70. 再出発
時は少し遡り、エリザ村の事件翌朝――。
再会を果たした四人は、次の街を目指して歩き出そうとしていた。
「さてと。一番近い街を目指すかナ」
「体調も気分もバッチリだし、いつでも行けるぞ」
カインは大きく背伸びをした。
仲間に受け入れられ、レミと共に生きたいという願いも、もう否定する必要はない。胸の内は、空と同じように晴れ渡っていた。
ただし、行く先には問題がある。
エリザ村には戻れず、この旧街道はカインにも分からない。地図も野営の道具も置いてきてしまった。財布だけは持っていたのが救いだ。
「レミを休ませられて、買い物もできる街があればいいんだけどな」
「何とかなるよ! 知らない場所を探検するのも楽しいじゃん!」
腕を組む二人の間へ、リシェイが割り込んだ。
「早く次の街で休んで、レミも元気にならなきゃね」
「私なら、もう大丈夫だよ」
慌てて手を振るレミだったが、大怪我を治癒した身体には、まだ疲労が残っていた。
フェイは彼女をまじまじと見つめる。
「休ませたいのは山々だけど、その格好はマズイよネ」
「……格好?」
衣服は血と泥に汚れ、手当ての際に裂かれている。羽織ったカインのジャケットも同様だ。治癒の力で服までは直せない。
「目立つし、衛生上も良くない。一度ちゃんと診察もしたいしナ」
「そうだよね……」
「ま、その格好も捨てがたいけど。特に胸元とか」
視線を追ったレミは、赤くなって襟元を合わせた。大きなジャケットは胸元が開きやすい。
「いやぁ、その恥じらいも新鮮でイイねぇ。メルに同じようなこと言ったら、整備中の車で轢き殺されそうになったから」
「お前、それでも懲りてねぇのか……」
カインは深々と溜息をついた。
今の服は処分するしかなさそうだ。
ポケットを確かめたレミの指に、硬いものが触れた。
「あ、よかった。割れてない」
取り出したのは、魔工師にもらった魔水晶の指輪だった。レミのエーテルを吸った石が、ほのかな白光を帯びている。
「綺麗な指輪だな。どうしたんだ?」
受け取る場にいたカインは、覚えていないらしい。
「オイオイ、マジかよ……」
当時の彼がどれほど追い詰められていたかを察し、フェイは口をつぐんだ。
「宝物なの。失くしてなくてよかった」
嬉しそうに笑うレミを見て、カインも口元を緩める。
昨夜から、その笑顔を以前よりも強く意識していた。ただ笑っているだけなのに、目を離したくない。
その横顔に、フェイの目が留まった。
「……ふーん?」
一拍置き、にやりと笑う。
レミの掌から指輪をひょいと取り上げた。
「これはオレが贈った『誓いの指輪』なんだヨ。なぁ、レミちゃん?」
「えっ?」
返事を待たずにフェイがレミの左手を取り、薬指へはめる。「……は??」と目を丸くしながらカインはその光景を見つめた。
「オレと永遠を誓ったもんネー。なぁ? レミちゃん」
横目でカインを見て、切れ長の紫の瞳をニヤリと細めると、そのまま恭しくレミの手の甲へ唇を寄せた。
「何やってんだテメェぇぇぇッ!!」
カインが飛びかかり、フェイの胸ぐらを掴んだ。レミの手に触れた唇と、薬指に光る指輪が、やけに鮮明に目に焼きついている。
「ちょ……冗談、冗談だよ! 怖いんだよバカインッ! 離せってば!! ゲホッ、ゲホッ!!」
解放されたフェイが咳き込む横で、カインはレミの手をひっつかんだ。
「拭け! フェイのアホ菌がつく!」
「痛いよカイン~! 指輪も、魔工師さんにもらった守り石だってば!」
服で手の甲を擦っていた手が止まる。
「……なんだ、そうなのか」
カインはフェイを睨んだ。
「変なウソついてんじゃねぇぞ」
薬指から指輪を抜き、レミへ返す。
「左の薬指以外につけとけ」
言ってから、カインはわずかに口をつぐんだ。
なぜそこまで指定する必要があるのか、自分でも分かっている。左手の薬指に指輪をはめたレミを見た瞬間、胸の奥に生まれたざわめきが、まだ消えていなかった。
レミは不思議そうに指輪を見つめ、今度は左手の中指にはめた。
「ここならいい?」
「ああ」
「へぇ~。薬指は駄目で、中指ならいいんだ?」
フェイが楽しげに肩を震わせている。
「……何が言いてぇんだよ」
「カイン君、ずいぶん素直になったなぁと思ってサ」
「どこがだ!」
指輪を眺めるレミへ、カインはちらりと目を向けた。大切そうにしている姿に、また口元が緩む。
「……なるほどネ」
「だから、何なんだその顔!」
リシェイまで笑い出し、カインは呆れたように息を吐いた。そんな彼を見て、レミが微笑む。
「また自然に笑えるようになって、本当によかった」
胸の奥が、ふっと温かくなった。こうして笑い合える。昨夜、取り戻したかったものが、今ここにあった。
フェイも笑みを和らげ、リシェイと顔を見合わせ、カインは照れくさくなって背筋を伸ばした。
「よし、今度こそ出発するか」
快晴の空の下、一歩を踏み出した、その時だった。
「っ……痛……!」
レミが足を庇った。
よく見ると右足の靴がない。昨夜、崖を飛び降りた際に脱げたのだろう。
「あれっ、レミの靴は? しかも血が出てるじゃん!」
屈み込んだリシェイに、レミは慌てて首を振った。
「これは昨日ついた血で……!」
「じゃあ、座って見せてみろヨ。問題ないならできるだろ?」
フェイが近くの岩を叩く。
三人に見つめられ、レミは肩を落とした。
「次の街まで、頑張って歩くから……」
「こんな石だらけの道を、靴なしで歩けるかよ」
治癒を繰り返して歩けば、余計に消耗する。
カインは彼女の前で背を向け、屈み込んだ。
「ほら、おぶわれ。次の街まで背負ってやる」
「そんなの、申し訳ないよ!」
「元は俺のせいで失くしたんだ。これくらいさせてくれ」
あまりにカインが申し訳なさそうな顔をするのでレミはためらい、それから小さく頷いた。
ここで押し問答をすれば、彼を傷つけてしまう。
「それじゃあ……お願いします」
気恥ずかしそうに近づいてくる。
その姿に、カインは息を詰めた。
可愛い。
今までも、こんな仕草をしていたのだろうか。出会った時から眺め直したくなる衝動を堪え、背中へ促す。
ひょいと背負って立ち上がると、歓声が上がった。
「わぁ、高いね! カインって身長どれくらい?」
「183センチ。昔はチビだったけど、途中から伸びた。ほら、力抜いて寄りかかってろ。その方が楽だから」
「うん。ありがとう」
細い腕が首へ回り、身体が背中へ預けられた。
カインは硬直した。
伝わる体温。首筋に触れる銀髪。
近すぎる呼吸に、足を出すのも忘れそうになる。
昨夜の手当てでは、傷を治すことしか考えていなかった。だが今は、背中へ触れる感触の一つひとつが意識に入り込んでくる。
そういえば、手当ての時に切った上の下着は――。
「……ごめん、レミ。やっぱ寄りかかるの中止……」
「えっ!? 私、重いよね……?」
「マジで重くねぇから!」
むしろ、こちらの身体まで浮ついている。
顔を覗き込もうとするレミから目を逸らすと、すかさずフェイが横へ回った。
「顔、赤くない?」
「何でもねぇ!」
「寄りかかれって、自分で言ったくせにネェ」
楽しげな声に、カインは眉をひそめた。
「服越しだってのに、今更何照れてんだヨ。経験値くらいあるだろ」
レミとリシェイが揃って首を傾げる。
カインは奥歯を噛み締めた。
確かに男女の経験はいくつもある。けれど、あれは生き延びるための取引だった。触れられても何も感じないように、心を切り離していた。
レミは違う。
近づかれるだけで心臓がうるさい。
嬉しくて、落ち着かなくて、それでも離れてほしくない。
「うるせぇな! 他の女なんかどうでもいいんだよ! 俺はレミだから!!」
言った瞬間、口をつぐんだ。
フェイの顔いっぱいに、得意げな笑みが広がる。
「へぇー、『レミだから』ねぇ? そうかそうか、やーっと認めたワケだ」
「テメェ……」
「相手は相当な猛者みたいだし、精々頑張れよ~?」
レミが首を傾げた。
「猛者って?」
「キミのこと。『鈍感純情姫』と『単純直情バカ』、旅が面白くなりそうだネ」
一番知られたくない奴に、速攻で見抜かれた。年下のくせに、この口の達者さにはまるで敵わない。
カインは赤い顔で、レミを背負い直した。恥ずかしくて堪らないのに、首へ回された腕が離れないことは嬉しかった。
「くそ……いつか絶対に目に物見せてやる……」
笑い声を背に、今度こそ歩き出す。
仲間との関係は元に戻った。けれど、嵐の夜に受け入れた想いは、これからもカインの心を騒がせ続けそうだった。




