14. 不良医者・フェイ=ジェニアス
陽はすっかり落ち、リアンシティの夜空には満天の星が輝いていた。
夜のマーケットには鮮やかな明かりが灯り、レストランや酒場から賑やかな声が溢れている。
その一角を、リシェイとメルは周囲を警戒しながら歩いていた。
「あーあ、すっかり見失っちゃったなぁ……」
リシェイが頬を膨らませると、メルも不満そうに口を尖らせた。
「リシェイちゃんがアイスに夢中になっている間に、カインさんたちが走り出しちゃったんですよ~!」
「だって、ダブルをトリプルにおまけしてくれたんだよ!? あれに誘惑されないなんて、嘘だと思わない!?」
「なんで私を呼んでくださらないんですか……って、そうじゃありません! 尾行中に誘惑に負けちゃダメです!」
二人はカインとレミの後をつけていたが、雑踏の中で見失ってしまったのだ。
大雑把で武骨なカインと、繊細で儚げなレミ。あまりにも正反対な二人の関係が、この先どう変わるのか。気になって仕方がなく、すっかり尾行に夢中になっていた。
「カインさんがレミさんの手を握って走り出すなんて、一番おいしいところだったのに~! もうっ!」
「もう帰ろうよ。真っ暗になっちゃったし、二人も戻ってるかも」
家を出てからしばらくは順調に追っていたのだが、結局はこの有様だ。見失ってからかなりの時間が経っていたこともあり、二人は半ば諦めて屋敷へ帰ろうとしていた。
二人が諦めかけた、その時だった。
「そこのお嬢さんたち、こんな時間までな~にしてるんだい?」
背後から声が響いた。
次の瞬間、二人の肩に腕が回される。まるで親しい友人にする気安い仕草だったが、力のかかり方は妙に自然で、逃げようと思えば逃げられない位置を正確に押さえていた。
「フェイ!」
「フェイさん!」
振り返ると、薄茶色の髪と紫色の瞳を持つ青年が、二人の顔を覗き込んでいた。
近い。
近すぎる。
柔らかな髪が頬に触れそうな距離で、フェイは人懐っこく笑っている。整った顔立ちと切れ長の紫の瞳は、笑みの形に細められているのに、どこか相手の反応を楽しげに測っていた。
フェイ=ジェニアス。
若くして医師としての才能を認められた、デュロアルの主要メンバーの一人である。
ただし、その軽薄な態度から、彼が医師だと見抜ける者は少ない。
そして、彼をよく知る者ほど、その軽薄さをただの無神経さとは思っていなかった。フェイは人との距離を測るのが異様にうまい。相手が嫌がる一歩手前まで踏み込み、笑っているうちに懐へ入り込む。冗談めかしているからこそ、どこまでが本気なのか分からない。
「二人で外食? オレも仲間に入れてくれないかナ? 両手に花で、良い夜だネ」
「……いきなり現れて何なんですか、本当」
メルが溜息をついた。
「それに、三日も帰ってこなかった人が、よくそんな顔で現れますねぇ」
「おや? 心配してくれてたの?」
「心配というより、呆れていたんです!」
「つまり、気にしてくれてたんだネ」
「どうしてそうなるんですか!?」
フェイは楽しそうに笑った。
叱られているというのに、少しも堪えていない。むしろ、メルの反応を引き出せたことを喜んでいるようだった。
リシェイはフェイの腕を振り払い、胸倉を掴んだ。
「フェイ、あんた一体どこ行ってたの~!」
「いやー、色々とネ。オレがいなくて寂しかったからって、そんなに怒るなヨ」
「三日も連絡なしで帰ってこなかったくせに、何が『色々』ですか!」
「三日? そんなに経ってた?」
「経ってます!」
「じゃあ、楽しい時間だったんだネ」
「反省してよぉ!」
フェイは胸倉を掴まれたまま、首を傾げた。
その仕草には、反省の色など欠片もない。だが、リシェイの指がどれほど強く食い込んでも、彼は振りほどこうとはしなかった。怒らせておく方が面白いとでも思っているのだろう。
「何をしてらしたんです?」
メルが尋ねると、フェイはようやくリシェイの手を外し、ポケットから金貨を取り出した。
指先で弾かれた金貨が、夜の明かりを受けてくるりと回る。
フェイは落下点を見ていない。視線をメルへ向けたまま、伸ばした指で軽々と受け止めた。
「……チョット儲けたんだよナ」
「またカジノ!? 遊びに行って三日も留守にしてたわけ? この不良医者!」
「遊びじゃないって。心理戦と頭脳戦の鍛錬だヨ。金儲けはオマケ」
「鍛錬なら、どうして連絡をくださらなかったんですか?」
「集中してたから」
「連絡くらいできますよね!?」
「できるけど、しなかった」
「開き直らないでください!」
フェイは笑いながら、金貨を指の間で弄んだ。
その手つきは軽やかだったが、金貨は一度も指から滑らない。遊び慣れているというより、何かを弄び、相手の視線を誘導すること自体に慣れているようだった。
二人が呆れ果てていると、フェイがふと顔を上げた。
「で、さっき言ってたレミって誰だい?」
「一昨日デュロアルに来た女の子です。カインさんが助けたんですよ。身寄りがないそうで、『家』で保護することになったんです」
「女の子?」
フェイの紫色の瞳が、途端に輝いた。
先ほどまで金貨を弄んでいた指が、ぴたりと止まる。
笑みは変わらない。けれど、その目だけが明らかに変わっていた。
「まずい!」と察知したリシェイが両手を振る。
「レミはダメだかんね! カインとラブラブなんだから、邪魔しないでよねっ!」
「はああぁ~!? 何だソレ、あり得ないだろ!? あの脳筋が!?」
フェイは初めて、心底驚いた顔を見せた。
カインを知る者なら、誰もが同じ反応をするだろう。あの男が、自分から女の子を連れて帰ってきた。それだけでも十分に異常事態だった。
「まだ付き合ってはいませんけどね!」
メルが嬉しそうに割り込んだ。
「でも、カインさんも満更ではなさそうなんです。レミさんを見る目が、すっごく優しいんですよ! 悪者に捕らわれていたお姫様を助ける王子様みたいで!」
「レミはお姫様っぽいけど、カインはどっちかというと盗賊寄りじゃない?」
流石のリシェイも同調出来ず首をひねった。
フェイは面白い玩具を見つけた子供のように、口元には笑みが残っている。
「アイツの優しい目とか、熱でもあるのかと思うヨ」
「フェイさんまでカインさんを何だと思っているんですか!」
「脳筋」
「即答!?」
フェイは笑いながら、メルの肩越しに屋敷のある方角を見た。
リシェイは腰に手を当て、フェイを指差した。
「カインは、あの『力』を使ってでもレミを助けようとしたの。苦しんでたレミのために、必死で頑張ったんだから!」
「あいつが『真紅の瞳』を、初対面の相手に使った……? マジで?」
フェイの表情から、初めて軽薄な笑みが消えた。
夜の喧騒が、ほんの一瞬だけ遠のいたように感じられた。
カインの異能を、仲間たちは知っている。
だが、本人はその力を使いたがらなかった。周囲に勧められても、「結構疲れるから」といつも煙に巻いていたのだ。
「……へぇ。そこまでして助けたんだ?」
低く落ちた声には、先ほどまでのふざけた響きがなかった。
フェイはリシェイを見ていたが、その視線は彼女の向こうにいるカインへ向けられているようだった。
「そうだよ。カイン、すごく頑張ったんだから」
一瞬だけ、フェイの目に鋭い光が宿る。
カインが力を使った理由を考えているのか、それとも、まだ見ぬレミの姿を想像しているのか。
だが、次の瞬間にはいつもの笑みが戻っていた。
「で、レミちゃんは可愛いのかい?」
「うん。すっごく綺麗。あと、世間知らずだから、フェイみたいなのに近づけたら危ない」
「それ、褒めてるのかい?」
「警告してるの!」
フェイの口元に、怪しい笑みが浮かぶ。
「よし、レミちゃんに会いに行こうか」
「ちょっとフェイさん! 何か良からぬことを考えていませんよね!?」
フェイは振り返り、両手を広げた。
無害そうな仕草だったが、紫の瞳はすでに獲物を見つけた人間のものだった。
「ないない、な~んにも考えてないって。さ~、レミちゃん、待っててネ。オレが今帰るから」
「その顔で『何も考えてない』は無理があるよ!」
「失礼だナ。オレはただ、仲間に挨拶をしに帰るだけだヨ」
「三日ぶりに帰ってきた人の言い訳としては、ずいぶん白々しいですねぇ……」
フェイは軽い足取りで歩き出した。
その背中には、カジノ帰りの気楽さしかないように見える。けれど、彼の歩みには迷いがなかった。屋敷の場所も、そこにいるレミの姿も、すでに頭の中で正確に捉えているようだった。
カインをからかうか、レミを口説くか。どちらにしても、厄介なことになるに違いない。
歩き出したフェイの背中へ、リシェイが叫ぶ。
「やっぱり帰ってこなくていいよぉ! カジノに戻りなよぉー!」
フェイは振り返りもせず、ひらひらと手を振った。
メルとリシェイは同時に大きな溜息をついた。
「……やっぱり、帰ってこなくてよかったかも」
「ですねぇ……」
そう言いながらも、二人は結局フェイの後を追って屋敷へ向かった。




