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EDGE ―光と闇の約束―  作者: 岩梨
第五章 真紅の深淵
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52. エリザ村


魔工師の邸宅を出た四人は、これからの進路を決めるために地図を広げていた。


 だが、カインは眉間に皺を刻んだまま黙り込み、リシェイは彼と目が合いそうになるたび、顔を背けてしまう。


 その間に立つレミも、何を言えばいいのか分からずにいた。

 昨夜、独りにはなりたくないと漏らしたカインの声を知っている。それなのに今は、すぐ隣にいる仲間へさえ、手を伸ばせなくなっているようだった。



 フェイが溜息をつき、地図へ指を落とした。


「街道は目立つから避けたいよナ。森を抜け直すか、山沿いに迂回してエリザ村を通るか……森なら魔水晶も稼げるけど」

「森は嫌。戦わなくてもいい道にして」


 リシェイの即答に、カインが顔を上げる。


「……いつもなら、魔物がいる方へ行きたがるだろ」

「今は行きたくないの」

「理由くらい言えよ」

「言ったって……どうせ聞く気ないくせに」


 カインの目が険しくなった。レミは慌てて二人の間へ声を差し入れる。


「エリザ村を通ろう? 私も、村で少し休めたら嬉しいし」

「毒はもう消えてるだろ。今朝だって元気だって言ってたじゃねぇか」

「うん。でも……昨日まで寝ていたから、少しずつ歩きたいの」


 嘘ではなかった。ただ、それ以上に、今の二人を再び戦いの中へ戻したくなかった。


「レミまで気を遣って無理すんなヨ」


 フェイの言葉に、レミは小さく首を振る。


「無理をしているのは、私だけじゃないと思うから。今日は、少し楽な道にしようよ」


 リシェイが唇を噛んだ。カインはしばらく地図を見つめていたが、やがて短く息を吐く。


「……村を通るんだろ。それでいい」

「アタシも……それでいい」


 フェイは頷き、問いかけたかったことを飲み込んだ。

 二人が何かを隠していることは分かっている。だが、今ここで聞き出そうとしても、互いを傷つける言葉ばかりが増えそうだった。



 そこへ邸宅から魔工師が出てきた。


「まだいたのかい。これからどこへ行くんだい?」

「エリザ村を経由するつもりです」


 レミが答えると、魔工師の老婆の顔が曇った。明らかな不快感を示す目だった。


「あそこには近づかない方がいいと思うけどねぇ。余所者なら、なおさら」

「余所者お断りの村なのかナ?」

「それくらいなら可愛いものさ。……どうしても行くのかい?」


 フェイは地図へ目を落とした。森へ戻れば戦闘が待っている。街道には追手の危険があり、その両方を避ける迂回路は、村を通る道しかなかった。


 事情を説明しても、魔工師は渋い顔を変えなかった。


「せいぜい気をつけるんだね」


 村に何があるのかは、最後まで語ろうとしなかった。



 ***



 山道は足場が悪かったが、街から続く結界のおかげで、魔物には襲われずに済んだ。


 カインが先頭を歩き、リシェイは最後尾で俯いている。三時間ほど経っても、二人は一度も言葉を交わさなかった。フェイが何度か話を振っても、短い返事の後には、また靴音だけが続いた。


 以前なら、こんな山道でも賑やかだった。リシェイが腹を空かせ、カインが呆れ、フェイがからかう。何気ない言い合いが楽しくて、レミは隣で笑っていた。


 あの時間に、何度救われただろう。


 誰かと歩くことは、こんなにも心強いのだと教えてくれた人たちが、今は一人ずつ、離れて歩いている。

 見ているだけでは嫌だった。



「村に着いたら、皆で何か食べたいな」


 レミの声に、前を歩くカインが振り向いた。


「お腹空いたの?」

「うん。……少し」


 尋ねてきたリシェイへ頷くと、レミは三人を見回した。


「いつも、リシェイが美味しいものを見つけてくれるでしょう? 私、何も知らなかったけれど、皆と食べると、初めてのものでも食べてみたくなったの」


 リシェイの足が、少し速くなった。


「別に、そんな大したことしてないよ?」

「してくれたよ。フェイは食べ方を教えてくれたし、カインも、食べてみろって分けてくれた」


 レミは照れたように笑った。


「だから今日は、私が何か見つけたいな! 皆が少しでも、楽しい気持ちになれるもの」


 言い終える頃には、自分でも頬が熱くなっていた。何をすればよいのか、まだ分からない。それでも、もらってばかりだったものを、今度は自分から返したかった。


 リシェイが隣へ並び、レミの顔を覗き込んだ。


「……じゃあ、アタシも探す」

「本当?」

「うん。美味しいものの見分け方、教えてあげる」

「お前、それ大体腹減ってる時だろ。何でも美味そうに見えてんじゃねぇの」


 カインの声に、リシェイが顔を上げた。


「違うもん! ちゃんと選んでるし」

「この前、俺の分まで狙ってたくせに」

「……あれは、美味しそうだったから」


 言ってから、リシェイが小さく笑った。カインも口元を緩めかけ、その表情に気づいたように目を伏せる。



 元に戻ったわけではなかった。

 それでも、二人の声が同じ話の中にあることが嬉しくて、レミは安堵の息を漏らした。


 フェイはその横顔を見て、胸の奥が痛んだ。

 病み上がりの彼女に、ここまで気を配らせている。


「じゃあ、村に着いてからのお楽しみだネ。まずは、そこまで歩かないと」

「うん!」


 レミの返事に、今度は誰も無理をするなとは言わなかった。



 ***



 陽が傾き始めた頃、山間に小さな村が見えた。



 だが、近づくにつれ、フェイの期待は薄れていった。家は数軒ほどしかなく、継ぎはぎの壁や黒ずんだ藁屋根が、斜面に身を寄せ合っている。側溝には濁った水が溜まり、湿った土と古い木材の臭いが鼻についた。


 店も宿も見当たらない。


 それでもレミは落胆を口にせず、家々を見回していた。その姿に、フェイは気を引き締めた。休める場所だけでも、何とか確保したかった。


 水の入ったバケツを抱えた少年が近づいてくる。細い腕は重みに震え、つぎはぎの服の裾が濡れていた。


「やぁ。この村に住んでるのかい?」


 フェイがしゃがむと、少年は足を止めた。


「……よそ者?」

「旅をしてるんだヨ。今夜泊まれる所を探していてね」

「宿なんてないよ」


 少年は答えながら、背後の家を気にした。バケツを下ろすこともせず、誰かに見られていないか確かめるように視線を動かす。



 その時、戸口から初老の男が現れた。


「水汲みはどうした。早く持っておいで」


 少年は肩を揺らし、バケツを抱え直した。声をかける間もなく脇を通り過ぎていく。


 フェイが立ち上がって宿泊の相談をすると、男は首を振った。


「私が村長だ。悪いが、そんな場所はない。他の家も同じだよ。家族と孤児たちに食べさせるので精一杯でね」

「孤児?」


 カインが顔を上げた。


「さっきの子もか?」

「そうだ。各家庭で引き取っている」


 戸口には小さな靴が何足も並び、家の奥から子供の咳が聞こえた。フェイが目を向けると、窓の隙間にあった顔が引っ込む。


 隣の家でも同じだった。誰かが戸口を横切るたび、小さな影が奥へ消える。


「古くから、子供は慈しむものだと教えられていてね。村の未来のためにも、大切に育てねばならん」


 村長は穏やかに言いながら、一度だけ家の中へ目を走らせた。その途端、かすかに聞こえていた子供の声が止んだ。



 フェイは笑顔を保ったまま、背筋が冷えるのを感じた。


 貧しいだけなら、珍しくはない。子供が家の仕事を手伝うこともある。知らない旅人を警戒する理由だって、幾らでも考えられる。

 だが、あの少年が気にしていたのは、自分たちだけではなかった。



 ――怖い。


 この村には、何かがある。



 魔工師の警告が脳裏に蘇り、無意識に手が腰の武器へ近づいた。すぐに下ろしたが、指先の強張りは残っていた。


 今なら、まだ引き返せる。宿がないと分かったのだから、礼を言って村を出ればいい。

 そう考えてカインを見ると、彼は戸口の靴を見つめていた。レミも、少年の消えた家へ目を向けている。



 カインも自分も、孤児だった。

 誰にも顧みられず、安い労働力として使われる子供を、嫌というほど見てきた。


 ここで疑いを口にしたら、もう離れられなくなるだろう。カインは確かめようとする。レミも、苦しんでいる子がいるかもしれないと知れば、置いてはいけないはずだ。



 フェイは唇を結んだ。仲間を危険から遠ざけたい。そのために今、何を言うべきなのかが決まらなかった。


 一方、カインの胸には、村長の言葉が残っていた。


 子供は慈しむもの。


 この貧しい村でも、帰る家があり、食べるものを与えられ、守られているのなら。それだけで、救われる子供はいるはずだった。


 自分がかつて欲しくても得られなかったものを、あの子たちは持っているのかもしれない。

 そう思いたかった。



 窓の奥で小さな影が動く。

 カインはそちらを見つめ、フェイはその横顔を見た。



 ――村長だけが、変わらず穏やかに微笑んでいた。




後ほど続き更新します。

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