第7話:経験値注入《エクス・インジェクション》
「……な、なんだこの状況は!?」
目の前の奇妙な光景に、俺の頭は完全にパンクしていた。
前世のゲームにも、モンスターに異常な愛着を注ぐプレイヤーはいた。だが、野生のボスモンスターが人間に本気で惚れて花を贈るイベントなど、サービス終了まで一度も見たことがない。
「……おい、マルク先生! ぼさっとするな、逃げるぞ!」
バッカスの怒号が、凍りついた空気を引き裂いた。
「あいつがミラに気を取られている今のうちだ! 全軍を撤退させ、街道の手前に防衛網を敷き直すしかない!」
「待ってください! ミラを置いていく気ですか!?」
「これしかねぇんだよッ!」
バッカスは唇を噛み締め、血が滲むほど拳を握りしめた。
「あのデス・オーガは桁が違いすぎる……! Lv.4の上位冒険者が束になるか、数えるほどしかいねぇLv.5の英傑を連れてくるしかねぇ!」
(いや……バッカスさん、あんたの見立てでもまだ甘い)
俺は内心で、冷徹にゲームの数値を弾き出していた。
(あいつの装甲と火力を考えたら、Lv.4が何人いようが返り討ちだ。最低でもLv.5の熟練者が前衛を張らなきゃ勝ち筋はない)
「全員、退却だァ! 動ける奴は負傷者を担げッ!」
バッカスが冒険者たちをまとめ始める。だが、俺の足は地面に縫い付けられたように動かなかった。
逃げるべきだ。
この世界はゲームではない。
死ねばリスポーンなどなく、すべてが終わる。だが、胸の奥でゲーマーの魂が熱く燃え上がっていた。規格外のミラの存在が、かつての攻略本能を呼び覚ましている。
(……はは、俺はやっぱり俺だな)
理不尽な強敵を前にして、俺の口元は自然と吊り上がっていた。
「ミミィ! お前も早くバッカスさんたちと一緒に逃げるんだ!」
「で、でも……先生はどうするんですか!?」
ミミィが涙に濡れた顔で、俺の腕にすがりつく。震える指先の冷たさが、服越しに伝わってきた。
「俺には考えがある。……上手くやれば、ミラはあいつを倒せるかもしれない」
「えっ……!? そ、そんなの無理です! 相手は騎士隊長様を一撃で倒した化け物なんですよ!?」
「君も知ってるだろ? 技能鑑定士は魔物に狙われにくい。俺なら大丈夫だ」
バッカスもミミィも、あり得ないという顔をしていた。Lv.3止まりの巨女戦士が、単騎でデス・オーガを倒すなど。だが、俺を引きずっていく猶予はない。
「くそっ、死ぬんじゃねぇぞ先生!」
「先生、絶対に無事でいてください……!」
二人は後ろ髪を引かれながら、本陣の荷物を捨てて森の外へと駆け出していった。周囲から人の気配が消え、静寂が訪れる。
(よし……これで邪魔者は誰もいなくなったな)
俺は息を潜め、少し離れた場所にいるミラへ視線を戻した。
その頃――。
「グフゥ……グフゥ……」
デス・オーガは嬉しそうに鼻息を荒らげていた。
あの巨躯のミラを軽々と持ち上げ、まさかの『お姫様抱っこ』をしている。巨鬼と巨女による、あまりにも異様な光景。腕の中のミラは、申し訳なさそうに眉を八の字に下げていた。
そして、おずおずと口を開いた。
「あ、あの……お気持ちはすっごく嬉しいんですけど……」
「グル?」
期待に目を輝かせるデス・オーガへ、ミラは冷徹な宣告をあっさりと言い放った。
「ごめんなさい。私、顔が生理的に無理なんです」
「グギャオォォォォォォッ!!」
手にした小花がブシャリと潰れた。デス・オーガの全身の甲殻が、見る見るうちに血のような深紅へ染まっていく。
「うわっ……完全にキレた!?」
地響きを立てて暴れ始めた巨鬼に、俺の背筋が冷たくなった。
(嘘だろ……本来なら体力が三分の一以下に追い詰められた時だけ発動する【狂乱状態】じゃないか!)
デス・オーガは元々、遠近バランスの取れた厄介な強敵だ。だが狂乱状態では近接攻撃しか行わなくなる。その代わり、破壊力は山をも穿つのだ。
(これは本当にヤバい……! こうなったら、ミラにかけるしかない!)
ドゴォッ!
バキィッ!
巨木を粉砕して暴れ狂うデス・オーガ。その隙を突き、俺は全力で駆け出した。
「ミラ、こっちだ!」
「ひゃっ!? あ、あなたはこの前の酒屋の……!?」
ミラが目を丸くして振り返る。
「いいか、落ち着いて聞いてくれ。俺は教会の密命で動いている特務の者だ。これから君に施すことは、絶対に他言無用にしてくれ!」
「えっ……!? は、はい! よく分からないけど、絶対に誰にも言いません!」
「よし――【深淵透視】!」
俺はミラの頑丈な肩に手を置いた。汗ばんだ皮膚の熱さを感じながら、精神を魂の最奥へと一気に潜行させる。
(頼む! Lv.5以上であってくれ!)
【深淵透視】の光が、ミラのスキルツリーの深淵を照らし出していく。
(……なっ、なんだこの深さは!?)
【主脈Lv.4】を瞬時に通過した。国家戦力級の【Lv.5】、各国の筆頭騎士クラスの【Lv.6】をも軽々と突破していく。
(まだ底が見えない……【Lv.7】を越えて……まさか――)
黄金の輝きが到達したのは、神話や伝説の英雄にしか許されない領域――【主脈Lv.8】だった。
(見つけた……! 教会が躍起になって世界中を探し回っている、本物の『勇者候補』だ!)
さらにツリーの中央、主脈の根幹に刻まれていた職業名。それは破壊と膂力に特化したレア職業――【超力破砕士】。
(これなら……あいつに勝てる!)
俺は迷わず、魂の奥底に眠るチート権能の引き金を引いた。
「――【経験値注入】ッ!」
前世のゲームで、指揮官だけに許されていた特権システムだ。元々は、新しく手に入れたNPC(主にガチャ産)を即座に前線へ投入するための育成機能だった。
この世界では、仕様が少し違う。俺と同じ陣営・パーティの者が魔物を討伐すると、その経験値の一部が俺の魂に自動で蓄積されるのだ。今回の大討伐で蓄えた経験値が、俺の手のひらからミラのツリーへ怒涛の勢いで流れ込んでいく。
ゴォォォォッ!
「きゃあぁぁっ!? な、なにこれ……身体が熱い……!?」
彼女の肌から、まばゆい光が放たれた。炉の前に立ったような熱気が、二人の肌をチリチリと焼く。主脈はLv.からLv.4と爆発的な勢いで駆け上がり、それに伴って枝脈も解放されていく。
LEVEL UP LEVEL 4!!
――CONGRATULATIONS!! LEVEL 4 COMPLETE!!
LEVEL UP LEVEL 5!!
――CONGRATULATIONS!! LEVEL 5 COMPLETE!!
ストックした経験値のすべてを取り込み、ミラは【主脈Lv.5】に到達した。さらにLv.5の枝脈もすべて開放され、【主脈Lv.5コンプリート】に至る。
「嘘でしょ……!? 信じられない……力が、全身から溢れてくる……!」
自らの手を見つめ、驚愕に震えるミラ。
俺は光り輝くミラの背中に向けて、声を限りに叫んだ。
「ミラ! 後で身体がとんでもないことになるかもしれないが、絶対に俺に文句は言うなよ――っ!!」
そう、この【経験値注入】には、実は大きなデメリットが存在するのだ。
新しく手に入れたNPC(主にガチャ産)
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