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EDGE ―光と闇の約束―  作者: 岩梨
第三章 旅路の始まりと伝承
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34. 唯一の逃げ道


 レミのまつ毛が揺れ、ゆっくりと瞼が開いた。

 心配そうに覗き込む三人の顔が、次第にはっきりと見えてくる。



「カイン……リシェイ……フェイ……」

「気がついたか?」



 カインの声に、レミはシーツを握り締めた。少しずつ昼間の記憶が戻ってきて、自分の置かれた状況を何となく理解した。


「ごめんなさい……いきなり倒れちゃって……」

「何でもかんでも謝るなよ。悪いことしたわけじゃねぇだろ」

「ごめんなさい……」

「ほら、また謝った」


 カインが口元を緩めると、レミも力なく微笑んだ。

 額へ触れてみたが、熱はない。閉じ込められて暮らしていた彼女には、連日の山越えが堪えたのかもしれなかった。


「気分はどうだ?」

「うん。もう、大丈夫」


 レミはゆっくりと上体を起こした。

 起き上がったタイミングを見計らい、フェイが木製のお椀を運んできた。運ばれてきたミルク粥からは、優しい湯気と甘い香りが漂っている。


 フェイは料理が得意だ。

 手際も良いはずなのに、普段は「面倒くさいし、可愛い女子に作ってもらった飯の方が美味い」と言って怠けるだけだった。レミのためならばと腕を振るってくれた。


「いただきます……」


 木のスプーンで一口運ぶ。

 温かな甘さが喉を通ると、レミの表情が少し和らいだ。


「今日はもう休みなヨ。明日も気分が悪かったら、遠慮なく言うこと。いいネ?」

「ありがとう、フェイ。すごく美味しい……」


 フェイが安堵の息を吐く。

 レミはお椀へ目を落としたまま、ぽつりと尋ねた。


「何があったのか、訊かないの……?」


 カインは椅子の背へ身体を預けた。


「お前が本当に話したいって思った時に、いくらでも聞くって決めたからな」


 先日、朝のベンチで自分が告げた言葉をそのまま返され、レミは青い瞳を大きく見開いた。


「……ありがとう」


 急いで説明しなくてもいい。

 そう思うと、胸のざわめきが少しずつ静まっていった。あれは一体何だったのだろう?


「自分でも、よく分からないの。教会にいたら、頭の中に何かが見えて……」


 どれも、形を掴む前に消えてしまった。

 ただ、怖さと哀しさだけが残っている。


「誰かに助けてって言いたかったのに、声が出なくて……」


 俯くレミの頭を、カインがそっと撫でた。


「もう大丈夫だ。俺たちがいるだろ。今度また怖くなったら、真っ先に俺の名前を呼べ。絶対に駆けつけてやるから」

「もちろん、オレもネ」

「アタシもだよ!」


 三人を見上げ、レミは目頭が熱くなるのを感じた。


「ありがとう……私、今、本当に幸せ……」


 こんな時間を知ってしまうと、『救済の聖地』へ行かず、ずっと皆と歩いていたくなる。

 口にはできない願いを胸にしまい、レミは温かなお椀を両手で包んだ。心まで満たされるのをはっきりと感じる。



(みんななら、どんな暗闇の中からでも……私を見つけてくれそう)


 その幸せを、今はただ噛み締めていた。



 ***



 翌朝、レミは誰よりも早く目を覚ました。

 暗い部屋で一人目覚めるのは、長年の監禁生活で染みついた習慣だった。


 白み始めた窓の光を頼りに、ベッドの上で地図を広げる。


 かつて、同じように地図を眺めた日のことを思い出した。



 ***



『この国は、すごく大きいのね』

『リドゥ国だね。ラメント大陸では随一の規模だよ。大きな港があって、世界中の交易船が集まるんだ』



 薄暗い研究所の部屋。

 ヴァートが手描きした地図を挟み、二人は並んで座っていた。


 彼の語る街や国の話は、外へ出られないレミにとって、世界を知る貴重な機会だった。ヴァートはかつては各地を旅するファイターだったらしく、地理に詳しかった。


 ふと、北の海にある島へ目が留まる。

 周囲の島には地名があるのに、そこにだけ何も書かれていなかった。


『この島には、どうして名前がないの?』

『正式な国名がないんだ。一般には『救済の聖地』と呼ばれているね』


 ヴァートは島を指した。


『古来の神を信仰する人々が、誰にも邪魔されず、生涯を神に捧げるために独立を申請した土地だと言われている』

『お祈りのためだけに、島を作ったの?』

『ああ。エヴァルナと同じ、『世界保護指定国』の特例だよ。どの国の領土にも属さないんだ』



 世界保護指定国。

 国際条約によって、他国からの侵略や干渉を禁じられた地域だ。



 その代わり、歴史的遺産や天然資源のエーテル、独自の文化を守り続ける責務を負う。自由な技術革新や開発よりも、古くからの価値を維持することが優先されるのだという。


 指定を受けているのは、自然とエーテルに恵まれたエヴァルナと、この名もない聖地だけだった。


『信心深い者なら、世界中の誰でも受け入れるそうだ。ただし……』


 ヴァートの眉が、僅かに寄った。


『入った人間は、外の世界での権利も人間関係も、すべて捨てなければならない』


 一度入れば、生涯出られない。

 外にいる人間との接触も禁じられる。


 だが、それは同時に、どんな権力者も、そこへ逃れた者には手を出せないということだった。


『昔は純粋に神を信じる者が集まったらしい。けれど今は、行き場を失った者や、追及から逃れたい者も流れ込んでいるというよ』

『二度と出られなくても、そこへ行きたいの?』

『外で生きる術を失った者には、唯一の逃げ場なんだろうね。最低限の食糧と住処は保障されるそうだ。……どこまで本当かは知らないけれど』


 レミは彼を見上げた。


『ヴァートさんは、行きたいと思わないの?』


 彼は時折、己の境遇が嫌いだと漏らした。

 許されるなら博士のもとを去り、人間として生きたいのだと。

 誰も手を出せない場所なら、彼も安心できるのではないかと思ったけれど、ヴァートは首を横に振った。


『ただ生かされて、意思を持たない人形のように暮らす……そんなもののどこに、人間としての幸せがあるんだ?』


 青い瞳に、苦いものが浮かんだ。



『……これ以上、己の尊厳を失うのはごめんだよ』



 ***



 レミは、地図の上の島を指先で撫でた。


 昨夜のミルク粥の温かさも、三人の笑顔も、まだ鮮やかに覚えている。最早彼らはレミにとっての光そのものだった。


 聖地へ入れば、もう会えなくなる。



「……でも、私にはこうするしか……」



 地図を折り畳み、枕元へ置く。

 朝日が差し込み始めた部屋で、レミは静かに膝を抱えた。



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