23. 迎えに来たカイン
雑踏を力任せに掻き分け、カインは夕闇の静寂へとひたすら突き進んでいた。
レミが走り去ってから、リシェイが報告に戻り、カインが飛び出すまでにすでに三十分以上の時が経過していた。本来であれば、これほど人の行き交う街で彼女の足取りを追うことなど不可能なはずだった。
「……あっちだ!!」
だが、カインの足取りに迷いは一切なかった。
出て行く際、「なんとなくあいつの居場所が分かる」と言い放った言葉は嘘ではなかった。レミを追うカインとは途中で別れ、リシェイは示し合わせた郊外の合流地点へ向かった。
「リシェイ!」
不意に名を呼ばれ、リシェイは足を止めて振り返った。
暗がりの中から現れたのは、薄茶色の髪に紫色の瞳を輝かせた青年――フェイだった。
「フェイ!? あれ……なんで追いかけてきてるの?」
「ひっどいなぁ~、オレ邪魔者? 一緒に来てあげたのにサ」
「ううん、そうじゃないけど! もしかして、一緒に来てくれるの!?」
フェイはひょいと軽やかにスピードを上げ、リシェイの隣に並んだ。
「まったく、二人して威勢よく飛び出して行っちゃってさぁ。……後始末のできる奴がいないと思うと、オレが不安で仕方ないんだよネ」
軽口を叩きつつも、いざという時に誰よりも冷静に周りを見渡せるのがフェイだ。それに、知識豊富かつ医者の彼がいてくれれば道中の安心感は段違いだった。リシェイは弾けた笑顔で頷き、フェイと共に合流地点へ急いだ。
***
レミがリシェイと別れてから、およそ一時間が経過していた。
リアンシティを完全に抜け出たレミは、荒い息を吐きながら鬱蒼とした森の奥深くへと足を踏み入れていた。
この世界では、人々が往来する主要な街道や街の周囲には厳重な「魔物避けの結界」が張られている。しかし、結界の保護から一歩外れてしまえば、そこは異形の魔物が徘徊する危険地帯だった。
追っ手の気配がないことを確かめたレミは、手にした弓で襲いかかってきた数体の魔物を手際よく浄化し、残された魔水晶をひとつひとつ拾い集めていた。
この世界に現れる魔物とは、大気や地脈に溜まった「エーテル」の歪みや穢れから生み出されるエネルギー体に過ぎない。命や心を持つ生き物ではないからこそ、レミも躊躇なく矢を射ち込むことができた。
天に、大地に満ち溢れる万物の活力――「エーテル」。
草木も動物も、もちろん人間も、生きとし生けるものはすべて自然とこのエーテルを吸収し、糧にして生きている。
目に見えぬエーテルを可視化・利用する方法は二つ。
一つは、体内のエーテルの流れを読み取り、術として練り上げて解き放つ「呪術」。
そしてもう一つが、豊かな地脈のエーテルが気の遠くなるような年月を経て結晶化した「魔水晶」だ。
魔水晶はあらゆる技術の動力源となり、武器や装飾の素材にもなる、人々の生活に欠かせない貴重な資源だった。
魔物を倒した際に手に入る魔水晶は、街の換金所に持ち込めばそれなりの金に換えられる。これを生業とする「ハンター」という職業が存在するほどだ。結界の外で戦う術を持つレミにとって、当面の旅費を得るための大切な手段だった。
「……もう、完全に日が暮れちゃったな……」
木々の隙間から見上げる空は、濃い群青色へと染まり始めていた。
結界の光がかすかに揺れる街の方角を振り返り、レミはデュロアルの仲間たちの顔を思い浮かべる。
(本当に……楽しかったな……)
一ヶ月という短い間だったけれど、「普通の女の子」として生きられた時間が尊い。
温かなご飯を食べ、みんなに「家族」や「友達」と言ってもらえた奇跡に胸の奥がじんわりと熱くなる。
けれど――もうあそこへ戻るわけにはいかない。
追っ手として現れたヴァートは、「邪魔をするなら殺す」と言い放った。それは彼自身の意思であると同時に、博士の命令そのものだ。あの大好きな人たちをそんな脅威に巻き込むわけにはいかない。絶対に、誰も死なせたくなかった。
ただ、最後きちんと直接お礼を言えないまま飛び出してしまったことだけが、酷く胸を痛めた。
特に――あの人に。
「……カイン……何も言わずに飛び出して……怒ってるかな……」
「怒ってるに決まってんだろ、バカ」
頭上から降ってきた不機嫌そうな声に、レミは心臓が跳ね上がるほどの衝撃を受けて振り返った。
そこに立っていたのは、他ならぬカインだった。
肩を激しく上下させて息を整えたカインは、大股でズカズカと一直線にレミへと詰め寄ってくる。あまりの事態に固まるレミの目の前で、カインは思い切り胸いっぱいに息を吸い込んだ。
「こんの……バカ野郎ッ!!!」
雷のような怒号が夜の森に響き渡り、レミは思わず身体を小さくすくませた。
険しい表情のまま息を切らせている彼に、何と言えばいいのか分からない。ただただ、青い瞳を丸くした。
「何勝手に出て行ってんだ! 一人でどうするつもりだったんだよ!!」
「ど、どうして……ここが分かったの!? 結界の外の……人に見られない道を遠回りして来たのに……っ」
リアンシティを出てから随分と時間が経っている。いくらリシェイが報告に戻ったとしても、これほど早く追いつけるはずがない。どれだけ考えてもレミには理由が見当たらなかった。
だが、そんなレミの混乱など意に介さず、頭に血が上りきったカインは激しい眼差しで彼女を睨みつけた。
「俺が先に質問してんだ、答えろ!!」
「わ、私……見つかっちゃったから……これ以上あそこにはいられないと思ったの! ヴァートさんは『関わる者は殺す』って言った! だから……だから私は……っ!」
「……一人でどこかへ行く気だったのか」
レミは静かに、けれど強く頷いた。
そして、先ほど魔物を浄化して手に入れた魔水晶の仄かな輝きを見つめる。
「カインみたいに強くはないけれど……私だって少しは戦える。魔水晶を売りながら進めば、一人でもお金はどうにかなるかもしれないし……」
理不尽な恐怖から逃げ出したいわけではない。大切なみんなを守りたいからこそ選んだ独りの道。
だが――そんな健気で悲痛な決意など、今のカインには「ふざけた諦め」にしか聞こえなかった。カインは深く、激しく溜息を吐き出す。
「……今度は、私の質問に答えて。どうしてこんなに早く、私の居場所が分かったの……?」
「……分かんねぇよ」
「え……?」
「お前がいなくなったってお前たちが買い物に出た後……感情が昂ってもねぇのに、突然『真紅の瞳』が勝手に発現したんだ」
カインの持つ謎多き力は、本来、激しい感情の昂ぶりによって引き出される。しかし今回は感情の昂ぶりとは無関係に、力が湧き上がった。研究所でレミと出会った時にも、似た異変が起きていた。
「それで……理由はサッパリ分かんねぇけど、お前がどこにいるのか『手応え』で分かったんだよ。だから、ただ勘のままに走ってきた」
「勘……?」
言葉にはできないが、胸の奥で何かがずっと叫んでいた。
───こっちだ。
───あいつを追え、逃すな、と。
疼く瞳が指し示す方角へ導かれるまま、ただ夢中で闇を走り抜けた。
「そしたら、お前がここにいた。……ただそれだけだ」
どういう原理なのかレミには皆目見当もつかなかったが、それはカイン自身も同じだった。「見つかったんだからいいだろ」と乱暴に締めくくられたものの、二人のエーテルと運命が引き寄せ合う奇妙な糸を感じずにはいられなかった。
カインはレミを促し、二人を待たせている街道の入り口へと引き返した。




