↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
EDGE ―光と闇の約束―  作者: 岩梨
第五章 真紅の深淵
51/76

50. 不協和音


翌朝、病室の窓には淡い日差しが差し込んでいた。



 フェイは受付へ精算に下り、リシェイは黙って荷物をまとめている。その傍らで、レミはベッドに座るカインへ両手をかざしていた。


 指の間から溢れる濃密な白い光が包帯を透かし、彼の全身を包み込んでいる。朝日の中でも、その輝きは鮮明だった。


 絶え間なく送り込まれるエーテルが傷の奥へ染み入り、疼きを内側から押し流していく。レミは唇を結び、その流れを自らの意思で引き上げ続けた。


 胸部の裂傷に腹部の深い打撲と、骨にヒビが入った右手首。昨夜、手を握ってほしいと引き留めた時も、カインはこの痛みに耐えていたのだ。



 早く治したい。

 もう、苦しそうな顔をしてほしくない。



 意識を集中させると、光が一段と膨れ上がった。掌から押し出されたエーテルが奔流となり、傷へ注ぎ込まれる。


 力が弱まりかけるたび、レミは身体の奥から汲み上げ直した。腹の底が空になるような感覚がしても、手を下ろさない。残っている力があるのなら、すべて彼のために使いたかった。



 時間とともに腕が重くなり、肘が震え始めた。それでも手首を持ち上げ直し、治癒の勢いを保ち続ける。


 やがてカインが右手を動かした。握り込んでも痛みはほとんどなく、庇っていた腹部も自然に起こせる。


「……すげぇな。もう、ほとんど痛まねぇぞ」


 レミの口元が緩んだが、手は下ろさなかった。


「あと少し……」


 一時間近く、光を注ぎ続けていた。瞼が重くなり、まっすぐ座っていることさえ難しくなる。


 白い輝きが薄れかけると、レミは首を振り、両手を持ち上げ直した。残った力を掻き集めるように意識を絞り、もう一度、出力を押し上げる。


 消えかけた光が、再び眩しく膨らんだ。


「……おい、レミ」


 カインが顔を上げた時、彼女の頭がかくりと傾いた。光が乱れ、レミは慌てて目を開く。


「あ……私、今……寝ちゃってた……?」


 瞬きをしても、瞼が落ちてくる。それでも両手は傷へ向けられたままだった。


「ごめんなさい。昨日、あんなに寝たのに……」

「まだ本調子じゃねぇんだろ。もういい」

「大丈夫。あと少しだから」


 力を込め直そうとした手首を、カインが掴んだ。


「終わりだ」

「でも、最後まで……」

「俺はもう動ける。お前が倒れるまで治してほしいなんて、思ってねぇよ」


 レミは彼を見つめた。まだ治せるところがあるはずだと、意識が傷へ引かれる。けれど、手首を包む温もりと、こちらを案じる眼差しに、ようやく肩の力が抜けた。


「……うん。分かった」


 治癒へ向けていた意識を解くと、掌の光が細くなり、消えた。

 途端に腕が重く下がり、身体が前へ傾く。カインは肩を支え、彼女の両手を膝へ戻した。


「無茶させて、悪かった」


 礼を言えばいい。おかげで楽になったと笑えばいいのに、顔を見ていると、昨夜さらした弱さまで思い出してしまう。


 彼女の優しさに、どこまで甘えていいのか分からなかった。


「……出発前に、荷物を確かめとけよ」

「あっ、カイン……」


 呼ぶ声を背に、ジャケットを羽織って病室を出た。




 レミは下ろした手を見つめた。

 治療の途中で居眠りなどしたから、呆れられたのだろうか。少しでも力になりたかったのに、うまくいかなかった。


 肩を落としたところへ、再び重い眠気が押し寄せる。床が遠ざかるような感覚に、慌ててベッドの縁を掴んだ。


(今、反省したばかりなのに……)


「しっかりしなきゃ……」


 首を振って目を開け直すと、扉が鳴った。


「やぁ。大きな溜息をついて、どうしたんだい?」


 フェイが戻ってきたところだった。


「精算、終わったの?」

「ああ。いつでも出られるヨ。カインは?」

「先に下りていったよ」


 リシェイも荷物を抱え、「アタシも下で待ってる」と部屋を出た。フェイは椅子を引き寄せ、レミのそばへ座る。

 二人きりになると、レミは頭を下げた。


「本当にありがとう。ここの先生から聞いたの。最初の手当てがよかったから、助かったんだって」

「本職ですから」


 気取って胸へ手を当てた後、フェイは彼女の顔を窺った。


「まだ眠そうだね」

「ちょっと、ぼんやりしちゃって……」

「治療もしたんでしょ? 出るまでは座ってな。荷物は持つから」


 礼を言って頷くと、彼は椅子の背へ身体を預けた。


「ところでサ。あの猪突猛進単細胞クン、何か喋った?」

「猪突…………た、単細胞……?」

「カイン。前しか見えない猪で、考え始めると黙り込む。面倒な男だよネ」

「それは、酷いよ……」


 困った顔をされ、フェイは肩をすくめた。


「何があったのか聞いても答えないんだ。リシェイに探りを入れたら、あの子まで暗くなっちゃってさ」


 普段なら悪態の一つも返ってくるのに、今回は目を逸らすばかりで、取りつく島がなかった。


「レミちゃんになら、少しは話すかと思ったんだけど」

「私なんかより、フェイたちの方が……」


 長い年月を共に過ごし、背中を預け合ってきた仲間なのだ。自分は助けられるばかりで、彼について知らないことも多い。


 それでも、見てきたものはあった。


「いつか話してくれると思うよ。カインは、フェイもリシェイも大好きだもの」

「……はい?」


 意外な言葉に、フェイが眉を上げる。


「本人が聞いたら、すごい顔するだろうネェ」

「でも、みんなといる時、心から楽しそうに笑ってたよ。嫌いな人の前では、あんなふうに笑えない。……それは、私にも分かるから」


 気を許せる人と過ごす中で、笑顔は自然にこぼれるのだと知った。カインが皆へ向ける表情には、そうした温かさがあった。


「本当は話したいこともあるんじゃないかな。でも……カインは繊細だから」

「繊細ぃ!?」


 フェイが吹き出した。


「あの男を評する時に、まず出てこない言葉だネ」

「そんなこと、ないと思うんだけどな……」

「まあ、傷つくところは傷つくんだろうけどさ。何も言わないんじゃ、こっちも分からないな」


 笑いを収めた声に、わずかな苛立ちが混じった。


 放っておきたいのではないのだろう。力になりたくても、手掛かりさえ渡してもらえないことに困っているのだ。


「……話せるようになるまで、待ってあげてほしいの」

「そう言われちゃ、無理に聞けないネェ」


 フェイは息を吐き、両腕を伸ばした。


「街を出て風に当たれば、少しは気分も変わるかな。じっとしてるの、苦手な奴だし」

「……うん」


 頷きながらも、レミの胸には引っかかるものが残った。


 昨夜のカインは、ただ気分が沈んでいるだけではなかった。誰にも会いたくないと言いながら、立ち去ろうとした手を掴み、独りにはなりたくないと声を絞った。

 その矛盾を、レミはおかしいと思わなかった。


 人の目が怖い。

 けれど、誰の目にも留まらなくなるのは、もっと怖い。


 抱えている過去は違っても、その孤独だけは知っていた。だから、話せなくてもそばにいていいのだと伝えたかった。

 傷を治せるからでも、役に立てるからでもなく、カイン自身がそうしてくれたように。


 レミは膝の上の手を、そっと握り直した。



 ***



 玄関ホールでは、カインが壁に背を預けて待っていた。


 少し離れた場所にリシェイが立ち、荷物の紐を結び直している。こちらを見ようとしない横顔に、カインも声をかけられなかった。

 以前なら、待ちくたびれたとか、腹が減ったとか、何かしら話していたはずだ。その何でもない会話の始め方が、今は分からない。



 昨夜、レミのそばでようやく息ができた。その温もりは覚えているのに、リシェイと二人きりになると、また胸が強張った。



 何を見られたのか。

 どう受け取られたのか。


 確かめるのが怖くて、どうでもいい話すらできなかった。



 視線を向けると、リシェイが顔を上げた。目が合いかけた途端、彼女は気まずそうに俯く。カインも顔を背けた。



 朝の光が玄関の床へ伸び、外では荷車や旅人が行き交っている。これから、また四人で歩き出す。


 だが、すぐ隣にいるはずのリシェイへ届く一言が、今のカインには見つからなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。