↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
EDGE ―光と闇の約束―  作者: 岩梨
第六章 癒しの代償
77/79

76. 穏やかな寝顔の裏


「……なんっでここにいるんだい、怖い兄さん……」



 ゼロを連れて戻った途端、フェイが目を丸くした。木陰を渡る風に白髪が揺れても、当人はいつもの仏頂面を崩さない。


 一部始終を説明しても、フェイは腑に落ちない様子で腕を組んでいた。


「なーんか、納得いかないナァ」

「何がだよ。説明しただろ」

「怖い兄さんは都合よく辿り着いたね、ってコト」


 軽い口調とは裏腹に、ゼロへ向ける目は冷ややかだった。思いがけないところを突けば、何か反応が見えるかもしれない。そんなフェイの探る視線にも、ゼロは表情一つ変えなかった。


「ま、害がないならいいけど。ごめんね、疑り深くってサ」

「気になどせん。慎重になることは悪くない」


 あっさり返され、フェイは肩をすくめた。それ以上追及する代わりに、傍らの木陰へ顎を向ける。



「お姫さまはお休み中なんだけど、起こすかい?」



 木の幹へ身を預け、レミが眠っていた。葉の間からこぼれる日差しが、頬や銀髪の上をゆっくりと動いている。


 カインとリシェイは身を屈め、その顔を覗き込んだ。


「あはは、気持ちよさそう。天気いいもんね」

「平和そうな顔しやがって……」


 口ではそう言いながら、カインも笑っていた。

 あれほど怖い思いをさせてしまったのだ。今くらい、何も考えずに眠っていてほしかった。静かな寝息を聞いていると、こちらまで肩の力が抜けてくる。


 もう少し寝かせてやろうと口を開きかけた、その横をゼロが通った。



 彼が見ていたのは、地面へ投げ出されたレミの手だった。

 明るい日差しに紛れながら、指先から微かな白い光がこぼれている。



 眠っているのに、術式が働いている。



 通常、力を具現化するには集中と意志が要る。無防備に眠ったまま、それも何かを治している様子もなく、光だけが漏れ続けているのは明らかにおかしかった。


 ゼロは二人の間へ割り込むようにしゃがんだ。肩を押しのけられたリシェイが、むっと頬を膨らませる。


「ちょっと、何――」


 言い終える前に、ゼロがレミの肩を横へ押した。


 幹に支えられていた身体が傾き、そのまま草の上へ滑り落ちる。咄嗟に身を支えようとする動きさえなく、銀髪が地面へ広がった。


「何すんの!? 折角寝てるのに! 色々あったから、疲れて――」

「これでも平和か?」


 低い声に、リシェイが言葉を止めた。



 倒れたレミは、目を覚まさなかった。



 顔をしかめることも、寝返りを打つこともなく、ただ先ほどと同じ穏やかな表情をしている。


 カインは反射的に駆け寄った。



「レミ!?」



 抱き起こした腕に、異様な冷たさが伝わり、息が詰まった。



 風に当たって冷えたのではない。服越しでも分かるほど、身体そのものから温もりが失われていた。まるで、命の火だけを抜き取られたような冷たさだった。


「……おい、レミ。起きろ」


 頬へ触れる。

 

 ――冷たい。


 指先を首筋へ滑らせるが、震える自分の手では脈を捉えられない。


「レミ、聞こえるか!? おい!」


 肩を揺するも返事はなく、もう一度、今度は強く揺さぶった。銀髪が腕の上で揺れるだけで、瞼は閉じたままだった。


「レミ!!」


 昨夜、彼女が倒れた時は苦しそうに顔を歪めていた。痛みに耐えようとする声も、助けを求める指先もあった。だから、まだ生きていると分かった。



 けれど今は違う。

 穏やかな寝顔のまま、何も届かない場所へ沈んでいる。



 ついさっきまで、自分は笑っていた。気持ちよさそうだ、もう少し寝かせてやろうと考えていた。

 もしゼロが気づかなければ、このまま何も知らずに――。


「嫌だ……!」


 喉から漏れた声に、自分で驚いた。


「起きろよ、レミ……頼むから……!」


 腕の中の身体を抱き締める。冷たさが、服を通して胸へ染み込んでくる。心臓が凍りつきそうだった。



「貸せ」


 襟元を掴まれ、カインは引き戻された。


「待て、ゼロ! 何をする気だ!?」


 ゼロは答えず、レミを受け取った。片腕で上体を支え、もう一方の手を額へ当てる。


 紫色の光が、掌の下で灯った。


「ゼロ、レミは……レミは大丈夫なのか!?」

「黙っていろ」


 短い言葉が返る。


 光がレミの額から身体へ流れ込み、淡く脈打ちながら消えていく。カインには、それが治療なのか、別の何かなのか判断できなかった。


「頼む……助けてくれ……!」


 自分でも、誰に向けた言葉なのか分からなかった。ゼロか、神か、それとも腕の中の彼女自身か。


 フェイがそばへ膝をつき、レミの呼吸と手首を確かめる。リシェイは青ざめた顔で、両手を胸の前に握り締めていた。


 カインはただ、レミの瞼を見つめていた。


 動け。

 開け。

 いつものように、俺を見てくれ。


 頭の中で何度も叫ぶ。けれど、声にすれば本当に失ってしまいそうで、名前を呼ぶことさえ怖くなった。



 時間の感覚が壊れていた。

 数秒なのか、何分なのか分からない。紫の光が薄れるたび、胸の奥が締めつけられる。



 そう感じた瞬間、レミの睫毛が震えた。


「……あれ……?」


 かすかな声が落ちる。

 カインの膝から力が抜けた。


 レミはぼんやりとゼロを見上げ、それから驚いて身を起こした。


「あの……あなたは……?」

「レミ!」


 声を張ると、彼女がこちらを振り向いた。

 青い瞳が、ちゃんと自分を映している。


「みんな……どうしたの?」


 ゼロへ小さく会釈をして腕から離れると、レミは眠たそうに目元を擦った。その自然な仕草が、かえってカインを混乱させた。


「どうしたじゃねぇよ。お前、今……」


 肩へ触れると先ほどより温もりが戻っているのを感じ、ようやく詰めていた息が漏れた。だが、指先にはまだあの冷たさが残っている。


「倒れてたんじゃないのか?」

「え? 眠ってたんだよ。気持ちが良かったから、つい、うとうとしちゃって……」


 レミは不思議そうに首を傾げた。


「大分、疲れも取れた気がする」


 軽く背を伸ばす姿には、苦しみ抜いて目を覚ましたような気配はない。ぐっすり眠った後だと、本人は本当に思っているらしかった。


 カインは返事ができなかった。


 眠っていた?

 あれが?


 呼んでも、揺すっても、何の反応もなかった。身体は異常なほど冷え切っていた。それなのに、本人は何も覚えていない。


 ――もしゼロがいなければ。もし、あと少し遅れていたら。


 考えた瞬間、胃の奥がひっくり返るような恐怖が込み上げた。カインはレミの肩を掴んだまま、手を離せなかった。



「あの、カイン……その方は……?」


 レミの視線を追い、ゼロを振り返る。彼は無言で立ち上がり、こちらを見下ろしていた。


「……ゼロだ。デュロアルの仲間にいるって、話したことあったろ?」

「ゼロさん……? あっ」


 レミはようやく思い出したように頷いた。


 仕事で留守にしていることが多く、カインの剣の師でもある人物。リアンシティにいた間には会えず、話に聞いただけだった。



 そのはずなのに、レミはもう一度、彼の顔を見た。



 白い髪に、右目を閉ざす大きな傷。残された水色の瞳は鋭く、こんなにも特徴のある人を、一度会って忘れるとは思えない。

 初めて見る顔なのに、知らない人だと言い切ろうとすると、どこか胸に引っかかった。

 カインから話を聞いていたからだろうか?そう考えると少し落ち着き、レミは姿勢を正した。


「初めまして、ゼロさん。レミといいます」


 微笑んで右手を差し出すが、ゼロはその手へ一瞥を落とした後、顔を背けた。

 行き場をなくした指が、ゆっくりと引っ込む。レミの笑みが薄れたのを見て、カインは眉を寄せた。


「悪いな。こいつ、いつもこんなだから。お前を嫌ってるわけじゃねぇよ」

「えっ……あの、いいの」

「ゼロも、初対面からそういう態度とんなって。俺らなら分かるけど、知らない奴は傷つくだろ」


 自分も、最初は何を考えているのか分からなかった。今では必要な時に必ず手を貸す男だと知っているが、レミにまでそれを察しろというのは無理がある。


 ゼロは僅かに目を戻した。


「……性分だ。許せ」


 短い言葉だったが、レミは顔を上げた。


 話すのが得意ではない人なのかもしれない。自分も、笑顔を忘れていた頃は、周りにどう見えていたのか分からなかった。


「いえ……大丈夫です。よろしくお願いします」


 今度は手を差し出さず、小さく頭を下げる。ゼロは黙ってそれを受けた。



 フェイがレミへ水筒を渡し、リシェイも隣へ腰を下ろした。起きたばかりの彼女を二人が気遣う間、カインはゼロから目を離せなかった。


 眠る彼女を見て、真っ先に異常へ気づいた。その身体へ光を送り、目を覚まさせた。自分たちが分からずにいる何かを、この男は知っている。


 レミは今、何でもない顔で水を飲んでいた。いつもの声でリシェイに礼を言い、こちらを見つけると微笑む。


 安心したかった。


 その笑顔に頷き返し、もう大丈夫なのだと信じたかった。


 けれど、彼女自身が何も知らないのなら、その「大丈夫」を頼りにはできない。


「ゼロ」


 カインは立ち上がった。


「……少し、二人で話したい」


 声を落としても、切迫したものまでは隠せなかった。


 木々の間を暖かな風が抜ける。先ほどまでと何も変わらない、穏やかな昼下がりだった。



 それでもカインは、草の上に倒れたまま動かなかった彼女の姿を、もう頭から追い払えずにいた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。