51. 光と闇の属性
「アンタが『レミ』かい? まあ、無事だったんなら結構なことさ。アタシにゃどうでもいいけどね」
「その節は、本当にありがとうございました」
病院を出た一行は、魔工師の邸宅を訪れていた。
レミは命を救われた礼を直接伝えたいと言い、フェイもまた、滅多に会えない魔工師の仕事に興味を示したのだ。
解毒薬の代金は、シンを連れてくるという条件を果たしたことで帳消しになっていた。
だが、森で起きたことを、カインは二人に何も話していない。彼らは、貴重な薬を無償で譲ってくれた魔工師の厚意に感謝していた。
昨日の怒号と土下座とは打って変わって、丁寧に頭を下げるレミに、魔工師は目を丸くした。
「へぇ……礼儀正しい娘じゃないか。昨日の連中からは想像もつかないねぇ」
シンと再会できた余韻もあってか、魔工師はすこぶる機嫌が良かった。
招かれた室内には、市場では見かけない薬瓶や、魔水晶を加工した品々が並んでいた。
職業柄、お目にかかれない希少な薬を前に目を輝かせて棚を覗き込んでいたフェイは、窓の外ばかり気にしているリシェイに気づいた。
「リシェイ、どうしたんだい? さっきから窓の外ばっかり見てるけど」
「な、何でもないよ」
慌てて首を振る姿を、カインは黙って見つめた。
ここにいれば、またシンが現れるかもしれない。
そうなれば、自分が再び暴走するかもしれない。
リシェイの怯えを取り除く言葉を、カインは持っていなかった。
あの一戦以来、剣に触れることさえ恐ろしい。戦ってもいないのに、今にも真紅の瞳が現れそうで、次こそ理性を失うのではないかという不安が離れなかった。
暗い横顔を心配そうに見ていたレミが、場の空気を変えるように口を開いた。
「えっと、この魔水晶なんですけど……魔工師さん、何かに使えますか?」
差し出したのは、彼女に毒を打ち込んだ魔物の体内にあった魔水晶だ。かつて禍々しい漆黒を纏っていた欠片は、今や澄んだ七色の光を放っていた。
魔工師は欠片を受け取り、目を細める。
「こりゃ驚いたねぇ。アンタ『光』の属性持ちかい?」
「光の……属性?」
「生まれつき持っているエーテルの性質さ。火・水・風・地・雷の五属性が普通だけど、たまに特殊属性の光や闇を持つ者もいる。まあ、こんなに分かりやすく変化するのは珍しいけどねぇ」
魔工師はそう言うと、奥から透明な水晶玉を持ち出した。
「せっかくだ。順番に触れてみな」
フェイが手をかざすと、水晶玉の内部に鮮やかな緑色が灯った。
「おっ、緑か。これは何属性?」
「『風』だね。流れを見極めて、穢れや停滞を払う性質さ」
「へぇ。医者にはありがたい属性だネ」
続いてリシェイが恐る恐る触れると、水晶は温かな黄色に輝いた。
「おや、嬢ちゃんは『地』だね。芯が強そうな色をしてるよ」
「そ、そうなの?」
「カインもやってみたら?」
フェイに促され、カインは気乗りしないまま手を伸ばした。
自分の属性は『火』だ。戦う者として、属性の把握は基本中の基本。魔術師の場合はまず自分の属性を知るところから始まるくらいだ。カインも戦士なので、相性も含めてとうに把握している。
水晶玉に鮮烈な赤が灯った。その色から、フェイも説明を受けずとも何の属性かは察した。
「やっぱり火か。分かりやすいネ」
「それで終わりなら、ねぇ」
魔工師の声に、カインが顔を上げる。
赤い光の奥から、漆黒がぼんやりと広がっていた。
カインは息を呑んだ。
これまで、水晶が黒く濁ったことなど一度もない。
「赤は『火』、黒は『闇』……アンタまさか、二つの属性を抱えているのかい?」
背筋に冷たいものが走った。
闇。
今にも己を狂気へ引きずり込もうとする、あの衝動が脳裏をよぎる。
「……何かあったんですか?」
カインの顔色に気づいたフェイが、声を落として尋ねた。魔工師は一瞬だけカインを見たが、すぐに肩をすくめる。
「さあねぇ。昨日は薬の調合にかかりきりだったから、詳しいことは知らないよ」
それ以上は聞くなというように、魔工師はレミの魔水晶へ視線を戻した。
「ただし、『闇』だからって悪いものとは限らない。属性は性質であって、善悪じゃないからねぇ」
そう言って、魔水晶の欠片を指先で軽く叩く。
「こっちは、お嬢ちゃんの『光』で毒気が浄化されたんだろうさ。加工すりゃ、かなりの値がつくよ。ひひっ!」
「……ライフェン博士も、私の光の力が欲しかったのかな」
レミは自分の掌を見つめた。
だが、光の属性を持つ者が他にもいるのなら、なぜ自分に固執したのかは分からない。
答えの出ない疑問を胸にしまい、レミはふと作業台へ目を向けた。そこには、指輪や多角形に加工された小さな透明の水晶が並んでいた。
「あれも魔水晶なんですか?」
「エーテルを抜いた後の『殻』さ。中身を薬に使うこともあるし、殻を加工して道具にすることもある。魔工師ってのは、何かと忙しいのさ」
魔工師は作業台の水晶を見て、何かを思いついたように手を叩いた。
「そうだ、お嬢ちゃん。そいつに触れてみな」
「私がですか?」
「そうさ。ほら、遠慮せずに」
レミが透明な指輪を幾つか手に取ると、掌の中で純白の光が灯った。
「えっ……?」
「アンタのエーテルを吸い上げたんだよ。この光なら……回復系の術式を記憶したねぇ。光属性の中でも飛び抜けて治癒の才能があるじゃないか」
「飛び抜けた……治癒の才能?」
「自覚がなかったのかい? こりゃまた、とんでもない掘り出し物だねぇ!」
魔工師は光る指輪をそそくさと回収し、揉み手をしながら笑った。
「ただのガラクタが、治癒効果付きの高級品に早変わりさ。十倍、いや、もっと吹っかけられるかもしれないねぇ!」
「うわぁ、悪どいナァ……」
フェイは引き気味に苦笑したが、レミは嬉しそうに微笑んだ。
「これに回復の力を溜めておいて、必要な時に使えるんですか?」
「もちろんさ。攻撃系の魔水晶はそこら中にあるけど、回復系は貴重だからねぇ」
レミは作業台に残っていた空の指輪を見つめた。
「魔工師さん……これを、私に売っていただけませんか?」
「売る? アタシも思いがけず儲けさせてもらったんだ。そこにあるのを一つ、持っていきな」
「本当ですか? ありがとうございます。大切にします」
レミは透明な指輪を受け取り、左手の薬指にはめようとした。
その瞬間、フェイが横から手を差し込んで止める。
「おっと、そこにするのかい、レミちゃん?」
「ここにしちゃ駄目なの?」
「駄目ってわけじゃないけどサ。そこはほら……いずれ『オレ』が、レミちゃんに指輪をはめてあげる場所かもしれないだろ?なぁ〜カイン?」
フェイはニヤニヤと笑いながら、カインの様子を窺った。
「……ああ、そうだな」
返ってきたのは、感情のない相槌だった。
カインはぼんやりと遠くを見つめている。いつものように突っかかってくる気配もない。
フェイは笑顔のまま、わずかに眉をひそめた。
「……あれ? そこは怒るところじゃないのかナ?」
「カイン、どうしたの?」
レミも心配そうに顔を覗き込む。
カインは答えず、ただ視線を逸らした。
「……うわぁ、やりづらいナァ」
フェイは肩を落とした。
レミは小さく笑い、魔工師に回復力の調整方法や発動条件付加のやり方を教わると、指輪を大切にポケットへしまった。
その横で、カインはポケットの中の拳を強く握り締めていた。
闇。
今の自分にとって、それほど忌々しく恐ろしい言葉はない。
耳の奥で、激しい動悸が鳴り響く。
真紅の瞳の奥底から、何かが自分を呼んでいるような気がした。
深い、深い、底なしの闇から。
―――すべてを、消してしまえ、と。




