72. 一番好きな人
「あー、レミちゃんを連れて海に行きたかったなぁ~」
「水着姿……」と呟きながら、フェイはいかにも残念そうに肩をすくめた。
「で、でも私……海は遠くから見るだけでいいかな……」
気まずそうに視線を泳がせるレミに、三人は同時に首をかしげた。普段なら新しいものに興味津々になる彼女らしくない。初めて海を目にした時も、あんなに感動していたというのに。
カインはハッとした。
あの時、彼女は人生で初めて海を見たのだ。ということは――。
「お前、もしかして泳げないのか?」
「そんなにはっきり言わなくても……」
レミはシュンと肩を落とした。研究所に閉じ込められていた彼女に、水泳の機会などあるはずもなかった。
カインはその頭を優しく叩いた。
「なんだ、そんなこと気にすんな。俺が一日で1キロくらい泳げるようにコーチしてやる」
「本当? 私も泳げるようになるかな?」
「おう、バッチリ鍛えてやる」
ぱっと顔を輝かせるレミとは対照的に、フェイとリシェイは顔を青ざめさせた。
言い方は優しいが、内容が過酷すぎる。
「レミぃ……それ絶対にやめた方がいいよ……死んじゃうから……」
「そうそう。なんで遊びに行ってんのに地獄を見なきゃいけないんだヨ。まあ、オレに任せなって。優し~く手取り足取り腰取り教えてあげるからサ」
ニヤリと笑うフェイに、カインの顔が引き攣った。
「腰は取らなくていいんだよ! いちいち下心を出して近づくな!」
「水泳には必要な補助もあるんですケドォ?」
「そもそもお前、海に行ってもほとんど泳いでねぇだろ!」
レミが不思議そうにフェイを見た。
「フェイも海を眺めるのが好きなの?」
「眺めてるモンが違うんだよ」
カインがフェイに白い目を向けているが、レミは何の事を指しているのか理解が出来ずにいた。隣のリシェイがパシャリと足を跳ね上げた。飛び散る水飛沫を見つめ、溜息をつく。
「フェイは海岸でずーっと女の子をナンパしてるんだよ」
「……なんぱ? なんぱってなぁに?」
「海に遊びに来てる女の子に声をかけてるの! だから海でフェイと一緒にいたって、ちっとも面白くないよ」
だが、レミは腑に落ちない様子だった。
「私はずっと一人ぼっちだったから……声をかけてもらえるのって、すごく嬉しいことだと思うな。フェイは明るくて楽しいから話も弾むし、私はフェイとお話しするの、好きだよ?」
「流石レミちゃん」と言い、笑顔で親指を立てるフェイにカインは頭を抱え、ぶんぶんと横に振った。
「ちがうちがう。友好的とかそういう綺麗な話じゃねぇから! 下心丸出しって言うんだよ」
「……したごころ……?」
分からない単語ばかりで、レミはすっかり考え込んでしまった。
「フェイが優しいのはダメなの?」
真顔で問われると、さすがに面と向かって下心について説明するのは気まずい。カインはこめかみを抑えた。
「んー、でもレミちゃんがオレの彼女になってくれるなら、それはしないかな。どう?」
「カノジョってなぁに? 前にメルやリシェイに言われたんだけど……」
「そうだな~、わかりやすく言えば一番好きな異性って認識でいいんじゃないかい?」
「一番……?」
レミには、その言葉が腑に落ちなかった。
大好きな人たちはみんな大好きだ。順位をつける必要なんてあるのだろうか。
「私、デュロアルのみんなのことが大好きだよ?」
カインには、その言葉がほろ苦かった。
公平で優しいのが彼女の美徳だと分かってはいる。それでも、自分も大勢の仲間のひとりなのだと思うと複雑だった。
リシェイが会話を続けた。
「でもさ、メルはフェイが彼氏になるなんて絶対に嫌!って言ってたよ。一日で浮気されそうだからって」
メルの理想は、誠実で優しく穏やかな人なのだという。
フェイは眉根を寄せた。
「酷いなぁ。オレだって本気の相手には一途だヨ。超誠実で優しいじゃん。おまけにお医者さんだしー」
「日頃の行いが悪すぎるから、自業自得だろ、お前は」
冷ややかに告げたカインだが、自分も好意を寄せてきた女性たちを、片っ端から冷たく拒絶してきた。
当時は他人を信じていなかった。好意を向けられても、そんな薄っぺらい感情に期待するはずもなく、むしろ忌避感すら覚えていた。
ちらりと、隣に座るレミの横顔を見つめる。
今は、全然違うけれど。
ふむふむと頷いていたリシェイが、ふとカインを見た。
「カインは案外一途そうってメルが言ってたよ。……でもカインも嫌だって言ってたけど。雑だからって」
「あーっはは!! 何? 日頃の行いだっけぇ~?」
即座に逆襲してくるフェイに、カインの顔が引き攣った。
やっぱりコイツは親友なんかじゃない。性悪な悪友だ。
「別にメルにどう思われようが知ったこっちゃねぇよ。俺が本気で惚れた女なんて後にも先にも、世界でたった一人だけなんだからな」
カインの思いがけない言葉にリシェイが目を丸くした。
「へっ!? あ、あれぇ……!?」
戸惑うリシェイの横で、フェイは意地悪くニヤついている。
どうせフェイには見破られているのだ。これ以上隠してバカにされるくらいなら、堂々としてやろうと腹を括った。
一方でレミへ視線を向けると、なぜかとても嬉しそうな顔をしていた。
まさか、自分がその相手だと気づいたのか。
「カイン、好きな人がいるんだね」
「……ああ」
「それなら、私、早く聖地へ行かなきゃ」
「は?」
思ってもいない方向へ話が飛んだ。
「だって、その人に会いたいでしょう? 私の旅で、会えなくさせちゃって……」
「待て待て待て! 何でそうなる!?」
……やはり、微塵も分かっていなかった。
カインはズシンと徒労感に襲われた。
これだけ近くにいるのに、好きな相手が自分だとは露ほども思わないのか。
「……早く行かれたら困るんだよ。それこそ、俺が会いたい一番大切な相手に、二度と会えなくなっちまうだろ」
「え?? どうして?」
レミは首を傾げるばかりだったが、リシェイは気づいたようだった。目を丸くして、二人の顔を交互に見つめている。
気づいていないのは、当人ただ一人だ。
リシェイがフェイへひそひそと耳打ちする。小さな頷きが返ると、「ほわぁぁ〜!」と感嘆の息を漏らした。
嬉しそうにレミへ抱きつき、その袖を引っ張る。
「レミもデュロアルに帰ればいいんだよ! きっとそれが一番、レミにとっても幸せだってば!」
ライフェン博士との問題だって、みんなで協力すれば絶対に突破口が見つかるはずだと熱弁する。
だが、レミは切なく微笑むだけだった。
「でも、デュロアルに居座るわけにはいかないもの。一人で生きる術を探さなきゃ……」
「どうしてぇ!? デュロアルは嫌なの……?」
リシェイは悲しそうに肩を落とした。
「レミも、みんなと一緒に居たいんだと思ってたのに……」
レミは優しく首を横に振った。
「そんなはずないよ。でも、私はみんなみたいに特殊なお仕事ができるわけじゃないし……」
ぽつりぽつりと、不安を打ち明けていく。
治癒の力も、使い続ければすぐに体力が底をついて眠ってしまう。基礎的な体力も戦闘力もなく、幼い子供でも知っている世間の常識すら知らない。
この旅で、そんな自分を痛感した。
たとえデュロアルへ戻れても、人材派遣組織のメンバーなど務まらないのではないか。
そうなれば、世話になる理由もなくなってしまう。
『家』という温かな名前がついていても、あそこは本来、働く者たちのための寮なのだから。
「もし救済の聖地に行かなくても、私はデュロアルには残れないよ。どこかで一人で生きる道を見つけて、暮らしていかないと……」
「なんでお前はいっつもそうやって独りになることばっかり考えるんだよ!!」
カインは思わず身を乗り出して叫んでいた。
レミが目を丸くする。
ハッと我に返り、カインは気まずそうに腰を下ろした。
「いいだろ、型に嵌らなくたって。家の家事や手伝いだって立派な仕事になる。……居ればいいじゃねぇか、ずっと……」
レミは「ありがとう」と微笑んだものの、カインの真意までは届いていないようだった。
もどかしくて頭を掻く。
ただ、彼女にどこへも行ってほしくないだけなのだ。
フェイが立てた人差し指をチチチと振ると、レミは首を傾げた。
「そもそも、仕事だけが人生の全てじゃないんだヨ?」
「……そうなの?」
「そうです。例えば、結婚してお嫁さんになるって選択肢だってある。レミちゃん、すごく可愛い奥さんになると思うナァ」
「お嫁さん……」
以前、カインと似た話をしたことがある。
まだ何も分からなくて、私をもらってくれるかと聞いてみたのだった。
その時の会話を思い出し、レミは一人で頷いた。
「何なら、オレと――」
立候補しかけたフェイに、カインの殺意を込めた眼光が突き刺さる。フェイは「冗談だってば……」と苦い顔で両手を上げた。
「それなら、カインのお嫁さんになればいいじゃん! カインは守ってくれるし、稼ぎも良いから将来安泰だよ!」
嬉々として提案するリシェイに、カインは「お前っ!」と振り向いた。
反応は気になる。
だが、「カインのお嫁さんなんて嫌だ」と言われたら、立ち直れないほど落ち込む自信があった。
「カインはダメだよ。あり得ないかなぁ」
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