28. 家族のぬくもりとカインの傷
消えていった親子の背中を、いつまでも温かな眼差しで見つめていたレミ。さわさわと夕風が彼女の銀髪を揺らし、カインはその横顔を静かに見つめた。
「……いいな……」
ぽつりと溢れ出た彼女の小さな呟きが、カインの胸を締め付けた。
自分の名前すら知らず、親の温もりも知らずに檻の中で育てられたレミ。そんな彼女にとって、今目にした「親子の絆」や「無条件の愛」は、喉から手が出るほど欲しい憧れそのものなのだろう。
家族の愛も、人としての幸福も教えられずに育った彼女の心を、一体どんな言葉で埋めてやれるというのか。己の無力さに苛まれたカインは、絞り出すような声で彼女の名を呼んだ。
「……レミ」
「ごめんね、カイン。宿に行くんだったよね」
カインの痛々しい表情に気づいたレミは、自分の呟きを消し去るように不器用な苦笑いを浮かべた。
そんな彼女の気遣いが、かえってカインの心を突いた。
「……俺にも母親の代役はできねぇんだけど」
カインが真顔で真剣に呟くと、レミは一瞬呆気にとられ、それから耐えきれずに吹き出した。
「ちょっと待て、俺はかなり真面目に言ってんだぞ!?」
「ふふっ、ごめんね……! そんなつもりじゃなくて。ただ……カインがそんなこと言うなんて思わなかったから、びっくりしちゃって」
少し口を尖らせるカインの表情に、レミの心から小さく重荷が下りていく。
「……『家族』か」
カインは静かに目を伏せた。そんな彼の横顔を盗み見ながら、レミはふと思い浮かんだ素朴な疑問を口にした。
「……ねえ、カイン。みんなには……お父さんやお母さんはいるの?」
デュロアルには多くの仲間がいるが、本部に住み着いている居住組は、誰もが何かしらの深い事情を抱えていると聞いたことがあった。
「ルディナスさんとゼロの家族構成は知らねぇな。ウィリスは遠い東の大陸から単身で来てるけど、故郷には両親が健在で、妹と弟がいるって言ってた」
「ウィリスさんは兄弟がいるんだね」
「ああ。でもメルの方がもっとすごいぞ。あいつは五人兄妹だ。親が忙しい人だったから、幼い頃から弟たちの面倒を見てたらしい。家事が完璧なのも、家族のために率先してやってきたからだってよ」
レミは目を丸くした。
五人兄妹――七人家族の賑やかな暮らしなど、想像もつかない世界だ。メルは温かな実家がありながらも自立のために本部に身を寄せているという。
「フェイとリシェイ、それに……俺は孤児だ。時期はバラバラだけど、デュロアルに拾われたようなもんだよ」
秋の気配を孕んだ柔らかな風が、二人の間を吹き抜けていく。
こうした静寂の中に身を置くと、記憶の底に沈んでいた古い傷口が疼き出すのを感じた。
「フェイは幼い頃に病気で両親を亡くして……リシェイは事故で一人だけ生き残った。あいつらは底抜けに明るいからそんなの微塵も思わせねぇけど、本当はすごい奴らなんだ」
「そう……だったんだ……」
「……俺は……」
───ここにいてはいけないんだ!
───何あれ、気味悪い……!
───こっちに来ないで!!
過去の忌まわしい記憶が、脳裏を焼き尽くすように蘇る。
カインの大きな拳が、指関節が白くなるほど強く握りしめられた。
カインの横顔が激しい苦痛に歪むのを、レミは見逃さなかった。
「俺は……っ!!」
ギチ、と歯を食いしばる音が漏れる。
過去を思い出すたび、目の奥が焼けるように熱くなり、己の中に眠る忌まわしい影が蠢き出す。どれほど明るく振る舞って過去を振り払おうとしても、胸の底に燻る怒りと悲哀の泥は決して消えてはくれないのだ。
そんな己の弱さに苛立ち、カインは眉間に深いシワを寄せた。
その時――激しく握りしめられていたカインの無骨な拳に、触れるか触れないかの優しさで、温かなものが重なった。
見下ろすと、自分のゴツゴツとした手に、レミの白く細い指がそっと添えられていた。
カインがハッと息を呑んで振り返ると、夕陽のオレンジ色に染まった髪を輝かせ、レミがどこまでも穏やかな笑みを向けていた。
「私……今は寂しくないよ。みんなが……カインが、一緒にいてくれるから」
カインの表情から刺々しい角が消え、いつもの顔つきに戻っていく。
荒れ狂っていた胸の中の憎悪が、レミの温かな存在によって静かに押し流されていくのを感じた。
レミはそっと胸元へ手をやり、カインから譲り受けたシルバークロスのチョーカーを指先でなぞった。
「あなたの優しさが……ちゃんとここに残ってるから」
カインは目元を緩めた。
彼女は心から自分たちを、そして自分を頼り、信じてくれている。今まで信じるべき存在を持たなかった彼女だからこそ、唯一の光である自分たちを全身全霊で信じているのだ。
その信頼は誇らしく、たまらなく愛おしい。
……けれど。
「……ありがとな」
カインはふっと鼻で笑ってみせた。カインの表情に安堵したレミも、花がほころぶように微笑み返す。
(……でも、きっとレミはまだ『本当の絶望』を知らないから……何でも真っ直ぐ信じられるんだ)
「カインー! レミー! 何してんのぉ?」
いつまで経っても二人が入ってこないのを心配したのか、宿の扉からリシェイがひょっこりと顔を出した。
すでに陽は沈みかけ、周囲の光が失われつつある。カインは頭を振って、思考の迷宮を力任せに振り払った。
(いいや、考えるのはやめだ。俺はただ、目の前にいるあいつを守れればそれでいい)
レミの背中をやさしく押し、宿の中へと促す。
二人が中に足を踏み入れると、カインは静かに扉を閉めた。




