3. 銀髪の少女・レミ
本日は昼に第1〜3話、20時に第4〜8話を公開予定です。
「えと……悪かったな。急に怒鳴っちまって」
カインは姿勢を正すと、気まずそうに少女に向き直った。
「ううん……気にしないで。助けてくれて、ありがとう」
銀髪の少女はまだ少し戸惑った様子で窓を見つめていたが、あとは至って淡々としていた。
さっきの前のめりになった行動といい、見知らぬ侵入者の男を前にして叫ぶでもなく落ち着き払っている様子といい、どこかズレている。カインは素朴な疑問を口にした。
「……あのさ」
「はい?」
「普通、いきなり見知らぬ男が窓から転がり込んできたら、警戒して叫ぶなり何なり、もっと怯えるもんじゃねぇのか?」
少女はパチパチと大きな目を瞬かせた。本当に恐怖を感じていないようで、ある意味での神経の太さに感服する。しかし、彼女は急に慌て始めた。
「さ、叫んだ方が良かったんですか…!? ええと、じゃあ……」
すぅ、と本気で息を吸い込んだ彼女を見て、カインは青ざめて手をぶんぶんと振った。
「いや待て! 叫ぶな! 驚かないのも個性だよな! 一般論なんて気にすんな、な!?」
「個、性……?」
ぽかんと目を丸くする少女に、カインは苦し紛れの笑みを張り付かせる。自ら墓穴を掘って大騒ぎを起こすところだったと冷や汗が吹き出た。
「わかった」
「え?」
「別に、良い……んですよね?」
コクリと素直に頷く彼女に、「そうだろ?」と強引に頷いてみせる。言葉をそのまま真に受けてしまうこの少女には、余計なことを言わないのが一番だと直感が告げていた。まったく、今日は人に振り回されてばかりだ。
「……それで、どうやってここまで来たの? ここの廊下は一般の研究棟からは通れないはずだし……まさかあなた、飛べるの?」
「『飛ぶ』っていうか『跳んできた』だな。外のバルコニーと配管を伝ってきた」
「え……ええっ!? あんなに高いのに…!? あんなの、渡れないよ…!」
全室にバルコニーがあるわけではないことや、不規則で高低差が激しいことを彼女は知っているらしい。「すごい……」としきりに感心する姿に、そのあたりは年相応の人間っぽい反応なんだなと思いながら頭を掻いた。
「ちゃんと話すよ。今ここを出るのもヤバそうだし、匿ってもらってんのに、事情説明も無しじゃ悪いからな」
カインは石畳の床に腰を下ろし、これまでの経緯をかみ砕いて説明した。
暴走した依頼人は、私設護衛に担がれて待合室を脱出した。あの先で捕まっていなければ、今頃は研究所の外へ逃げ切っているはずだ。あいつを守るという最低限の役目は果たされたと言っていい。問題は、自分の方が不法侵入者として警備兵に追われかねない窮地に陥っているということだ。
ここまであっさりと侵入者の話を受け入れる少女もどうかと思うが、警戒する様子もなく静かに耳を傾けてくれるのは実にありがたかった。まさに地獄に仏だ。
ふと視線を感じて見やると、少女の青い瞳は一点に向けられていた。さっき着地に失敗して擦りむいた腕の傷だ。
「腕、怪我してる」
「ん? ああ、大丈夫だ。こんなもん大したことねぇよ。服が汚れるから触らない方がいい」
戦い慣れた身としては傷のうちにも入らない。舐めておけば治る、と言おうとした時だった。
「少し、じっとしていてください」
少女は躊躇うことなく、両手でそっとカインの傷口を包み込んだ。
伏せられた少女の顔をまじまじと見つめる。長い睫毛まで繊細な銀色で、彼女の髪が染めたものではないのだと分かる。床に届くほど長い銀の髪は、街で見かけるどの女性よりも艶やかで、透き通るような清潔感があった。
そして、カインの腕に触れる少女の手首で、黒い金属の環が微かに冷たく光っている。
(なんでこんな子が、こんな拘束具をつけられて研究所の奥にいるんだ……?)
ふと顔を上げた少女と視線が重なり、カインは急に顔が熱くなるのを感じた。物憂げで浮世離れした美しさに、思わず胸がどきりと跳ねる。
だが――自分の中に生じた小さな動揺を察知した瞬間、カインの思考は無意識のうちに冷ややかなブレーキをかけた。これ以上、相手の領域や事情に踏み込む必要はないし、踏み込むべきでもない。過去の記憶が引き直す見えない境界線が、それ以上の思考を拒絶するように立ち塞がる。
カインはすぐに胸中の波紋を押し殺すと、いつもの飄々とした思考へと意識を切り替えた。
「どうですか……?」
少女の声に我に返り、カインは首をかしげた。
「?? どうって……は!?」
自分の腕を見下ろしたカインは、驚愕のあまり目を丸くした。
さっきまで滲んでいた傷が綺麗に消え去り、痛みすら跡形もない。手当てされたというより、まるで最初から傷などなかったかのようだった。
「私、昔からこんな力があるんです」
「昔から……? 術者の家系か何かか?」
「……それは、分からない。気づいたら、できてた」
不思議な力を誇る風でもなく、少女はむしろ気落ちしたように視線を落とした。
「でも、傷はこれで治っていますから……。怪我したままじゃ、良くないかなって思って……」
自分の力を不気味だと拒絶されるのではないか――そんな不安を滲ませて怯える少女に対し、正気に戻ったカインはいつもの飄々とした態度を取り戻していた。
「うーん、確かにそんな力持ってる奴は滅多にいねぇだろうけど……その力は誰かを救えるんだろ? 少なくとも俺は今、あんたに助けられた」
「え……?」
「それで十分じゃねぇか。難しいことは考えんな」
単に思ったままを告げただけだった。だが、その言葉は少女の心に深く刺さったようだった。胸を締め付けられたような表情を浮かべ、こみ上げてくる涙を隠すように俯きながら、少女は何度も頷いた。
打ち解けた空気の中、カインは今更ながら重要なことに気づいてポンと手を叩いた。
「そういや、自己紹介がまだだったな。俺はカイン=レッドバード。あんたは?」
「レミ……。そう呼ばれてるから、多分それが私の名前」
「多分? 自分の名前だろ? ファミリーネームは?」
「……ごめんなさい」
レミはまた寂しげに俯いてしまった。言えないのか、本当に知らないのか……何かしら深い事情があるのだろう。
(やべ、余計なこと聞いたかな)
カインは彼女の様子を見て慌てて取り消した。
「レミさんか。えーっと……レミって呼んでもいいか?」
「はい、構いません」
「そう硬くならなくていいさ。敬語もいらねぇし。俺のことはカインでいいぜ。よろしくな、レミ」
スッと差し出したカインの手を、レミはおずおずと小さな手で握り返した。




