54. あなたの傍にいるよ
レミも、想像を絶する苦痛を味わってきた。
この旅で不安と戦っている彼女に、逆に慰められている自分が情けなかった。
カインは深く息を吐いた。
「……ずっと胸がざわついて、瞳の奥が疼いてさ。だけど、村の子供たちを見たら、少し気が晴れたんだ」
「子供たちを?」
「俺も孤児なんだよ。家族のことで一番はっきり覚えてるのは……父親に、冷たい川へ突き落とされた時のことだ」
顔を思い出すことは怖かった。
それでも、あれが実の父親だったことだけは、疑えなかった。
「助けてって泣いたのに、投げ捨てられた。……生き延びて孤児になって、ある事件の後は、完全に一人で各地を流れてた。明日も生きてるか分からねぇ毎日だったよ」
レミは黙って聞いていた。
「でも、あの村じゃ、貧しくても子供が守られてた。ちゃんと愛されてるんだなって……ああいう大人もいると知れて、少し救われた」
それでも、胸の濁りは消えなかった。
シンと出会ってから、何もかもが狂い始めている。
制御できない破壊衝動。知らない一族へ向けられた殺意。自分を恐れ、距離を置く仲間。
またあの男と会えば、次こそ取り返しがつかなくなるかもしれない。
俯いた顔を、レミが覗き込んだ。
「一人で全部を背負わないで」
壊れ物を扱うような、切実な眼差しで見つめられ、カインは照れ隠しに小さく笑った。
「お前の方が、俺より何倍も重いもん抱えてそうだろ」
「そ、そんなことないよ!」
慌てて言葉を探す姿を見ているうちに、胸のざわめきが静まっていく。
彼女はいつも、偽りなく向き合ってくれる。あの力を見ても、恐れずに傍へ来てくれる。
狼狽えるレミの頭をポンと優しく撫でると、無垢な青い双眸が丸く見開かれて見つめ返してきた。
湿った夜風に揺れる彼女の美しい銀髪を、指先で静かにすくい上げ、そのまま柔らかな頬へとそっと手を添えた。
「ありがとうな。お前がそんな風に優しくしてくれるから、俺は……」
言葉を止め、首を振った。
その先を口にしてはいけない。
アルダシティで、土下座しろと迫られた時から、分かっていた。レミに向ける想いが、もう仲間に対するものだけではないことくらい。
自分はそこまで、己の感情に鈍感ではない。
「カイン……?」
「……駄目なんだ。これ以上は」
それでも、大切な仲間だからだと言い聞かせてきた。
真紅の瞳が現れて以来、何度も人を信じようとして、拒まれてきた。
強さを褒めた者も、愛していると囁いた女もいた。
けれど、暴走すれば皆、逃げた。
化け物。
気持ち悪い。
殺される。
「愛してる」と甘い言葉をくれた女に、真の姿を見られてナイフを向けられたこともある。
ようやく正気に戻った時、傍には誰も残っていなかった。
危険から逃れようとする相手を、責めることはできない。それでも、信じた分だけ傷は深くなった。
やがてカインの心は「他人を心から愛することの諦め」へと変わっていったのだ。
もう誰も心から愛さない。
特別な存在など、作らない。
レミも同じだ。
旅が終われば、二度と会えなくなるのだから。
――それなのに。
「……お前がその心のまま、ずっと傍にいてくれたら……どんなに幸せなんだろうな」
こぼれた本音に、胸が痛んだ。
今は優しくても、本当の暴走を見れば彼女だって逃げるかもしれない。
他の誰から蔑まれても、純粋なレミから「化け物」と拒絶されることだけは、耐えられない。
期待して、また失うのは嫌だった。
カインはいつもの笑みを作った。
レミも微笑み返し、静かに口を開く。
「一生懸命頑張って……どうしても一人じゃ抱えきれなくなったら」
「え?」
「私にも、荷物を半分分けてね」
胸元のクロスのチョーカーへ手を添える。
「……約束、だよ?」
優しい笑みを向けられ、カインはリアンシティの花畑で交わしたあの日の約束を思い出した。そういえばあの時も、彼女は同じように笑っていた。
己の情けなさに、思わず自嘲気味な苦笑が漏れる。
「いつの間にか、立場が逆転してんな」
「カインが私を助けてくれたように、あなたが苦しんでいる時は、私があなたの力になりたいの」
そうは言っても、この旅が終わるまでの間だけになってしまうけれど――と、レミは少しだけ寂しそうに眉を下げた。
「カインが私の手を必要としてくれるなら……私はいつだって、あなたの傍にいるよ」
青い瞳に、迷いはなかった。
「……レミ」
「だって、私、カインのこと大好きだもの」
「好…………えぇ!?」
顔に熱が集まり、鼓動が跳ねた。
レミはにっこりと続ける。
「初めてできた、大切な友達だもの。リシェイもフェイも、デュロアルのみんなも大好き」
「友……あ、ああ。そっちの好きな。……びっくりした」
慌てた自分が恥ずかしくなり、カインは息をついた。
それでも、心は少し穏やかになっていた。
「ありがとな、レミ」
「気にしないで」
気づけば、随分と夜が更けていた。
カインは立ち上がり、ズボンの砂を払う。今夜は少し眠れそうな気がした。
「そろそろ戻らねぇと、あいつらも心配するな。行くぞ」
差し出した手を、レミが握る。
立ち上がろうとした、その瞬間だった。
タタタタタッ――!
無数の足音と怒号が、夜の静けさを破った。
鳥たちが一斉に羽ばたく。
崖下の林を、二十人はいる男たちが松明を掲げて駆け抜けていた。
「な、なに……?」
レミの声に気づいたのか、数人が足を止める。
揺れる火が、こちらへ向きを変えた。
殺気を帯びた気配が、暗い林を抜けて迫ってきた。
夜に続き更新出来たらします




