32. それぞれの寄り道
「ねえねえ、レミー! 見て、可愛い花が咲いてるよ」
青々とした山道で、リシェイが弾んだ声とともにレミの手を引っ張り、道端に咲く可憐な野花を指さした。
木漏れ日が柔らかく二人を照らし、心地よい澄んだ空気が肺を満たしていく。
ライフェン博士の息がかかっていない場所、情報が広まりにくいルート。それらを厳選して選択していけば、自ずと都市を避けた山道ばかりの行軍となる。
ようやく山越えにも終わりの兆しが見え始めていた。道中、リシェイは美しい景色や珍しい生き物を見つけるたび、レミの腕を引いて回っていた。
元より人懐っこい性格のリシェイだが、優しく包み込んでくれるレミのことは格段に大好きなようだ。
目を離すと妹のように危なっかしく、けれど姉のように温かいレミは、すでにリシェイにとってかけがえのない存在となっていた。
リシェイは新しい発見があるたびにレミへ紹介し、そして必ず最後に、同じ言葉を口にするのだ。
「世界にはね、綺麗なものや楽しいことが、もっといーっぱいあるんだよ。『救済の聖地』なんてつまんないって。だからさ、行くのやめようよ~!」
よく通るリシェイの不満声に、後方を歩くフェイは苦笑しながら首を振った。
「あーあー、リシェイ。レミちゃんが困ってるだろ」
腕を引かれて地団駄を踏むリシェイを前に、レミはすっかり弱り果てた様子で苦笑いを浮かべている。
どうしてもレミを過酷な聖地へ行かせたくないリシェイは、旅立ちの際にカインが口にした『説得なら道中ですればいい』という言葉通り、手を変え品を変え、レミを引き止める努力を続けていたのだった。
もしレミが「外の世界のどこかで静かに暮らしたい」と言うのであれば、例えその地が海の向こうであっても、ここまでしつこく反対などしない。けれど『救済の聖地』だけは別だった。
一度亡命して聖地の内部へ入ってしまえば、外界との接触は完全に断たれ、二度と会うことすら叶わなくなる。
何より、良くない噂ばかりが囁かれる場所に大切な友人を送り出すなど、承諾できるはずがなかった。
「カインもさぁ、何とか言ってよぉ~!」
リシェイは頬をぷっと膨らませてカインを振り返った。
「そりゃ、俺だってレミが考え直してくれりゃ一番いいと思うけどよ」
カインとて、レミの選択を手放しで歓迎しているわけではない。
だが、彼女の内に秘めた強い決意も知っている。それを覆すには、彼女を心から納得させる絶対的な安全と居場所を示さねばならなかった。
「だからって露骨に迫ったってレミが困るだけだろ。もう少し押し方ってもんを考えろよな」
「うう……っ」
「一緒にいよう」という言葉だけで解決するなら、とうにそうしている。
みんなに窘められ、リシェイは小さく肩を落とした。レミにとっても、彼女のしつこいほどの引き止めは愛されている証拠であり嬉しかったが、一度固めた決意を覆すまでには至らなかった。
***
やがて山を降り、舗装された街道を進んでいくと、前方にこじんまりとした街並みが見えてきた。
先日立ち寄った農村よりは少し規模が大きいものの、それでも長閑な田舎町だ。車道と呼べるほどの広い通りは見当たらない。
連日の山越えで体力を削られていたこともあり、まだ太陽が頭上高くにある時間帯ではあったが、早めに宿を取って休もうということで意見が一致した。
デュロアルの面々は日常的に身体を鍛え上げているが、レミの体力は一般的な女性と変わりない。
生活用品店が立ち並ぶ小綺麗な広場に出ると、カインはある一角の人集りに目を留めた。
「おっ、ストリートファイトじゃねぇか。こんなトコでもやってんだな」
「ストリート……ファイト……?」
当然、そんな言葉を知るはずもないレミが首をかしげる。
カインの視線の先では、二人の屈強な男を取り囲むように群衆が人垣を作っていた。
大声で歓声をあげる観客たちの前で、中央の巨漢どもが拳を交え始めた瞬間、怒号のような歓声が沸き起こった。
「大変、喧嘩!? 止めなきゃ!」
突如始まった激しい殴り合いに、レミは思わず前へ飛び出そうとしたが、慌てた三人に一斉に襟首や腕を掴んで引き止められた。
「バカ! お前が飛び込んでどうすんだよ!」
「そうだよぉ! 超危ないってば!」
「あんな肉弾戦に割り込んだら、ペッタンコになっちゃうからやめなヨ……」
三人揃って必死に制止する姿に、レミは「どうして?」と不思議そうに目をパチパチさせている。
無知ゆえの恐ろしさに苦笑しながら、カインは目の前の興行について説明してやった。
「あれはただの喧嘩じゃなくて、賭け試合。街の路上でやる挑戦型の肉弾戦だよ。客はどっちが勝つか金を賭けて、挑戦者が勝てば賞金が手に入るって仕組みだ」
「そ、そんなのがあるんだ……」
けれど危険な光景には変わりない。レミは心配そうにファイトを横目で見やり、「あっ!」「危ない……!」と小さく悲鳴を上げていた。
「俺、昔は主にコレで食いつないでたからな。あーあ、見てたら久々に血が騒いできたぜ」
嬉々として指の関節を鳴らすカインに、リシェイも「行け行け~!」とはしゃいで乗っかる。けれど、どうしても痛々しい暴力にしか見えないレミは、どこか不安げな表情を浮かべていた。
フェイは戦闘そのものに興奮するタイプではないため、呆れたように溜息をついて腰に手を当てた。
「まあ、減ってきた路銀が増えるなら文句はないケドサ。あんまり目立ちすぎるなヨ? 相手が死なないように手加減しとけ」
こんな山奥の田舎町にまで追っ手が回っているとは思えないが、用心するに越したことはない。これまでも街に立ち寄る際は最大二日、基本は素通りで済ませてきたのだから。
「了解」と短く返すと、カインは腰の剣を外し、ルール上持ち込み禁止の武器をリシェイへ預けた。
肩を回してすでにやる気満々のカインを見送ろうとした時、レミの視線がある建物に留まった。
「ねえ……あの建物は何?」
三人はレミが指さす方向へ視線を向けた。
純白の石壁に、重厚な大きな鐘。屋根の頂点には、神聖なオブジェが掲げられている。
民家や商店とは明らかに一線を画す建造物に、フェイは彼女の視線に合わせて少し身をかがめた。
「あれは『教会』だヨ。知ってるかい? 教会」
「本で見たことはあるけれど……本物を見るのは初めて」
「ちょっと行ってみるかい? オレが付き合うヨ」
「レミちゃんが行きたいなら地の果てまでお供するヨ」と軽口を叩くフェイにレミは嬉しそうに頷いた。
けれどフェイもまた身体を張る技術を持った男だ。カインやリシェイのように血が騒ぐのではないかと、レミは気遣うように首を傾げた。
「でも、いいの? フェイも、ストリートファイトに行きたいんじゃ……?」
「冗談言わないでくれよ~。オレが鋼線や銃もなしに、あんな筋肉馬鹿集団に勝てると思うかい?」
飛び散る汗。
頭の代わりに鍛え上げられた野郎どもの肉体。
それに興奮する観客。
そんな場所にいて何が癒されるというのか――さも当然のように清々しく言い切るフェイに、カインは「自慢になってねぇよ」と吐き捨てた。
何と言われようと、そんな場所で無駄な格好つけなどしない。そんなくだらない見栄は美学とは呼ばない、というのがフェイの持論。
ある意味で非常に堅実でリアリストな男と言えた。
フェイは組織内でも「直接戦闘員」としてはカウントされていない。
彼の主たる任務は戦場での救護や医療であり、携えている銃も鋼線ほど自在に扱えるわけではない、最低限の自己防衛用だった。
「じゃ、一段落したら教会まで迎えに行くからな」
「あー、そうしてくれ。野郎のど突き合いを見るより、可愛いレミちゃんと一緒にお祈りでもしてる方が断然有意義だからナ。まあ頑張って、今日は久しぶりに豪華な飯でも奢ってくれよ、大将」
「任せとけ」と言い残し、カインとリシェイは人垣を割って興行の中心へと消えていった。
夕方に続き更新予定です。




