31. 話したくなる、その時まで
翌朝、午前六時前。
外は白み始め、カーテン越しの窓が少し明るくなっている。鳥のさえずりが聞こえてくる中、カインは目を開けた。
結局、昨晩はほとんど眠れなかった。
忌まわしい夢を見たことも原因の一つだが、何よりもレミに吐いた言葉が自分の心に突き刺さって、一刻も休まることができなかったのだ。
親愛の情を向けてあんな態度を取られれば、誰だって腹は立つし、よそよそしくなるものだ。彼女も相当に不愉快な思いをしたに違いない。
「ん……」
向かいのベッドから小さな声が聞こえ、視線を移すと、眠っていたレミがゆっくりと上体を起こして目を擦っていた。彼女は基本的に、目覚めが早い。
カインは目を合わせないように、寝返りを打ったフリをして、彼女が起き上がり、洗面所へ着替えに行く気配だけを感じていた。
着替え終わったレミは一人、外へ出て朝の澄んだ空気を吸いに行く。
宵から朝へ。
朝日が顔を覗かせるのも、もうじきだろうか。
薄闇から光が射し込む瞬間が好きで、レミは日の出を外で待っていた。肌寒いが、そのおかげで目は一気に覚めた。
「……おはよ、レミ」
宿の庭先で、建物を背に立っていたレミは、声の主へと振り返った。
着替えを済ませたカインが、ポケットに手を突っ込んで近づいてくる。手が届くほどの至近距離に立ったところで、カインは無言でレミを見つめた。
彼女の反応が、怖かった。
不愉快な顔をして逃げられるんじゃないかと、少しバツが悪そうに目線を泳がせる彼を見て、レミは目を丸くした。
「おはよう、カイン。早いね」
レミは、昨日と変わらぬ笑顔で挨拶を返してくれた。いつも通りの柔らかな笑みに、心のどこかで少し安堵していた。
二人は並んでベンチに腰掛けた。今度は逃げるわけにはいかないと、カインは軽く息を吐いてから、口を開いた。
「……ホントにごめんな、昨日は」
少し声のトーンが低い彼に、レミは視線を向けた。ずっと気にしていたのか、よく見ると少し目が充血している。レミは静かに首を振った。
「ううん。昨日も言ったでしょ? 本当に気にしないで。ね?」
誰にだって、不機嫌な時や悩みで人に当たってしまう時はある。心が揺らいでいる時は、何より自分のことを考えていてほしい。
そして気持ちが落ち着いたら、何も話さなくていいから、また他愛のない話でも聞かせてほしい――レミは静かに、そう告げた。
「……ありがとな」
あれだけ酷い暴言を投げつけても、レミは笑って許してくれた。
偽善者――。
そう言うなら、彼女を自分の勝手な意志で研究所から引きずり出した、あの同情心にだって当てはまることではないかと思う。
本当に自分のことしか考えていないと、腹立たしくて嫌になる。
厚意で言った言葉を同じように返されたら、自分はきっと、次の日に笑って許してやることはできないだろう。
彼女は、本当にすごい。
そして何よりも、優しい人なのだと、カインは改めて実感した。
「……父親の夢だけじゃない。昔の夢とか見ちまうと、いつも寝覚め最悪で機嫌が悪くなるんだ。だから……あんな風に言ったことがあるのは、レミだけじゃない。レミが悪いんじゃないんだ」
彼女は、ただ自分を気遣ってくれただけだ。
言い訳のように聞こえてしまうかもしれないけれど、これはちゃんと言わなくてはダメだと思った。
「デュロアルに流れ着くまでは…あんまり良い思い出とかねぇからさ。嫌なことばっか思い出して……。つい、当たっちまった」
本当に、ロクな人生ではなかったと改めて思う。
デュロアルに入るまでは、お世辞にも他人に誇れるような生き方はしていなかった。レミだって、聞いたらきっと軽蔑するに違いない。
カインの瞳が、ふと淋しげに翳る。
悔しさ、哀切、そして小さな憤り。
そんな彼の顔を見るレミの心中にも、複雑なものが去来していた。
「そっか……」
「訊かないのか? 昨日の続き。今なら話すかもしれねぇぞ」
「うん、訊かない」
キッパリとそう告げる彼女に向き直る。やはり、内心は怒っているのだろうか?
そんなカインの懸念を余所に、レミは白み始めた空を見上げ、清々しい顔をした。
「今のカインは私に遠慮して、本当は話したくないことを無理に話そうとしてるから。カインが本当に『話したいな』って思った時……その時は私、いくらでも付き合うよ」
自分の気持ちを何より大切にしてくれる彼女に、泣きたくなってくると同時に、本当に馬鹿な暴言を吐いたと思い知らされる。
カインは立ち上がり、レミに背を向けた。
「俺もレミも……悪い部分ってのは、やっぱ人間だからあるんだろうな。でも俺、昨日はあんなこと言ったけど……レミの良いトコの方が、沢山知ってるぞ」
『例えば?』と問いかける彼女に、振り返る。
「……お節介なところ、とかな」
レミは口を少し尖らせ、ぶっきらぼうな態度を取る彼を見て、思わず笑みをこぼした。
「ありがとう……」
柔らかな微笑みを返され、カインも思わず笑みがこぼれた。レミの笑顔はただただ無垢で、気づけば毒づいていた心もすうっと軽くなっていく。
もう、二人の間に昨日の溝はなかった。
「なあ、レミ。昨日の言葉……」
「昨日? カインを起こした時に言ったこと?」
「いや、違う。就寝前に……ヴァートってヤツの話をしてた時のことだ」
昨日、就寝前の彼女の言の葉を思い出す。『化け物』と呼ばれても怖いと思わないと告げたあの言葉も、真意なのか、再度確認してみたくなったのだ。
(本当に……『化け物』のような力を見ても、怖くないと目の当たりにして言い切れるのか?)
言いかけたところで、口を噤んだ。
「……いや、ごめん。何でもねぇや」
「えっ? 言いたいことがあったんじゃないの?」
「大したことじゃねぇし。忘れてくれ」
思わず口をついて出るところだった。
(馬鹿なこと考えてんな、俺……)
せっかく『良い仲間』ができたのに、壊してしまうようなことを言ってどうするのだ。折角、瞳の力の片鱗を見ても怖がらずに接してくれる人が増えたのに。
それでも――彼女なら、自分の本当の気持ちを分かってくれるかもしれないと、一瞬だけ期待をした。
だが――もし自分の望む結果が得られず、二度と笑いかけてくれなくなったらと思うと――。
彼女といられるのは『救済の聖地』までだ。
この優しい笑顔は、曇らせたくない。短い時間でも、友として、仲間として良い関係を保てるなら、これ以上を望んではいけないと思う。
話し込んでいる間に、東の空からは眩い光が差し込んできて、二人は目を細めて昇りくる朝日を見届けた。
無言でただ見ているだけだが、不思議とその沈黙は気まずいものではなかった。
完全に太陽が村の一面を眩く照らすとレミは宿を振り返った。
「私、フェイとリシェイを起こしてくるね」
「フェイのヤツ、起きられるのかよ……」
フェイは本人曰く『低血圧でデリケート』らしく、朝が苦手らしい。逆にリシェイは寝覚めが良く、起きた直後でも元気一杯だ。
レミにとっては、二人とも個性的で、本当に楽しい友人なのだと言う。
「じゃあまた、部屋でね」
レミは一人、部屋に戻っていった。
カインは外で一人、朝の澄み切った空気を吸い込み、朝日に目を細める。
彼女への借りはこの身体で返す。――『心から安心して暮らせるようになるまで護る』という約束を果たすことこそが、器用に言葉を返せない自分の、彼女への返礼となるのだから。
「よっしゃ、行くか!」
思いきり自分の頬を両手で叩き、自身に活を入れると、カインは仲間たちが待つ宿へと戻った。
夜に続き更新します。




