閑話:ドラグニールの盾
机の上に、一通の手紙がある。
「……父上、母上。今まで、ありがとうございました」
家を出る決意と、己への詫びを記した手紙だ。身につけたのは、質素な革の鎧と一振りの剣だけだ。
アークは音もなく扉を開け、暗い廊下を進んだ。裏庭へ抜けた時、低い声が夜気を震わせた。
「夜風を浴びるにしては、ずいぶんと身軽な旅装束ですな」
月光を背に、大柄な老剣士が立っていた。幼い頃から、アークに剣術の基礎を叩き込んできた男だ。
「……ゼン先生」
「その荷物。やはり、昼間の鑑定結果を苦にしての出奔ですか」
この世界では、十五歳で魂の器たる【主脈】の階位が定まる。武門の名門『ドラグニール公爵家』は、歴代の英傑を輩出してきた。だが、長男たるアークの限界値は【主脈Lv.4】。上位職の適性すら持たない、ただの戦士だった。
「苦にして逃げるのではありません、ゼン先生」
アークは迷いのない瞳で師を見据えた。
「屋敷の奥で飼い殺されるより、私は民の盾になりたいのです」
「盾、ですか。私が教えたのは、当主の剣術だけですよ」
「ええ。ですが、誰かを守るために剣を振るいたいのです」
「……頑固なところは、昔から変わりませんな」
ゼンは静かに息を吐き、足元の布包みを持ち上げた。
包みから、深紅の竜の紋章が刻まれた重盾が現れた。
「これを持っていきなさい。餞別です」
「……っ!? この盾は、我が家の家紋が入っているではありませんか!」
「ええ。ドラグニールの血を引く者にしか許されぬ、重盾です」
アークは眉をひそめ、首を横に振った。
「受け取れません。私は今夜、この家を出る身です」
「アーク坊ちゃん」
「無能の烙印を押された私に、誇りある家紋を背負う資格はありません」
「これは、当主様から預かったものですよ」
「……父上、から……?」
「昼の儀式で、当主様は一言も発せずに席を立たれましたな」
冷徹な一瞥を残して去った父の姿が、脳裏に蘇る。
「あれは公爵家の当主として、貴族たちの手前取った態度です」
ゼンは温かみのある声で続けた。
「当主様は仰いました。『あいつが自分の意志で道を選ぶなら、これを渡せ』と」
「父上が、本当にそんなことを……?」
「『死なせるな』とも仰いました。不器用な親心というものです」
差し出された盾に、アークはそっと手を触れた。
ミスリル鋼の重みが、手のひらから胸の奥へ伝わる。
父は、自分を見捨ててなどいなかった。
「……ありがとうございます、ゼン先生」
アークは重盾を両手で受け止め、力強く背負い直した。
「父上の思い、しかと受け取りました。必ず、生きてみせます」
「ええ。良き盾となりなさい、アーク坊ちゃん」
老剣士に見送られ、アークは門をくぐった。
夜の帳に包まれた大通り。
街灯の淡い光の下で、二つの影が待っていた。
「よう、待たせたな。夜逃げの準備は万全か?」
教会の法衣を着崩した青年が、片手を挙げた。
胡散臭い笑みの鑑定士、マルクだ。
その背後には、刃のような気配をまとう黒装束の少女がいる。
「遅い。周囲の巡回兵をやり過ごすのに、無駄な時間を使いました」
淡々と告げるライラに、マルクが苦笑いを返す。
「まあいいだろ。……で、アーク。いい顔になったじゃないか」
「お待たせいたしました、マルク先生」
アークは重盾に触れ、顔を上げた。
「私の命とこの盾、すべて貴方に預けます」
「ああ、任せろ。お前を最高の騎士にしてやるよ」
夜風を切り裂き、三人は静かに歩き出した。
第3章まで閑話をいくつか挟みます。
お付き合いいただけますと、幸いです。




