42. ペンダントに刻まれた名前
魔工師の家へ戻ると、別の意味で凄惨な光景が待っていた。
「まああぁッ! またお会いできるなんて! 先日は本当にありがとうございました~ッ!」
厚化粧でめかしこんだ老婆が、シンを見るや否や、目を輝かせて飛び出してきた。カインとリシェイは、思わず後ずさる。
「妖怪か!?」
「誰が妖怪だい、この小童! ……あらやだ、アタシったら。おほほほほ!」
シンまで、わずかに身を引いた。
「……ご婦人。もう少し距離を置いていただきたい」
「あらまあ、聞いたかい、アンタたち! 『ご婦人』だってさ! なんて礼儀正しくて麗しいお方なんだろうねぇ。アタシがあと五十歳若ければ……」
「五十歳若くても、シンはまだ生まれてないんじゃない?」
「分かってるよ、そんなこと! いちいちうるさい小娘だね!」
シンの冷たい視線が、カインへ向けられた。喋ってもいないのに何を言いたいのか分かってしまう。
──なぜ俺が、こんな茶番に付き合わされねばならない。
無言の圧力に耐えかねたカインは、慌てて本題へ戻った。
「ばあさん、約束は守ってもらうぞ! これが原料の魔水晶だ。早く薬を作ってくれ!」
カインが差し出した魔水晶を確認すると、老婆はたちまち職人の顔に戻り、魔水晶を手に奥の作業場へ引っ込んでいった。
「……外の空気を吸ってくる」
シンは疲れ切った様子で邸宅を出ていった。
カインも後を追い、背中へ声をかける。
「少し、話さないか」
シンは断るのも面倒になったのか、庭の切り株へ腰を下ろした。深く息を吐き、カインを見上げる。
「……随分と高くつく飲み代だったな」
「本当にすまない。……けど、助かった。おかげで仲間を救える。ありがとう」
「もういい。礼は聞き飽きた」
素直に頭を下げるカインへ、シンは淡々と返した。
口調は冷たいが、最後まで見捨てずに付き合ってくれたことは事実だった。
シンが立ち上がろうとすると、リシェイがすかさず話しかける。
「ねえ、シンってどこから来たの?」
「……ああ」
「えっ、今の質問に『ああ』って答えたの?」
「……いや」
「じゃあ、どこから来たの?」
「答える気はない」
「ああ」や「いや」といった短い返事ばかりだったが、リシェイはめげずに問いかけ続けた。
シンは何度も立ち去る機会を逃し、結局その場に留まっていた。
***
十五分ほど経った頃、邸宅の窓から「あと数分でできるよ!」と言う魔工師の声が響いた。
張り詰めていたリシェイの表情が、ようやく緩み、安堵の涙がぽろぽろと頬を伝う。
「よかった……! 本当にありがとう、シン……!」
泣きながら服の裾を握り締めるリシェイを見下ろし、シンはわずかに目を伏せた。
「……レティシア……」
「えっ? レティシア?」
思わず漏れたらしい呟きを、シンはすぐに打ち消した。
「……何でもない」
その時、リシェイの視線がシンの胸元へ落ちた。
金色のロケットペンダントは、長年使い込まれたのか、表面が傷だらけで、あちこちが痛々しく凹んでいる。
よく見ると、蓋の縁には細い亀裂が走り、留め具の周囲だけが何度も指で撫でられたように擦れていた。傷の一部は、ただ古びたためにできたものではない。まるで、何かを守るように強く握り締められ、幾度も危険な場所をくぐり抜けてきたかのようだった。
「そのペンダント、すごくボロボロだね。新しいのに買い替えないの?」
シンは胸元へ手を伸ばし、ペンダントを大切そうに包み込んだ。
その指先が、無意識に蓋の縁をなぞる。
「これは、大切な贈り物だ。生涯、手放すつもりはない」
「もしかして、さっき言ってたレティシアさんからのプレゼント?」
繊細で女性が選びそうな意匠だったため、大方恋人からの贈り物なのだろうとリシェイは思った。
……けれど、シンの青い瞳は深く沈み込み、どこか果てしない遠くを見つめていた。
「生前、レティシアが俺の誕生日に贈ってくれた。……俺に残された、唯一の形見だ」
シンはそこで一度、言葉を切った。
ペンダントを握る手に、わずかに力がこもる。
シンの表情に、深い寂しさが滲む。自分の軽率な問いが、彼の傷に触れてしまったのだと悟り、リシェイは慌てて頭を下げた。
「ごめんなさい……」
「お前が気にする必要はない」
向かいの切り株に腰を下ろしていたカインが、シンとペンダントを交互に見つめる。
「……亡くなったのか? その人は」
シンは白くなるほど拳を握り締めた。
低く押し殺した声に、激しい殺意が滲む。
「……殺された。あの日、俺はすべてを奪われた。レティシアを護ることもできずに……」
「シン……」
「俺にとって、何よりも大切な存在だった。それなのに、理不尽な惨劇に巻き込まれ、無惨に命を奪われた……!」
シンの指が、ペンダントの蓋を強く押さえ込む。その表面に刻まれた傷を、まるであの日の光景を確かめるように、親指がなぞった。
庭を、重い沈黙が包み込んだ。
「俺も、その場で共に死にたかった。だが……残された責務が、それを許さなかった」
シンは腰の装飾剣へ手をかけた。
「この剣に、そしてレティシアに誓った。生かされたこの命で、惨劇の元凶を叩き潰し、レティシアの墓前にその首を捧げてくれる! ……それだけが、俺に残された存在理由だ」
カインとリシェイは、彼の瞳の奥に潜む深い闇を見つめた。
シンは、憎悪だけを支えに生きている。
大切なものを奪われる痛みは、二人も知っていた。
カインは実の父親に川底へ突き落とされ、リシェイは火災で家族を失った。
それでも二人は、仲間たちと出会い、憎しみや絶望だけではない、共に生きる温かさを知っている。
だからこそ、復讐だけに身を捧げるシンの姿が、悲しくてならなかった。
リシェイは拳を握り締め、涙を浮かべながら訴えた。
「でも、誰かを憎み続けるだけなんて……辛すぎるよ! そんな生き方をして、シンは幸せになれるの?」
シンの眉が、かすかに動いた。
やがて、力なく視線を落とす。
「……すまない。不快な話をした。見知らぬお前たちに、なぜこんなことまで話したのか……」
「違うよ、不快なんかじゃない! シンは今も生きてるんでしょ? それなのに復讐だけを続けるなんて……そんなの、悲しすぎるよ!」
リシェイの頬を、大粒の涙が伝う。
シンはその顔をじっと見つめた。
しばらくして、彼は静かに呟いた。
「……少し、レティシアを思い出した」
「えっ……?」
「いつも自分のことより、他人の心配ばかりしていた。傍にいるだけで、周囲を温かな光で包み込むような子だった」
シンはペンダントを握り締め、静かに目を閉じた。再び目を開けた時、その眼差しには、わずかな温もりが宿っていた。
「俺の心を案じてくれたこと……感謝する」
復讐という生き方に賛同することはできない。
それでも、その誓いが深い愛情の裏返しであることは、リシェイにも分かった。
無骨で刺々しい言葉の奥にある、シンなりの不器用な優しさに触れ、リシェイは涙を拭って笑いかけた。
いつか、この孤独な剣士にも温かな幸せが訪れるようにと願いながら。
「お前たちは旅人か?」
シンが話題を変えた。
「いや、旅人っていうより、ある目的地へ向かって一時的に旅をしてるんだ。本業は人材派遣組織で、拠点はリアンシティにある」
「人材派遣組織……。リアンシティか。随分と遠方だな。拠点には情報が集まるのか?」
「ああ、仕事は広域だからな。諜報担当もいるぞ」
シンは、わずかな手がかりも逃すまいとするように、カインへ鋭い眼差しを向けた。
「それなら、聞いたことはないか? 『真紅の瞳の一族』についての伝承を。瞳を真紅に染め、絶大な破壊力を振るう者たちだ。俺は、その生き残りを追っている」
シンの手が、ペンダントを握ったまま止まった。
その視線はカインの顔ではなく、彼の瞳の奥を探るように向けられている。低い呟きに、カインとリシェイの身体が同時に硬直した。
真紅の瞳。
カイン=レッドバードという男の根幹を縛りつける、呪われた力。
しかも、シンはそれを「一族」と呼んだ。
「一族のことは知らねぇけど……なんでアンタが、その瞳のことを知ってるんだ?」
「知っているのか!?」
「知ってるも何も……それ、俺のことかもしれねぇぞ」
「な……っ!?」
シンの顔色が変わった。
凄まじい圧力に押し潰されそうになりながらも、カインは言葉を続ける。
「真紅の瞳は、戦闘中とか、怒りで感情が激しく昂ぶった時に発動するんだ。だから普段は……」
「ならば、確かめれば済むこと!」
シンは言葉の終わりを待たず、腰の装飾剣を疾風のごとく抜き放った。刃がカインの首元へ閃く。
カインは間一髪で身を伏せ、斬撃をかわした。後方へ跳んで距離を取り、腰の剣を抜き放つ。
「何しやがる、この野郎!」
だが、正面にシンの姿はなかった。
頭上から殺気が降り注ぐ。
カインが見上げると、シンが必殺の勢いで剣を振り下ろしていた。
カインは剣を横に構え、全力で受け止め、凄絶な金属音が、静かな庭に轟いた。
命を奪うための本気の一撃。
突然突きつけられた殺意に、カインの体内でエーテルが沸騰する。
緑の双眸が、意思に反して真紅へ変わった。
カインは爆発的な腕力で、シンの剣を力任せに弾き返す。
その瞳を捉えた瞬間、シンの美しい顔立ちが、憎悪に歪んだ。
燃え盛る炎。
黒煙を上げて崩れ落ちる故郷。
絶望と悲鳴が渦巻く宵闇の中で見上げた、あの悪魔の如き真紅の双眸。
あの呪われた血の色を、生涯忘れることなどできない。
こいつが。
この血塗られた悪魔どもが――。
誇り高きすべてを。
根こそぎ奪い去った。
「貴様らが……! 貴様ら悪魔が……レティシアを!!」
出来れば今夜、もしくは明日の朝続き更新します。




