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EDGE ―光と闇の約束―  作者: 岩梨
第二章 安息を揺るがす影
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17. 逃げるという選択

 ルディナスの部屋を出たレミは、静かな廊下を歩いていた。


 可憐な切り花や、誰かが付けた柱の傷。冷たい研究所にはなかった暮らしの跡が、心を和ませてくれる。




 ふと窓の外を見ると、中庭のベンチに人影があった。


「カイン……?」


 黒っぽい髪と大きな背中に引かれ、庭へ出る。

 正面へ回り込んだレミは、足を止めた。


「……カイン……じゃない……?」

「あれ? 君は……」


 知らない男性だった。

 カインより黒い髪に、若草色の瞳。膝に本を開き、穏やかにこちらを見上げている。


「す、すみません! 後ろ姿がカインに似ていたので……」


 慌てて下がるレミに、青年は眼鏡を外して本を閉じた。


「気にしないでください。もしかして、レミさんですか?」


 立ち上がり、微笑んで手を差し出す。


「初めまして。ウィリス=サクヤと申します。カインたちと同じ、デュロアルの居住組ですよ。今朝は美味しい朝食をありがとうございました」

「い、いえ! お口に合ったなら……」


 レミはおずおずと握手を返した。

 組織の仲間については聞いていたが、顔を合わせるのは初めてだ。


「そんなに身構えなくても大丈夫ですよ。……僕、怖いですか?」

「違うんです! 人と話すのに慣れていなくて……すみません」

「謝らないでください。少しずつ慣れてもらえれば良いですよ」


 柔らかな声に、レミの肩から少し力が抜けた。


「私のことは、レミで構いません。みんなそう呼んでくださるので」

「では、僕のことも呼び捨てでどうぞ」

「年上の方にそんな……!」

「カインも年上でしょう?」


 言われて、レミは返事に困った。

 ウィリスがくすりと笑う。


「呼びやすい方で構いませんよ」

「じゃあ……ウィリスさん、と呼んでも良いですか?」


 頷いた彼は、ベンチの本へ手を伸ばした。


「カインを探していたんですか?」

「いいえ。何をしているのかなと思って……あ、本!」


 開かれたページへ、レミの目が吸い寄せられる。

 国の歴史を記した本だった。


「仕事の息抜きです。部屋にこもりがちなので、夜風に当たろうと思いまして。読書には少し暗いのですがね」

「私も、本が好きです。研究所ではあまりできることがなくて、持っていた本は全部、覚えるくらい読み返しました」

「それは素晴らしいですね。カインやリシェイにも、見習ってほしいですよ。本を見ると吐き気がするとまで言うので……。座学を教えていても、目を離すと脱走するので困るんですよ」


 嫌がる二人の姿が浮かび、レミは思わず吹き出した。


「僕の部屋でよければ、本はいくらでも貸しますよ。明日、館内を案内しましょうか。分からないことがあれば、お教えします」

「本当ですか? ぜひ、お願いします!」


 初めて見る新しい本を前に、レミの瞳が輝いた。




 ***




「ん? あれは……ウィリスとレミか?」



 夜食をつまんで部屋へ戻る途中、カインは庭の二人に気づいた。

 夜は十時半を回ろうとしている。窓を開け、声をかけた。


「こんなトコで何してんだ?」

「あ、カイン」

「初対面だったので、ご挨拶をしていたんですよ」


 ウィリスは食事時にも仕事で席を外しがちで、レミに紹介しそびれていた。


「すっかり忘れてた。悪かったな」


 頭を掻くカインへ、ウィリスは笑った。


「では、ウィリスさん。明日はよろしくお願いします。カインも、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」


 レミが室内へ戻るのを見送り、カインも窓を閉めた。中庭へ回り、ベンチに歩み寄る。


「明日、何があるんだ?」

「館内の案内と座学を。本も貸す約束をしたんです」

「あー……本棚の本、擦り切れるまで読んでたもんな……」


 研究所で見た光景を思い出し、カインは呟いた。新しい本が読めるとなれば、目が輝くのも頷けた。ウィリスは穏やかに微笑む。


「また我が家に、新しい家族が増えましたね」

「えらく話が弾んでたな」

「読書がお好きなようで。僕の仕事にも興味を持っていただけたのは嬉しいですし。気が合うのかもしれませんね」


 並んでいた二人の姿が、頭に浮かぶ。

 穏やかで、本が好きで。落ち着いた雰囲気の美男美女。自分とは随分違う。


「……仲良いじゃん」


 ウィリスが目元を緩めた。


「やきもちですか?」

「バカ言え!」

「あのカインが、女の子を気にするようになったのですねぇ」

「事情を知ってて言ってんだろ……」

「ええ。滅多にないことなので、つい」


 いつもは騒がしい面々を宥める男まで、これだ。

 カインは「もういい」と溜息をつき、夜空を見上げた。



 さっき盗み聞きしたレミの言葉が、頭から離れなかった。



 逃げて、隠れて、最後は二度と出られない島へ行く。それが最善だと言い切る彼女の言葉には疑問ばかり感じてしまう。


「なあ、ウィリス」

「何でしょう?」

「『逃げる』のって……幸せだと思うか?」


 ウィリスは少し目を見開いた。


「時と場合によりますね」

「……だよな。悪ぃ、変なこと聞いて」

「いえ。立ち向かうことだけが正しいとは思いません。逃げなければ、守れないものもあるでしょう」


 カインは黙って耳を傾けた。


「ただ、逃げた先で幸せになれるかは、結果でしか分かりません。途中で別の道を見つけることも、振り返って立ち向かうこともある。大事なのは、自分がどうしたいのかを見失わないことだと思います」


 ウィリスは静かに問いかけた。


「君も、そうだったでしょう?」


 カインは過去を思い返した。

 逃げれば楽になると思ったこともある。それでも、苦しみから逃れられるとは限らなかった。


「……いろんな見方があるんだな」

「僕個人の意見ですけれどね。参考になれば」


 レミは、どうしたいのだろう。

 今ある選択肢だけで決めてしまう前に、何かしてやれることはないのか。


 考え込むカインを見て、ウィリスが微笑んだ。


「何がおかしいんだよ?」

「おかしいんじゃないです。嬉しくなったんですよ」

「は?」

「ここへ来たばかりの君は、自分のためだけに爪を立てているようでした。それが今は、誰かの幸せを真剣に考えている」


 カインは言葉を詰まらせた。


「彼女との出逢いが、また君を変えてくれるのかもしれませんね」


 しばらくして、カインは視線を逸らした。



「知らねぇよ。……どうせあいつは、そのうち出て行くつもりなんだから……」



 最後の呟きは、風に紛れた。



 ウィリスは本を手に立ち上がる。


「さて、僕は仕事に戻ります。君は?」

「俺も戻る。眠いしな。……お前、メシの時くらい定時に出てこいよ。だから紹介し損ねるんだ」

「ごもっともです。気をつけましょう」


 小さく笑い合い、二人は屋敷へ戻っていった。



 窓の外には、無数の星々が瞬いていた。

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