71. 雨上がりの湖畔
一行は砂利の敷かれた旧街道をひた歩いていた。
左右を切り立った岩崖に挟まれた、人気の薄い道。
けれど、見上げる青空は美しく澄み渡り、気分は晴れやかだった。
リシェイがご機嫌に鼻歌を口ずさみながら先頭を歩き、最後尾にはフェイが続いている。カインに背負われたレミは、疲れていないかと何度も声をかけてきた。
別に疲れてなどいない。それどころか、胸を苛んでいた孤独が和らいだお陰で、すこぶる快調だった。
順調に歩みを進めていると、前方をスキップしていたリシェイが急に足を止めた。
「ん? 誰か来るよ?」
その声に、カインとフェイも素早く前方へ視線を向けた。あれほど派手に暴れた後だ。残党には警戒するに越したことはない。
身構えたものの、近づく人影の姿を確認すると、すぐに緊張を解いた。
「おんやぁ、若い衆がこんな寂しい場所を通るなんて珍しいねぇ!」
驚いて目を丸くしたのは、中年の男だった。日よけの麦わら帽子を目深に被り、背中には大きく膨らんだ背負い荷。近隣の街や村を行き来する行商人だろう。
商人はカインに背負われたレミに気づくと、慌てて駆け寄ってきた。
「嬢ちゃん、どうしたんだい!? こりゃまた酷い有様じゃないか!」
痛ましそうな視線を受け、レミは目を丸くした。大きな傷は治癒の力で塞がったものの、肌にはまだ無数の擦り傷や青痣が残っている。羽織ったジャケットも血や泥で汚れているのだから、驚くのも当然だった。
「大丈夫です。傷はもう治っていますから」
「いやいやいや! 血塗れじゃねぇか!」
説得力のない弁明に驚く商人との間に、フェイがぬるりと割り込んだ。命に別状はないと手慣れた調子でごまかすと、商人も納得のいかない様子ながら引き下がってくれた。
無茶苦茶な理屈でも笑顔で押し通すのがフェイだ。この辺りは、彼に縁の深いウィリスの影響だとカインは思う。
「ところでサ、ここから一番近い街か村まで、どれくらいかかるか分かるかい?」
「オラの村になるかねぇ。……だが、遠いぞ」
思った以上に距離があるらしく、フェイは軽く溜息をついた。やはり旧街道は不便だ。
「そうかい。ありがとね」
「いやいや。もし途中で体を休めるなら、良い場所があるでよ。ここからしばらく歩くと左手に森が見える。その中に湖があるんだ。水が澄んでて綺麗な場所だから、そこで休憩していくとええ。冷たい湧き水もあるでな」
「へぇー、そりゃ助かるナ」
フェイは、底をつきかけていた非常食や包帯を買い足した。さすがに女性用の衣服や靴までは商人の荷物になかったが、休憩場所の情報が得られたのは僥倖だ。
商人を見送ると、一行は再び歩みを進めた。
***
男の言葉通り、道の左手に広がる森の奥に、湖はあった。
底の砂利まで透き通って見える水と、湖畔に咲く色とりどりの野花。その幻想的な光景に、レミの表情がぱっと華やいだ。
「うわぁ、すごく綺麗だね!」
リシェイも歓声を上げて湖畔へ駆け寄った。手を伸ばして水に触れると、ひんやりとして心地いい。
「ここなら歩いても大丈夫じゃない? 気持ちいいからレミもおいでよ〜」
湖畔には柔らかな芝生が広がり、靴を失くしたレミでも歩けそうだった。
カインは背中からそっとレミを下ろしてやった。
湖畔に腰掛け、素足を冷たい水に浸す。
陽光を反射した水面が、キラキラと眩しく輝いていた。
レミが足先で水面を弾くと、パシャリと水飛沫が舞い、波紋が広がった。
リシェイも隣で足を浸し、大きく背伸びをしたフェイとカインも腰を下ろす。
さすがに水浴びまではできないものの、服や肌についた泥を洗い落とすと、さっぱりした。
チチチ、と小鳥たちがさえずっている。人里離れた湖畔に響くのは、自然の穏やかな音色だけだった。
レミはそっと瞼を閉じ、耳を澄ませた。身体の奥まで浄化されていくようで、心地よかった。
再び目を開けると、空はどこまでも澄み渡っていた。
「……綺麗……」
目を細めて青空を仰ぐレミの横顔に、カインは思わず見惚れていた。
もともと彼女には、単なる美人という言葉では収まりきらない神秘的な雰囲気がある。
だが、それまでは、ただそう感じていただけだった。
今は違う。
綺麗なのはお前の方だろ、と心の中で呟いた。
視線を外そうとしても、外せなかった。
横顔を見つめているだけなのに、胸の奥が強く締めつけられる。
『胸がキュンとする』なんて表現を失笑していた過去の自分を、今なら殴り倒したい。まさか自分が、こんな感覚を知ることになるとは思わなかった。
もしも彼女から同じ熱量で「好きだ」なんて言われたら、嬉しさのあまりショック死してしまうのではないだろうか。
そんな馬鹿げた想像が浮かぶたび、カインは小さく息を吐いた。
視線に気づいたレミが、くるりと振り向いてにこりと微笑む。
その陽だまりのような笑顔に、カインの喉がかすかに鳴った。
「……なんだよ」
誤魔化すように呟くと、レミは不思議そうに首をかしげた。
カインは視線を逸らし、熱を持った耳を隠すように片手で覆った。
そんなカインの脳内など知る由もないリシェイは、のほほんと腕を伸ばした。
「はぁ~、昨日の大雨が嘘みたいだね。長閑だなぁ」
過酷な旅の途中だというのに、この陽気と美しい景色に囲まれていると、みんなでピクニックに来たような錯覚を覚える。
デュロアルの仲間たちとは、こうした休日を何度も過ごしてきた。
レミはマーケットの様子くらいしか知らないが、大きな花畑へ連れて行ってやった時も、目を輝かせていた。
無事に旅を終えて街へ帰れたら、いろんな場所へ彼女を連れ出してやりたい。
「今年は結局、海で泳ぎ損ねちゃったなぁ。デュロアルの恒例行事だったのに、色々ありすぎてすっかり忘れてたよ~」
「恒例行事……?」
首をかしげるレミに、カインが補足した。
「リアンシティには海があるだろ? だから毎年夏になると、みんなで泳ぎに行くんだよ。家に住んでる仲間全員でな」
「そんな楽しいことをしているんだね」
「海だけじゃねぇぞ。春はお花見、冬は年越しカウントダウンパーティー……。ウチの3バカトリオが何かにつけて企画するから、俺とウィリスとルディナスさんは毎回付き合わされて大変なんだよ」
3バカというのは、目の前のリシェイとフェイ、そして魔道具士のメルのことだ。
3人が率先して騒ぎ出し、皆を巻き込む。何だかんだ楽しいので参加する。頑なに不参加を貫くのはゼロくらいだ。
仲間たちが思い出を語ると、レミは楽しそうに耳を傾けていた。
研究所で育った彼女には、お祭りも花見も経験がなく、年越しすら意識したことがなかった。話を聞いているだけでも、幸せな気持ちになれた。
「ごめんね……私の旅に付き合わせちゃったから。本当ならリシェイも、海に行くのを楽しみにしていたのに……」
「ううん、海のシーズンは終わりかけてたから、レミのせいじゃないよ。それに来年行けばいいんだから。……その時は、レミも一緒にね!」
───一緒に。
レミの瞳がふっと切なく陰った。
それは、叶わない未来なのに。
もし一緒に行けたら、どれほど幸せだろうと思うけれど――。
顔を曇らせた理由を、カインもフェイも瞬時に察した。
フェイは困ったように頭を掻いた。
「あのサ、レミちゃん。オレたちも今の状況は分かってるけどさ……今はそういう堅苦しい話、ナシにしないかい?」
「え……?」
「想像するのはタダだろ? たまにはバカみたいに楽しいことでも想像してみようヨ」
他愛もない雑談の時くらい、悲惨な現実から離れ、「もしも」の明るい未来を夢見たって罰は当たらないはずだ。
「確かに……楽しそうだね!」
レミは笑顔を取り戻し、こくりと頷いた。
幸せな未来をたくさん想像してほしい。
そうすれば、彼女の頑なな決意も少しは変わるかもしれない。
そんな淡い期待を胸に、皆は顔を見合わせた。




