第68話:The Healer of the Frontlines
――時は遡る。
王都の『治癒学院』には、年中、消毒薬の匂いと冷たい緊張感が漂っていた。
「術式展開が遅い! そんな鈍重な【魔力循環】で、実戦の出血多量に間に合うと思っているのか!」
実技訓練室の石畳に、教官の鋭い怒声が響き渡る。
「……す、すみません!」
リアーチカは、重い疲労感に苛まれながら、震える手で杖を構え直した。人の命を預かる重責ゆえに、学院の校風は過酷を極めていた。
『甘えは患者の死に直結する』。
その理念のもと、同級生たちは次々と基礎治癒魔法【ヒール】の出力や速度を高め、評価を上げていく。
だが、リアーチカだけは違った。
誰もが数週間で習得する初歩の治癒魔法すら、彼女の杖先には淡い光が灯るだけ。傷口を塞ぐことすら覚束ない。
「集中力が散漫なのだ、貴様は! 魔力が空回りしているのが分からんのか!」
「才能の無駄遣いだ。手先も魔力筋も悪くないはずなのに、なぜ一つの術式すら形にできん」
「中途半端な治癒士ほど、前線で人を殺す害悪はないぞ。……来週の追試を落とせば、退学処分だ」
教官たちの容赦ない言葉が、毎日のように彼女の心を削り取っていった。毛布を被り、声を押し殺して泣く夜が幾度も続いた。誰よりも遅くまで残り、杖を握りしめて祈りを捧げている。
なのに、何一つ形にならない。
(私には……人の命を救う資格なんて、最初からなかったのかな……)
追試を数日後に控えた日の午後。学院の面談室に、ウルズ教会から定期派遣された巡礼鑑定士が訪れていた。
「次の方、どうぞ」
扉を開けると、長机の向こうに座っていたのは、まだ若い青年だった。質素な法衣をまとい、どこか飄々としている。
「治癒学院、本科二年の……リアーチカです……」
消え入りそうな声で名乗り、席に着く。手元の羊皮紙には、教官たちの無慈悲な落第宣告がびっしりと書き込まれていた。
「失礼しますね。適性の確認をさせていただきます」
青年――マルクは穏やかに微笑み、机越しに彼女の肩へそっと指先を触れさせた。
その瞬間、マルクの切れ長の双眸が微かに見開かれた。
「――【深淵透視】」
マルクの意識が、リアーチカの魂の深淵へ沈み込んでいく。そこにあったのは、「落ちこぼれ」という評価とは真逆の、眩いばかりの光景だった。
【主脈】の奥底に眠る潜在限界値は、国家の筆頭戦力に匹敵する領域――【潜在Lv.6】。
だが、マルクの息を呑ませたのは、器の深さだけではなかった。
(……な、何だこの枝脈の数は……!?)
主脈から伸びる【枝脈】が、異常な規模で枝分かれしていたのだ。単体回復、広域治癒、状態異常解除、生体調律、聖脈活性――。治癒と支援に連なる無数のノードが、同時に覚醒を待ち、激しく魔力を奪い合っていた。
(こんな枝脈の数、前世の『マスターズ・レギオン』でしか見たことがないぞ……!)
かつて画面越しに見た特殊なNPCたちの姿が、脳裏をよぎった。
リアーチカが単一のスキルを習得できない理由は、才能がないからでは断じてない。器が広大で、芽吹きかけた枝脈が多すぎる。そのせいで、注いだ魔力が十数箇所へ分散してしまっていたのだ。
学院の教育方法では、彼女の素質は開花しない。それができるのは、技能鑑定士だけだった。
(正直……専門の技能鑑定士がマンツーマンで【魔力循環】の交通整理をしてやらなきゃ、誰も教えられない。そのレベルで枝脈が多すぎるんだ)
マルクはそっと手を離し、深く息を吐いた。目の前では、リアーチカが青ざめた顔で両手を握りしめている。
「あの……やっぱり、私には治癒士の才能なんて、ないんですよね……? 努力しても、一つも魔法が使えなくて……」
大粒の涙を零して俯く少女。
その頭の上に、マルクの手がポンと優しく置かれた。
「君は落ちこぼれなんかじゃないよ」
「……え?」
リアーチカが驚いて顔を上げる。
マルクは苦笑しながら、確信に満ちた声で告げた。
「むしろ逆だ。君のツリーは広大すぎて、枝脈が多すぎるんだよ」
「注いだ魔力が何本もの枝に分散してるから、一つの技としてまとまらないだけだ」
「枝脈が……分散……?」
「ああ。君の器が大きすぎて、この学校の狭い教え方じゃ収まりきらないのさ。……いいかい、リアーチカ」
マルクは身を乗り出し、机の上に指先で魔力の流れを描いて見せた。
「一つの技を力任せに撃とうとするな。お腹の底の魔力を、あえて『一本の細い水路』に絞り込むんだ」
「他の枝脈の門を一旦閉じて、その一本だけに魔力を流し込む。その呼吸法を教えてやる」
そこから、マルクによる丁寧な魔力訓練が始まった。息の吐き方、肩甲骨の脱力、散らばる枝脈の交通整理。怒鳴るのではなく、魂の形に合わせて糸を解きほぐすような助言だった。教わった通りに魔力を巡らせた瞬間、長年胸につっかえていた重い塊が、スッと消え去っていく。
「あ……魔力が、迷わずに指先へ集まってくる……!?」
「その感覚を忘れるなよ。君の才能は本物だ。自信を持て」
青年の言葉が、暗闇にいた彼女の心を温かく照らしていた。
◇
そして迎えた、追試の実技試験。試験室の中央で、リアーチカは模擬患者となる訓練用獣の前に立っていた。
腕の皮膚が深く裂け、鮮血が滲んでいる。
「始め!」
教官の冷淡な号令。
生徒たちの冷ややかな視線の中、リアーチカは静かに目を閉じた。
(息を深く吐いて……水路を一本に絞る……)
マルクの温かな手のひらの感触と、教わった呼吸法を思い出す。散らばろうとする魔力を束ね、杖先へ真っ直ぐに通す。
「――【ヒール】」
カッと、杖の先から柔らかな光が灯った。光が傷口を包み込む。出血が止まり、皮膚がじんわりと引き合って塞がっていく。
完全な止血と、傷の修復。
「……ふむ。合格だ。次へ進め」
教官は淡々と書類に羽ペンを走らせ、次の生徒を呼んだ 周囲にとっても、何一つ珍しくない光景だった。初級の治癒魔法で、小さな切り傷を塞いだだけ。誰でも当たり前にできる、平凡な結果に過ぎない。
だが――。
「できた……」
杖を握りしめたリアーチカの全身が、激しく震えていた。
「できた……! 私、傷を治せた……!」
誰かにとっての当たり前の「普通」が、彼女には世界がひっくり返るほどの奇跡だった。無能と罵られてきた自分が、初めて自分の力で人並みの一歩を踏み出せたのだ。熱い涙が頬を伝い、視界が滲んでいく。リアーチカは涙を袖で乱暴に拭い、試験室を飛び出して中庭へ駆け出した。
あの人に、伝えなければならない。息を切らして校門へ辿り着くと、門柱に背を預けて待つマルクの姿があった。
「先生……! マルク先生……ッ!」
「お、受かったみたいだな」
駆け寄ってきたリアーチカを見て、マルクは満足そうに笑った。
「先生、私……治せました! 人並みですけど、ちゃんと傷が塞がったんです……!」
「私を信じてくれて、本当にありがとうございました……!」
何度も深々と頭を下げる少女。
その時――校門の外の大通りから、カツカツと硬い足音が近づいてきた。
「おいマルク。何を若い娘を泣かせてるんだい」
現れたのは、ビキニアーマー風のレザー装備に身を包み、大剣を肩に担いだ精悍な美女だった。燃えるような赤髪を靡かせ、煙管から紫煙をくゆらせたセリアだ。
セリアは涙で顔を濡らすリアーチカを一瞥し、マルクへ視線を向けた。
「――で、この子かい?」
「ああ、そうだ」
マルクはニヤリと口元を吊り上げ、誇らしげに胸を張った。
「あんたのクランのために、血眼になって探していた――『最高の治癒士』だ」
「へぇ……!」
セリアは煙管を外し、獰猛で魅力的な笑みを浮かべてリアーチカを見据えた。
「合格祝いに美味い肉でも奢ってやるよ、嬢ちゃん。……あたしらの命を背負う覚悟はあるかい?」
「は、はいっ……!」
リアーチカは涙を拭い、力強く頷いた。
今はまだ、人並みの小さな一歩を踏み出したばかり。
けれど、自分の可能性を誰よりも信じてくれた鑑定士の手を取り、少女は未来のトップヒーラーへの道を歩み始めたのだった。
ここまでご愛読ありがとうございました☆
第二章終了となります。
第三章では、ついにマルクがクランを立ち上げ、原初の使徒たちと戦うストーリーを予定しています。
第三章までは、一日3投稿できそうなのでお付き合いいただければ幸いです。
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