74. 物騒な挨拶
まずは、傷を癒すことが先決だった。
レミの力でリシェイとフェイの傷は塞がり、カインに残っていた先日の怪我もようやく完治した。二人が身体を動かして調子を確かめている傍らで、フェイは木陰へ腰を下ろし、医療鞄を開いていた。
「……それで、レミちゃん自身の具合は?」
包帯の残りを数えながら尋ねると、少し離れた木の根元に座るレミが顔を上げた。
「大きな傷は、もう大丈夫だよ。あとは打ったところを、少し……」
「少し、って顔じゃないケドねぇ」
座り直す時、彼女が脇腹を庇ったのをフェイは見逃さなかった。傷口こそ消えているものの、衣服の下にはまだ打撲の痕が残っているのだろう。レミは気まずそうに目を伏せ、膝の上で手を重ねた。
「ごめんなさい。もう少しで動けるようになるから」
「いや、急かしてるんじゃなくてサ。傷を治したら、疲れも一緒に取れるのかと思ってたんだヨ」
「他の人には、少しなら。でも、自分の疲れは治せないの」
「なるほどね。使った分まで自分で取り戻せたら、休む必要がなくなっちゃうか」
フェイが納得したように頷くと、レミも小さく頷き返した。
身体を動かすための力を使って、傷を癒している。その消耗まで同じ力で補うことはできなかった。痛みが引いても手足の重さは残り、立ち上がれば、すぐに息が上がってしまう。
「だったら、傷が落ち着いたらちゃんと寝なよ。そっちはオレの薬より効くからサ」
「……うん」
素直に返事をしながらも、レミは脇腹へ掌を当てた。
自分のせいで、何度も旅が止まっている。誰も責めないからといって、このまま甘えていていいはずがなかった。せめて痛みだけでも早く消せたら、歩く時に迷惑をかけずに済む。
その焦りに促されるように、掌の白い光が少しずつ強まっていった。
少し離れた道から、リシェイの威勢のいい声が聞こえてくる。すっかり元気を取り戻した彼女は、カインに組み手の相手をしてもらっていた。
「ちょっと! 避けてばっかりじゃん!」
「当てられねぇからって文句言うな。ほら、脇が空いてるぞ」
続いて、短い金属音が木立に響いた。
レミが顔を向けると、ダガーを手にしたリシェイが、カインの周囲を忙しく動き回っている。カインはまだ自分から打ち込まず、彼女の動きを見ているようだった。
「……よかった。二人とも、もう痛くないみたい」
「おかげさまで、オレもね」
フェイが包帯を仕舞いながら答えると、レミの口元がほっと緩んだ。
「私にも、できることがあってよかった」
「助かってるヨ。でも、治してくれた本人が倒れたら、また患者が一人増えるからねぇ」
「フェイのお仕事、増やしちゃうね」
「そうそう。たまには暇な医者にしておいてよ」
おどけた頼み方に、レミは小さく笑った。
研究所にいた頃も、こうして自分の傷を癒していた。痛みを消しても、次の日にはまた傷が増える。いくら繰り返しても終わらないその力を、好きになれたことはなかった。
けれど今は、自分の手が誰かの痛みを取り除ける。リシェイが元気に駆け回り、フェイがいつもの調子で笑ってくれる。そのことが嬉しくて、掌に灯る光まで、以前とは違うものに思えた。
大切に使いたい。これからも、みんなの役に立てるように。
そう願う気持ちの奥に、役に立てなくなった自分への不安があることには、まだ気づかないままだった。
打撲の痛みが薄らいだところで、ようやく光を収める。木の幹へ背中を預けると、深い息が零れた。
「……少し、眠くなってきちゃった」
「結構なことじゃない。起きたら、何か食べようヨ」
「うん……ありがとう」
見上げた先には、枝葉の隙間を埋める青空が広がっていた。
皆には見慣れた景色なのかもしれない。それでもレミには、何の代償も払わずにこんな美しいものを眺められることが、不思議なくらい贅沢に思えた。
葉擦れの音に、仲間たちの声が重なる。眠ってしまっても、目が覚めれば、また誰かが傍にいてくれる。
先の楽しい話をして、同じものを食べて、こうして木陰で休む。こんな時間が続いたら、どんなにいいだろう。
すべてを忘れて、ただ幸せに生きていけたなら――。
遠くの打ち合う音が、少しずつ曖昧になっていった。
しばらくして顔を上げたフェイは、木にもたれたまま眠るレミに気づいた。横から見える表情は穏やかで、先ほどまで強張っていた肩も緩んでいる。
風は弱く、木陰にも柔らかな暖気が届いていた。今は起こさずにおこうと、フェイは鞄を閉じる音を抑えた。
「……そうそう。今は、それが一番」
独り言を零し、続いて自分の武器の手入れに取りかかる。鋼線を指先で慎重に繰りながら、時折、眠るレミへ視線を向けていた。
***
「てやぁああっ!」
リシェイが大きく振りかぶり、ダガーを斜めに振り下ろした。
カインは半歩だけ身体をずらしてかわすと、すれ違いざま、左手に握った剣でその柄元を払った。弾かれたダガーが宙を回り、地面へ突き刺さる。
「あっ!」
思わず目で追った、その隙に、剣先が眉間の手前で止まっていた。
「……ま、まいりましたぁ」
がくりと肩を落とすリシェイに、カインは笑って剣を引いた。鞘へ収まる乾いた音が、短く響く。
「武器を落としても、相手から目ぇ離すなよ」
「うぅ……分かってるってば」
「分かっててやられるなら、世話ねぇな」
悔しそうに唇を尖らせる彼女を見ながら、カインは先ほどの斬り込みを手振りでなぞった。
「あと、お前は振りがでかすぎる。勢いつけたいのは分かるけど、どこ狙ってるか丸見えなんだよ」
「だって、勢いつけなきゃ威力が足りないもん! 半端に当てて止められたら、アタシの方が危ないじゃん」
「だからって、当たらねぇ攻撃を繰り返してどうすんだ」
言い返せず、リシェイは眉を寄せた。
カインは彼女の前に立ち、軽く手を伸ばしてみせる。リシェイも同じように腕を出したが、指先の届く距離には明らかな差があった。
「俺と同じ間合いで、同じように力任せに振っても勝てねぇよ。お前は小回りが利くんだから、そっちを生かせ」
「……懐に入れってこと?」
「入るのも、抜けるのも速くなれってこと。ダガーでやるなら、近づいた後に何するかまで考えとけよ。勢いで突っ込んでから悩むな」
「そこまで考えなしじゃないもん!」
「さっき、突っ込んできただろうが」
「……さっきは、そうだけど」
リシェイは地面のダガーを引き抜き、付いた土を払った。一度だけ宙へ放り、柄を受け止める。手に馴染んだ重さを確かめながら、先ほど自分の腕が届かなかった距離を思い返した。
鍛えれば、今よりは力もつく。それでも、カインやゼロと力比べをして勝てるようになるとは思えない。
ならば、同じことをしようとするだけでは駄目なのだろう。小さいから不利だと腹を立てるより、その小ささが相手を困らせる動き方を探した方がいい。
「……ちょっと、もう一回やってみてもいい?」
顔を上げたリシェイは、そこで言葉を止めた。
カインがこちらを見ていない。
先ほどまでの笑みは消え、視線だけが木立の奥へ向いていた。左手が、再び剣の柄へかかる。
「カイン、どうし――」
言い終えるより早く、銀の刃が横へ走った。
鋭い金属音が立て続けに鳴り、カインに弾き落とされた何かが二人の足元へ転がる。リシェイは反射的に身構え、カインの隣から木立を睨んだ。
地面に落ちていたのは、三本のくないだった。
極東イェシャン大陸に伝わる、小型の刃物に似た武器。その見慣れた形に気づき、リシェイは目を見開く。
これを好んで使う人物が、デュロアルには一人だけいる。
カインも同じことを考えたらしい。剣は下ろさないまま、驚いたように眉を動かした。
木陰から、人影が音もなく進み出る。
その姿を認めた瞬間、リシェイは息を呑み、カインも呆然と声を漏らした。
「ゼ……ゼロ!?」
もう一本追加出来たら更新します。




