43. 圧倒的な力
シンの鮮やかな青い瞳に、激しい熱と暗い翳りが同時に宿っていた。
静かに顔を伏せ、怒りと怨嗟に全身を細かく震わせる。
「貴様が……あの日我々を踏みにじった『真紅の瞳の一族』か……!」
「ンだと……!? 何言ってやがるんだ。トチ狂ってんじゃねぇ!!」
シンがゆっくりと顔を上げた。
カインはその氷のように冷たい眼差しを直視した瞬間、背筋が凍りつくような死の恐怖を覚えた。
金色の前髪の隙間から覗く青い双眸が、一点の曇りもなく自分へ向けられている。
その視線は、威圧感だけで呼吸が止まりそうになるほどの絶対的な『純粋な憎悪』。
これまでカインは数知れぬ修羅場を潜り抜け、強面で鋭い眼光を持つ猛者たちと対峙してきた。
だが、目の前に立つシンから放たれる殺気は、過去の誰とも格が違っていた。
端正な美貌を誇る、一見すれば暴力とは程遠いこの男から――世界を滅ぼしかねないほどの絶望的な力が溢れ出しているのだ。
「……この……化け物め……! 破壊の悪魔が……!」
傍らで、リシェイが突如として生じた事態に声を失って佇んでいた。
異変を聞きつけた魔工師も、完成した解毒薬の小瓶を手に表へとび出してきたが、目を見張ったまま固まっていた。
装飾剣を握り締めたシンの逆の手に青い光が収縮すると、圧縮された水の呪術が放たれた。
蒼く閃くその殺傷光線に対し、カインは剣を掲げて全身のエーテル防御壁を全開にし、間一髪で凌ぎ切った。
二つに裂けた光線は背後の地面を深く抉り取り、激しい水蒸気を噴き上げる。
その凄まじい威力に、カインは目を見開いた。
術士との戦闘経験など無数にあるが、次元が違う。
防いだ刃越しに、骨を砕くような激しい振動が両腕を襲った。こんなものを防戦一方で受け続けていれば、ガードごと叩き潰されるのは時間の問題だった。
「水は俺が最も得意とする属性だが……お前は火と闇の力を体内に抱えているようだな。……ならば、これならどうだ」
シンが空へ向けて右手を掲げた。
人差し指の先端に、先ほどと同じ青い光が松明のように灯る。
威力を徹底的に昇華させた単発呪術の使い手なのかと、カインは瞬時に推測した。
だが、単調な攻撃を繰り返す戦士ほど、相手が手練れであれば即座に軌道を見切られ、突破口を許してしまうリスクを抱えるはずなのだ。
「また同じ術かよ! そんなもん効くか!」
「……そうだろうな。真紅の瞳の悪魔を、甘く見るつもりなど毛頭ない」
シンの指先に、二つ、三つと……全く異なる『色の光』が次々と灯っていく。
カインの赤の双眸が驚愕で大きく見開かれた。
エーテルには「属性」が存在し、適性によって扱える魔術が限られるのがこの世界の常識だ。ゆえに術士は大抵が『炎の術士』『水の術士』といった専門に分類される。
――炎・水・風・地・雷。
そして特殊属性の光と闇。
各属性には明確な相性と弱点が存在するため、老成した大魔導士であっても全属性を極めることなど不可能に近い。生涯をかけて三つ程度の属性を修得するのが限界なのだ。
それなのにこの男は、目の前で五大属性を同時にコントロールしている。
「まさか……五属性を全部使えるのか!?」
回避しようにも、シンの術式展開はあまりにも早すぎた。術専門のキャスターですら、これほどの高密度呪術を無詠唱で連続発動させることなど通常は不可能だ。
この男は一流の剣士でありながら、大魔導士を遥かに凌駕する術理を極めている。
「消え失せろ、この世界から」
シンの静かな囁きとともに、五色のエネルギー波が解き放たれ、カインへ襲いかかった。
受け止めることすら叶わない。全身を焦がす炎の熱、体組織を凍結させる氷結、肉を削ぎ落とす風の鎌、圧殺する土塊、打撃を与える電撃――すべての理不尽な苦痛が一度に全身を打ち据える。
激痛に意識が飛びかけた。
強烈な光に視界を奪われ、カインは吹き飛ばされて巨木へと激突し、激しく血反吐をぶちまけた。衝撃で、樹齢数百年を数える大木がメキメキと音を立てて倒壊する。
シンは間髪入れずに踏み込み、倒れ込むカインへ容赦なく剣を振り下ろした。カインは直感だけで剣を持ち上げ、己が真っ二つに叩き斬られる寸前で刃を受け止める。
一撃を捌いても、二撃、三撃の踏み込みが早すぎる。これだけの速さでありながら、全て急所を的確に突いてくる。
戦い慣れしたカインですら目で追えず、戦闘の勘で弾き返すのが精一杯だ。
「何なんだ、コイツは!?」
───これほどの憎悪を向けてくる、これほど強い相手に出会った事はなかった。
強者なら幾らでも知っている。
デュロアルの筆頭戦士であるゼロだって、出会った当時は手も足も出ず、鍛錬を積んだ今なお実力伯仲の相手。
……だが、目の前のこの男は何かが決定的に違っていた。
腕が立つという話ではない。
生きている世界の「次元」が、まるで違うのだ。
(こんな怪物がいやがったのか……! これほどの圧倒的な力を持った奴が!)
恐怖、圧迫感、激痛、そして理不尽な死の気配――カインの精神へ、あらゆる激情の波が奔流となって押し寄せる。
「……う……あ……あぁ……っ!!」
―――心 地 良 い。
真紅の瞳を激しく光らせたカインの胸の奥底から、ドロリとした恍惚の感情が押し寄せてきた。
突然の惨状に硬直していたリシェイが、ようやく我に返った。
何がどうなっているのか理解などできないが、こんな不毛な殺し合いを黙って見ているわけにはいかない。
「カ……カイン! ちょっと、シン! やめ……ッ!」
叫びかけたリシェイの言葉が、喉の奥で凍りついた。
目の前にいるカインの表情が――いつもと、あまりにも違いすぎた。
「真紅の瞳」を発現させたカインは、いつだって圧倒的な速度と力で即座に戦闘を終わらせるのが常だった。だから彼が苦戦する姿など見たことがなかった。
今、カインは一方的に押し込まれている。
それなのに――。
「なんで……笑って……るの……? カイン……?」




