68. 陽光の微笑み
一夜明けると、雨はすっかり上がっていた。
洞窟の外へ出たカインは、木々の雫を照らす朝日を眩しく見上げた。昨夜の雨音が嘘のように、鳥の声が響いている。
この天気なら、歩き出せる。
これからは自分がレミを守らなければならない。そう考えて拳を握ると、昨夜傷つけた仲間たちの顔が浮かんだ。
思い返せば、後悔ばかりが胸を突く。
彼らはいつだって自分に温かく接してくれていたのに、背を向けたのは他ならぬ自分の方だった。
振り払うこともできずにいると、背後から控えめな足音がした。
崖を降りた時に靴を失ったレミが、足元を確かめながら出てくる。カインは手を貸し、濡れていない岩の上へ導いた。
「……もう少し、ここで待ってみよう?」
クイ、と服の裾を小さく引っ張って訴えかけてくるレミに、カインは向き直った。少し切なさを交えながらも、彼は優しく微笑み返した。
「いいんだ、レミ。もう……いいんだよ。……ありがとうな」
「でも……」
「あいつらだって、今頃はデュロアルへ引き返してるさ。俺たちもいつまでもこんなところで立ち止まってるわけにはいかないだろ?」
崖を滑り降りたことで本来の街道ルートからは大きく外れてしまっていた。けれど「この道を辿っていけばきっと二人も気づいてくれる」というレミの言葉に、カインは静かに首を横に振った。
カインはそっと背を向けた。
「仕方ねぇよ。……行こうぜ」
すべては自業自得なのだ。みんなとバカみたいに楽しく笑い合えていたあの穏やかな日々には、もう二度と戻れないのだろう。それほど取り返しのつかない大罪をしでかしてしまったのだから。
彼女がいてくれること自体、奇跡以外の何ものでもない。
これ以上、望んでしまっては―――。
「カイン! レミ!!」
弾かれたように振り返った。
街道の向こうから、二人が走ってくる。
見間違えるはずがなかった。泥だらけになり、髪も服も乱れたまま、こちらへ一直線に駆けてくる姿を、カインは呆然と見つめた。
「……フェイ……リシェイ……」
「居たぁぁぁぁ!! うわぁぁぁん! カイン~! ゴメンね、ゴメンなさい!!」
リシェイは大粒の涙をボロボロとこぼしながら、一目散にカインへ走り寄ると、その胸へ全力で飛び込んできた。勢いよく抱きつかれた反動でわずかに前傾になったが、カインは彼女の華奢な身体をしっかりと受け止めた。
「リシェイ……!?」
「アタシが……アタシが一番最初に、あんな酷い態度とったから……! カインは……っ!」
しゃくりあげる声は途切れ途切れで、伝えたいことは上手く言葉にならなかった。「ごめんね、ごめんね」と何度も何度も呟きながら、カインの胸へ顔を埋め、まるで幼い子供のようにひたすら泣いていた。
「言いたくないこととか……苦しいこと、いっぱい抱えてたんだよね……!? なのにアタシ……ただ自分の勝手な理想だけでカインのこと決めつけて……っ!」
リシェイは大声で泣き叫び、カインの服を強く握りしめて離れようとしなかった。
いつもの口喧嘩とはまるで違う光景に、カインはどうすればいいのか分からず立ち尽くすしかなかった。
遅れて駆けてきたフェイが、レミと短く言葉を交わした後、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。
リシェイはゴシゴシと両手で目を擦りながらカインから離れ、数歩離れた位置でフェイとカインが対峙した。
お互いに、最初に何を言えばいいのか分からない。
そんな重い沈黙を破ったのは、フェイの方だった。
「……ごめん」
先に言ったのは、フェイだった。
「お前が話してくれなかったことに腹を立てて、どうして話せなかったのかは、考えなかった」
いつもの軽さはなかった。握った拳を下ろしたまま、フェイは深く頭を下げた。
「レミを助けたかった。それは本当だ。でも……お前が中で苦しんでいることに、オレは寄り添えなかった。レミは、それを最後まで見失わなかったのに」
「違う……顔、上げろよ」
カインは思わず手を伸ばした。
「お前が謝ることじゃねぇ。俺が、あんなことを……」
「それでも、謝りたいんだよ」
フェイが顔を上げた。
「知らなかった一面があったからって、今までのお前まで、なくなるわけじゃないのにな。……ちゃんと、見ていたつもりだったんだけど」
悔しそうな顔に、カインの胸が痛んだ。
自分が逃げたせいで、またこの男に、こんな顔をさせている。謝らなければならないのはこちらの方だ。
「俺が、信じなかったんだ」
カインは拳を握った。
「お前たちなら違うかもしれないって、何度も思った。でも、言ったら全部なくなる気がして……怖くて、ずっと黙ってた」
声が震えた。今更取り繕っても仕方がないのに、みっともなくならぬよう堪えようとして、余計に苦しくなる。
「そのくせ、傷つけて……勝手に、もう戻れないって決めつけて……」
フェイもリシェイも、黙って聞いていた。
顔を上げるのが怖かった。
それでも、聞かなければ前へ進めなかった。
「お前たちのことを信じ切れずに……傷つけた。……それでもいいのか……? 俺は……まだみんなと一緒にいていいのか……!?」
カインの絞り出すような叫びに、フェイとリシェイは顔を見合わせた。
そして、晴れやかな笑みを浮かべると、同時にカインの胸をポンと突き飛ばした。
「当たり前だろ、馬鹿野郎!」
「そうだよ! カインはアタシたちの『家族』なんだから!」
デュロアルの絆がこれくらいで解けてたまるかと、二人は笑う。
いつもの姿に、カインの目頭が激しく熱くなり、その双眸から大粒の涙がこぼれ落ちた。
まさか再び戻れるなんて、思ってもみなかった。
昨日から、本当に泣いてばかりだ。
他人に泣き顔を見せるなんて大嫌いだったのに、胸の奥から溢れ出す感情を抑えることなんてできなくて、カインはただただ涙をこぼし続けた。
フェイはいつもの悪戯っぽい皮肉な笑みを浮かべ、腕を組んだ。
「何だよお前、意外とよく泣くナぁ。やーい、泣き虫カイン」
「ウルせぇよ……っ! 泣いてねぇ!」
「その顔でよく言うわ」と、フェイの皮肉は優しい苦笑へと変わっていった。「男の涙なんて慰めてやらん」という相変わらずの口調に、「いらねぇよ」と笑って返せるほど、カインの心を縛り続けていた重い鎖が綺麗に砕け散っていくのを感じていた。
カインは乱暴に涙を拭うと、二人に向かって心からの笑顔を見せた。
偽りの強がりでも、取り繕った作り笑いでもない、本当の笑顔。二人にもきっと、その真実が伝わったはずだ。
自分はもう、一人じゃない。
かけがえのない、大切な仲間たちがここにいる。
自分という人間はここに存在していて良かったのだ。
顔を上げた視線の先に、澄み渡る陽光に輝く銀髪の少女が立っていた。
レミは優しく頷き、眩い笑顔を向けてくれていた。
カインの胸の奥に残っていた最後の深い影が、みるみるうちに光の中へ溶けていく。
彼女が、自分を暗闇から連れ出してくれた。
温かな光を、偽りのない真実の『心』をくれたのだ。
この眩しい陽光の中で微笑む彼女の姿を、自分は生涯忘れることはないだろう。
「……ありがとう……レミ」
フェイとリシェイも晴れやかに笑った。フェイはバシッとカインの背中を力強く叩くと、いつもの快活な笑顔で言った。
「じゃあ、旅の再開と行くかナ」
「ああ!」
見上げた空一面に清々しい青空が広がり、雲の切れ間に色鮮やかな虹が架かっていた。
雨と共に心の中で渦巻いていた激しい暗雲を、すべて綺麗に連れ去ってくれたかのような、息を呑むほど美しい空だった。
───どうか、この雨が彼の心の陰りを洗い流してくれますように。
雨が上がったとき、彼が再び晴れやかな気持ちで歩みだす事ができますように。
かつて少女が静かに捧げた優しい祈りは、今、最高の笑顔とどこまでも広がる青空の中に、鮮やかに溶け込んでいった――。
これにて5章終了です。読んでいただきありがとうございます。
まだまだ問題は山積み。
一緒に進めて行く旅もそれぞれ心境の変化を迎えていきます。
引き続きよろしくお願いします。




