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EDGE ―光と闇の約束―  作者: 岩梨
第四章 交錯する宿命
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37. 魔晶毒

 

 カインが冷ややかな視線を向けたその時――。



 黙って見守っていたレミの背筋に、突如として禍々しいエーテルの波紋が走り抜けた。


 自然界に漂うエーテルの揺らぎや呪術の気配に対し、レミの感知能力はパーティの中でも群を抜いている。今、背後の空間から生じた気配は極めて微弱だったが、恐ろしい邪気を孕んでいた。


(何か、来る……っ!?)


 レミが弾かれたように周囲へ視線を走らせる。


 その時、悔しさに涙を拭ったリシェイが、カインから逃れるように横道の藪へ足を踏み出そうとしていた。


「リシェイ、そっちに行っちゃダメ!」


 頭上の巨大な枯れ木の上。保護色で完全に身を隠していた植物系の魔物が、黒い術式を収束させているのをレミは見逃さなかった。収束された黒光のベクトル――その直線上に、飛び出していったリシェイの無防備な背中があった。


 弓を構えて撃ち落とそうにも、もはや一刻の猶予もない。

 レミの身体が、思考より先に跳んでいた。


「リシェイッ! 危ないっ!!」

「えっ……!?」



 直後、黒い光弾が空間を切り裂いて放たれた。


 レミは間一髪でリシェイの身体へ抱きつき、地面へ押し倒すような形で彼女を庇い重なる。着弾の衝撃波が吹き荒れ、殺傷光線の一部がレミの伸ばした右腕を酷く掠め去った。


 異変を察知したフェイが瞬時に振り返り、腰の鋼線を展開。樹上の魔物へ正確に絡みつかせると、一気に腕を引き絞って魔物を粉砕した。

 弾け飛んだ魔水晶の欠片が、木々を揺らして雨のように降り注ぐ。


 地面に突っ伏したまま、レミは手のひらで転がってきた黒ずんだ欠片を握りしめた。その禍々しい魔力から、仲間が敵を倒してくれたのだと理解した。


「リシェイ! レミっ!!」


 カインとフェイが駆け寄る。固く目を閉じたままレミの下敷きになっていたリシェイは、おそるおそる目を開けて上体を起こした。


「リシェイ……だい、じょうぶ……?」


 自分が無鉄砲に飛び出したせいで狙われ、レミが庇ってくれたのだと悟ったリシェイは、顔から血の気を引かせて座り込んだ。


「う、うん……っ! ありがとう、レミ……!」


 光線が着弾した背後の巨木へ目をやる。

 光を浴びた幹がドロドロと腐食し、急速にしなびて枯れ果ていく惨状が目に入った。



 もし……あの光が、自分に直撃していたら――。



 あまりの恐怖に呆然としていると、突如、起き上がりかけたレミが再びリシェイの胸元へ倒れ込んできた。



「レ、レミ……!? どうしたの……!?」



 レミの右腕を見下ろした瞬間、リシェイは息を呑んだ。

 掠めただけの浅い傷口から溢れ出た血はドロリと黒ずみ、肌の一部が青紫色に変色して急速に広がっていた。

 レミは荒い息を吐き、酷く苦しそうに胸を押さえて絶叫した。


「うっ……ゲホッ! ゴホッ……っ!」


 激しく咳き込んだかと思うと、レミの身体から完全に力が抜け、だらりと地に沈んだ。

 リシェイは瞳を大きく見開いた。


「レ……レミっ!? レミーーーっ!?」


 カインとフェイが二人を抱き起こす。カインがレミを引き取り、その額に手を当てた瞬間、尋常ではない高熱に顔を歪めた。


「凄い熱だ……! 腕の傷も…おい、フェイ! これは一体なんだ!?」


 フェイは即座に救護ポーチから清潔なガーゼを取り出し、レミの傷口に付着していた物質を拭い取った。ガーゼに付着した血の中に、微細な黒い粉末が混じっているのを確認し、フェイの眉根が重く寄った。


 リアンシティのような都市部では滅多に見られないが、過酷な戦場や無法地帯で時折目にする最悪の毒症。


「……『魔晶毒』だ。マズいな、これは…」


 事態の深刻さを理解できないリシェイが「魔晶毒って何!? 手当てしてよ!」と悲鳴を上げた。

 普段ならどんな怪我でも手際よく応急処置を施すフェイが、見たこともないほど神妙な面持ちでレミの止血を試みている。

 フェイはガーゼに付着した黒い粉末をリシェイに見せた。


「長年にわたって『穢れ』を溜め込んだ魔水晶を不純物ごと粉末化させた特殊な毒だよ。れっきとした猛毒だ」

「けがれ……!? 普通の解毒剤は効かないの!?」


 じわじわと侵食するような甘い毒ではない。現に、レミは毒を受けた直後から容態が劇的に悪化していた。侵食のスピードが異常なまでに速いことは、素人の目にも明白だった。


「エーテルそのものが汚濁してるから、普通の治癒魔法や市販の解毒剤じゃ絶対に中和できない。知識を持った『魔工師』が、特殊な術式と触媒を組み合わせて精製する専用の解毒薬が必要なんだ。殺傷力も侵食速度も、普通の毒とは比べものにならない……!」


 リシェイは衝撃で目を見開いた。


 レミの呼吸は刻々と浅くなり、青紫色の斑点が腕から肩へと酷い勢いで広がり続けている。


 目の前で起きている悪夢のような現実――自分が我儘を通し、勝手な行動をしたせいで、大切なレミが命の危機に瀕しているのだ。


「レミ、しっかりしてぇぇっ! お願いだから目を開けてよぉっ!」


 パニックを起こしたリシェイがレミの身体を激しく揺さぶると、フェイが彼女の肩を強く掴んで引き剥がした。


「揺さぶるなッ! 毒の循環が早くなる!!」


 突き放されたリシェイは一歩後退り、ただカタカタと肩を震わせて立ち尽くすことしかできなかった。レミを蝕む不気味な青紫のアザ。苦しみに顔を歪め、必死に酸素を求める息遣い。



 自分が身勝手を言わなければ。

 自分が大人しく指示に従っていれば――。



 絶望と後悔の念に押し潰されそうになるリシェイを余所に、カインとフェイは懸命にレミの侵食を遅らせる処置を試みた。

 だが、どれほどの手を尽くしても毒の進行は止まらない。カインは苦渋に満ちた表情でフェイを振り仰いだ。


「フェイ、お前はこの解毒薬は作れないのか?」


 カインの必死の問いかけに、フェイは悔しそうに首を横に振るしかなかった。


「……無理だ。魔水晶やエーテルそのものの構造を変質させる『魔工師』は、魔導具士や医師とはまったく別の、特殊な才能と術式を扱う専門職なんだ。病院に置いてある解毒薬も全部専門の魔工師から買い取った外注品で……オレがイチから調合できる代物じゃない……!」


 医療の知識を持つ者として、目の前の患者に何もできない己の無力さにフェイは歯噛みした。自分の領域を超えている以上、今できる最善の選択へ切り替えるしかない。


「……次の街は、ここを抜ければ目と鼻の先だったはずだよな?」

「ああ。本当は人目を避けて素通りする予定だったが……背に腹は代えられねぇ」

「街に腕の立つ『魔工師』か、薬を扱う専門医がいることに賭けるしかない。それ以外にレミを救う道はない」


 カインは強く頷くと、即座に剣をおさめて先頭へと走り出した。道中の魔物を一刻も早く撃破し、最短で道を切り開くために。

 フェイはぐったりと意識を失ったレミをしっかりと背負い上げる。



 その様子を涙で見つめていたリシェイが、ついに耐えきれずにその場へ泣き崩れた。


「あ……アタシが…っ! 勝手なこと…言ったから……っ! レミがっ……! う……うわぁぁぁんっっ!!」


 自分を庇って倒れたレミの姿、そして自分の愚かさ。

 涙で顔をグシャグシャにし、しゃくりあげるリシェイのもとへ、カインが歩み寄った。

 カインは大きな手を伸ばすと、彼女の頭をポンと優しく叩いた。


「……自分の間違いを素直に認められたんなら、それでいい。失敗を受け入れるのも、立派な強さなんだからな。責任を感じてるなら、泣いてる暇はないぞ。みんなでレミを救うんだ。フェイは手が塞がってる……背後の警戒は、お前に任せたぞ、リシェイ」 


 カインの瞳には、怒りも呆れもなかった。あるのは、仲間への深い信頼と優しさだけだった。


 彼は決して自分を見下していたわけでも、馬鹿にしていたわけでもなかったのだ。



 自分が本物のファイターとして生きていけるよう、誰よりも本気で、命懸けで怒ってくれていたのだと――今更ながらに悟った。


 リシェイは、溢れる涙を袖で強く拭うと、力強く深く首を縦に振ったのだった。




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