った。あの時、自分は笑ってさえいた。
「他人へ力を与えれば、負担はさらに大きい。制御が利かなければ、本人も気づかぬまま命を削っている可能性がある」
「命……」
治してもらえば助かる。疲れたら休めばいい。そんなふうにしか考えていなかった。
「目覚めたからといって、問題がなくなったと思うな。使い続ければ、いつか戻らなくなるかもしれん」
呼びかけても目を開けず、冷たくなっていく彼女の姿が、頭から離れなくなった。
「……せめて、苦しまずに逝けるかもしれんがな」
全身の血が凍りついた。
昨夜も、レミは治癒の途中で眠った。身体が冷たかったのは雨のせいだと思っていた。以前、重傷を治してもらった時も、目覚めれば笑っていたから、大丈夫なのだと。
守ると誓いながら、自分たちまで彼女を追い詰めていたのか。
傷つくたびに、仲間が倒れるたびに、その手を頼った。助けを求める言葉が、知らずに「命を削れ」と告げることになっていたのなら。
「何で、あいつの身体がそんなことに……! 普通、限界が分からなくなるなんて――」
言いかけて顔を上げた。
――彼女を閉じ込め、執拗に研究していた男がいる。
「人間の制御機能へ手を加えるなど、常軌を逸した処置だ。だが、あの男なら試みても不思議ではない」
「……ライフェン……!」
研究所を逃げ出しても、身体の中にまで手を残しているのか。そう考えただけで、奥歯が軋んだ。
「無理に限界を超えさせれば、身体が耐えられず朽ちることもある。レミとて例外とは限らん」
「だから俺が守る! 元に戻す方法だって、絶対に見つける!」
「惚れたのか?」
カインは口をつぐんだ。隻眼の水色の瞳が、冷ややかにこちらを見ている。
「やめておけ。過ぎた感情は、お前を不幸にするぞ」
「……何だと?」
ようやく認められた想いを、捨てろというのか。
「それほどの力を使いながら生き長らえている。身体をどこまで変えられたかも分からん」
「……言うな」
「そもそも、人の腹から生まれた存在かどうかさえ――」
「言うなっつってんだろ!」
胸倉を掴む。カインの瞳が赤く染まっても、ゼロは目を逸らさなかった。
「命を使い潰すまで力を出せる。それが攻撃に向けば、恐るべき兵器になる。回復を続ける部隊を作ることも――」
「レミはレミだ! どんな力があったって、あいつは人を傷つけたりしない!」
「では、お前は?」
息が止まった。
自分の意思とは関係なく、大切な人を傷つけた。その痕は、彼女にまだ残っている。
「仲間として気にかける程度なら口を出さん。だが、愛情など抱いているなら捨てろ。あれは最早、女の姿をした化け物かもしれん」
「黙れ!」
拳がゼロの横面を打った。彼は一歩後退しただけで踏みとどまり、切れた口から血を吐いた。
「……酷な言い方だが、お前を思えばこその忠告だ」
「余計なお世話だ! 何も知らねぇくせに!」
「事情を聞けば、慰めが返ると思うな。旅の目的も変わってはいないだろう」
「分かってる! だから何とかしようとしてるんだ!」
この気持ちが、どれほど自分を支えているか。彼女が真実を知っても離れず、受け入れてくれたことが、どれほど嬉しかったか。
それを、捨てた方がいいもののように言わないでほしかった。
「……化け物だってなら、俺だって同じだ」
胸倉を放し、ゼロを睨み据える。
「その言葉、あいつの前では絶対に言うな。口にしたら、俺が許さない」
踵を返しても、怒りで足が震えた。
初めて出会った頃、レミは笑いかけても、不思議そうにこちらを見ていた。その寂しそうな瞳が少しずつ微笑むようになり、誰にも踏み込ませたくなかった自分の内側へ、真っ直ぐに手を伸ばしてくれた。
あの温もりを、なかったことにはできない。
レミはもう、手放せない光だった。
***
木陰へ戻ると、レミは掌に白い光を灯し、自分の怪我へかざしていた。
「やめろ!」
つい先ほどゼロから『死を招く光』だと告げられたばかりのそれが、目の前で放たれている。
戻ってきたカインは血の気が引く思いで彼女の元へ駆け寄り、その手首を掴んだ。
命まで削っているかもしれない光が、今も彼女から零れている。
「カイン……?」
「もういい。それ、我慢できないほど痛むのか?」
「ううん。でも、ちゃんと治しておいた方がいいと思って。いつ何があるか分からないし……」
万全にしておけと、普段から言っていたのは自分たちだった。
「もう、その力を使うのはやめろ」
「どうして?」
「すぐ疲れて、眠くなるだろ。それは……」
「眠れば回復するもの。最近、とてもぐっすり眠れるから、大丈夫だよ」
休んでいるのではなく、動けなくなっているのだとしたら。
言葉を探すカインへ、レミは微笑んだ。
「昔は、ただ苦しいだけの力だった。でも今は……誰かを救えるなら、無駄な力じゃないって思えるようになったの。だから、頑張りたい」
誰かは救われる。
その代わりに、お前がいなくなるのか。
彼女の顔を見つめたまま、何も言えなくなった。
「……嫌だ……」
聖地へ辿り着けば、永遠に別れる。研究所へ戻れば、また地獄が始まる。誰かを助けようとすれば、命を失うかもしれない。
「こんなのは、嫌だ……!」
やっと、共に生きたいと思えた。それなのに、どちらへ進んでも、その未来から遠ざかっていく。
どうして最後に待つものが、別れでなければならないのか。
手首をそっと放し、項垂れる。事情の分からない三人が、戸惑って彼を見つめていた。
遅れて戻ったゼロは、その姿を静かに眺めた。
追い詰めたいわけではなかった。ただ、想いの強さだけでは越えられない現実もある。
レミの身体も素性も分からず、相手はライフェンだ。想いが通じたところで、平穏が訪れる保証はない。
長く自身の狂気を恐れ、ようやく自分を受け入れたカインが、さらに過酷な道へ踏み込む必要があるのか。
レミは恩人のままでいい。共に暮らし、家庭を築ける相手を選ぶ方が、幸せになれるのではないか。そう考えた。
「お前が平穏を望むなら、普通の暮らしを選べる相手もいるだろう」
カインはゆっくり顔を上げた。
「……普通であることが、幸せだとは限らない」
立ち上がり、ゼロを見据える。今度は怒鳴らず、自分の言葉を確かめるように続けた。
「簡単に消せる気持ちなら、全てをかけようなんて思わねぇよ。もらったものを大切にして、俺も応えたい。それが間違いだとは思わない」
ゼロは目を閉じた。
危険を知らぬまま、浮かれているだけではない。忠告を聞いてなお離れないと、その目は告げていた。
「……そうか」
それなら、これ以上言葉を重ねても同じことだろう。
僅かな沈黙の後、ゼロは低く告げた。
「……すまないな」
カインは目を丸くした。
その謝罪に、幾重もの意味があったこと。
彼がそれを知るのは、まだ先のことだった。
夕方ごろに続き更新します




