↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
EDGE ―光と闇の約束―  作者: 岩梨
第五章 真紅の深淵
59/80

58. どうして


あの時と同じ絶望が、カインを襲っていた。


 村中から向けられる視線が肌へ突き刺さる。両手で頭を抱えても、その奥から溢れる記憶は塞げなかった。息を吸うたび喉が鳴り、足元が遠ざかっていく。


「カイン! どうしたの!?」


 レミが駆け寄ろうとした。


 心配そうに覗き込む青い瞳。その姿へ、血に濡れた記憶の中の『おねえちゃん』が重なった。


 あの時も、優しく呼んでくれた。



 けれど――




 けれど、その後―――





「来るなぁぁぁぁぁッ!!」





 カインの悲痛な絶望の叫びが村全体に響き渡った。

 その衝撃的な声に、レミはピタリと足を止めて目を見張った。



「来るな! 近寄るな! みんな消えろ! 全部消えろ!」



 折り曲げた身体が激しく震えた。指の間から覗く皮膚に赤黒い筋が浮かび、首から頬へ這い上がっていく。

 全身に太い神経のような筋が浮き上がり、顔面にまで達する浮き上がった血管と赤黒い筋。


 そして妖しく赤く光る双眸は異形そのものだった。



「人間なんて、皆いなくなっちまえ!!」



 顔を上げたカインの瞳は、真紅に染まっていた。


 人々が後ずさる。

 レミも口元を押さえ、立ち尽くした。



 どこかに居場所があると、信じたかった。

 歩いた先で、今度こそ失わずに済むものを見つけられるのだと。


 だが、手を伸ばせば奪われる。

 守ろうとすれば、皆が怯えた目でこちらを見る。



 ――もう、いい。




 カインが一歩踏み出した瞬間、山賊の一人が地面へ叩きつけられた。隣の男が身構えるより早く、その身体も吹き飛ぶ。悲鳴と衝突音が続き、気づけば男たちは血に濡れて倒れていた。


 カインは動かなくなった相手にも拳を落としかけ、ふいに顔を上げた。



「みんな……消えればいいんだぁぁぁッ!」



 逃げ出した村人の足音へ、真紅の瞳が向く。



「カイン、やめろ! 何やってるんだ!」


 フェイが走った。リシェイも反射的に続いたが、振り返った顔を見た途端、足が竦んだ。


 先日見たものは、見間違いではなかった。

 自分を叱り、悪態をつき、それでも必ず守ってくれた兄のような男が、こちらを見ている。なのに、その目には何の反応もなかった。


「カイン……アタシ――」



 風を裂く音がした。


 蹴りが腹へ突き刺さり、リシェイの身体が浮く。受け止めようとしたフェイまで巻き込み、二人は背後の大木へ激突した。


「が……っ、あっ、ぐっ……!」

「リシェイ!」


 地面へ崩れたリシェイが、腹を抱えて吐いた。フェイは痺れた腕で彼女を支え、追撃を警戒して顔を上げる。



 カインは、もう二人を見ていなかった。


 何事もなかったように歩き出す。その無関心が、殴られたこと以上にフェイの背筋を凍らせた。



 村人たちは家へ逃げ込み、扉を閉ざしていた。窓の隙間から覗く目と、震える声だけが残る。


「化け物……」

「悪魔だ……」



 ポツリと頬へ雫が落ちた。


 淀んだ雲間から雨が降り始める。

 地面にいくつもの水たまりを作り始め、踏み荒らされた土を黒い泥へ変えていった。



「……信じたかったのに……」


 リシェイの涙が、雨に混じった。


「あれが……本当の姿だったの……?」

「リシェイ、動かないで。今、治すから!」


 駆け寄ったレミが傷へ手をかざすと、白い光がリシェイの傷を癒していく。リシェイはその光の向こうに心の見えない赤い瞳の狂気を見た。

 そして途切れ途切れに話し始めた。カインが見せた真紅の瞳の深淵と、彼の破壊に対する喜びを。


 否定したかった。知っているカインのはずがないと、何度も思おうとした。



 だが今、その足で蹴り飛ばされた。

 シンのように圧倒して抑え込む力がないなら、もう無理だ。


 レミはリシェイの震える肩を支え、フェイへ顔を向けた。


「瞳の力に、飲み込まれているの……?」

「分からない……! でも、まともに止められる相手じゃない。何なんだよ、あれは!」


 フェイの目の前で、カインが再び目元を押さえた。呻きながら肩を震わせ、その喉から、笑いとも息切れともつかない音が漏れる。




 ――駄目だ。静まれ。

 ――静まってくれ。


 ――また言われる。『化け物』って。



 ――そして、何もかもを失ってしまう




 止めたいと思ったはずの手が、さらに強く顔を掻いた。その苦悶を見たレミは、立ち上がっていた。



「レミ、行くな!」


 フェイの制止より早く、彼女はカインの腕へしがみついた。力で敵うはずがないのは分かっていたが、放っておくわけにはいかない。何としても正気に戻すのだという強い思いで力を込めた。


「もうやめて! これ以上傷つけたら、取り返しがつかなくなる!」


 真紅の瞳が、真下へ動いた。



「邪魔をするんじゃねぇぇッッ!!!」


「きゃあああぁぁッッ!!」


 腕が振られた。


 レミの身体が放り出され、泥へ叩きつけられる。息が潰れ、声も出ないまま肩を押さえて身を丸めた。


「レミ!」

「大丈夫……二人とも、待って……!」


 それでも彼女は、泥に滑る手で身体を起こした。


 声が届いていない。自分たちが誰なのかさえ、分かっていないのかもしれない。だったら、分かるまで呼ばなければ。


「カイン……お願い。私の声を聞いて!」


 血に濡れた手へ、両手を重ねた。

 次の瞬間、その手が首元へ伸びた。襟を掴まれ、持ち上げられた身体が、再び地面へ叩き落とされる。


 重い靴底が身体を打った。


「か……はっ……!」


 逃れようと縮めた身体へ、次の衝撃が来る。泥水が顔へ跳ね、息を吸う暇も、術を使う隙もなかった。


「やめろ! それはレミだぞ! お前、何やってるのか分からないのか!?」


 フェイが叫び、立ち上がりかけたリシェイが腹を押さえて崩れる。


 カインの足が止まった。




 ――やめろ。


 ――やめてくれ。




 その願いが誰に向けたものなのか、もう分からなかった。


 レミは泥へ手をつき、震える身体を起こした。痛みで視界が霞んでも、彼の顔から目を離さなかった。


「カイン……私の、声を……」



 鞘から刃が抜けた。

 雨粒を弾く銀色を見て、フェイの表情が変わる。


「死ね……死ね、死ね死ね!! あははははっっ!!」


 カインが笑っていた。

 喉を反らし、顔を歪め、何が可笑しいのかも分からない声で。血に濡れた指が柄を握り直し、切っ先がレミへ向く。


 いつも彼女の前へ立ち、敵を退けてきた剣だった。


「全部消えろ! 失敗作は全部消すんだ!」

「失敗……作……?」


 レミの眉が寄った。


 自分たちへ怒っているのではない。今ここにいる誰かを見ている言葉でもない。彼の中から、知らない何かが溢れ出しているようだった。


 だが、考える時間はなかった。

 フェイが魔導銃を抜いた。


 人へ向けないと誓った銃口を、仲間へ向ける。構える腕は震えたが、下ろせなかった。このままでは、レミが殺される。


「レミ、どいていろ!」

「何をするの!? やめて!」

「急所は外す! まず動きを止めるんだ。このままじゃ全滅する!」

「駄目!」


 レミは泥を掻き、傷む身体を引きずって射線へ入った。

 カインを背中に庇った。

 青い瞳から大粒の涙がポロポロと溢れ落ち、雨で冷え切った空間に白い吐息が浮かんでは消えていく。


「これはカインの意思じゃない! 仲間同士で傷つけ合うなんて、フェイだって望んでないでしょう!?」

「望んでるわけないだろ!」


 叫び返した声が裏返った。

 いつものように取り繕った余裕など微塵もない。考えていたら手遅れになる。


「だったらどうすりゃいいんだよ! レミが殺されるのを、そこで見てろっていうのか! 早く離れろ!」


 フェイの銃口が揺れた。レミの背後で、カインが手を伸ばす。


 肩を掴まれ、レミは振り向いた。

 戻ってきてくれたのか。



 一瞬、胸へ灯った期待は、冷たい真紅の眼差しに砕かれた。



 襟首を掴み上げられ、喉が詰まる。足が泥から離れ、彼女の指がカインの腕へ縋った。


「ぐ……っ、カイン……!」

「そんなに俺に殺されたいのか?」


 笑みの残った口が、そう告げた。


 力任せに振り払われた身体へ、剣が薙がれる。


 いつも彼女を護ってきた、その刃で。



 胸元から、鮮血が散った。



 レミは背中から崩れ落ちた。白い服へ赤が広がり、零れた血が雨水に混じっていく。起き上がろうとした手が泥へ沈み、青い瞳が閉じられた。



 フェイの唇が震えた。



 本当に。



 本当に、斬った――




「レミぃぃぃぃッ!!! カイン、お前ぇぇぇぇッ!!!」




 フェイは引き金を引いた。



 乾いた銃声が、カインの耳に響いた。


 すべてを破壊する暴力とは裏腹に、カインの心と身体は、深い虚無の中に漂うように冷ややかだった。




(ただ……守りたいものを守るために戦っただけなのに。どうして俺は……いつもこうなってしまうんだろう)



夜に続き更新予定です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。