第67話:密約
「カッカッカ!! さあマルク、今日はあたしの奢りだ!」
「王都の温泉付き宿を丸ごと貸し切ってやったからね、パーッと祝勝会と洒落込もうじゃないか!」
こうして俺たちは、王都の一等地にある超高級温泉宿へ雪崩れ込むことになった。大迷宮の泥と汗を流すべく、俺は巨大な貸切岩風呂に肩まで浸かった。
「……ふぅぅぅ……極楽、極楽だな……骨の髄まで生き返るぜ……」
湯煙と檜の香りに、戦いの緊張が解けていく。
だが――平穏は長く続かなかった。
ガラガラガラッ!
「ご主人様〜! 背中を流しに来てやったよ〜!」
「ぶふっ!?」
扉が勢いよく開き、バスタオルを前で押さえただけのミャロが現れた。獣人の文化ゆえか、混浴に一切の恥じらいがない。豊満な胸元、妖艶にくびれた腰、すらりと伸びた褐色の美脚を惜しげもなく露わにしている。
「おいミャロ!? お前、バスタオルがはだけてるぞ! 隠せ、隠せって!」
「チッ……うるさいご主人様だねぇ。減るもんじゃあるまいし、ほら、さっさと前屈みになりな」
ミャロが濡れた太ももを密着させ、背中に手を伸ばしてきた時だった。
「わぁ〜! すっごく広いお風呂〜! 白銀ちゃん、泳いじゃダメだよ!」
「わんっ!」
「ちょ、ミミィまで!? 白銀を湯船に入れるな!」
薄手の湯浴み着をピタッと素肌に張り付かせたミミィが、無邪気にお湯へ飛び込んできた。健康的な太ももと、引き締まったお尻が丸出しだ。
さらに、慌てふためいた声が響く。
「ふぇぇぇ!? ミャロちゃん、ミミィちゃん、先生のところに入っちゃダメですぅぅぅっ!」
止めに入ってきたミラが、濡れた床に足を滑らせた。
「きゃああっ!?」
ドッパァァァァァンッ!!
「ぐへぇっ!?」
ダイブしてきたミラの、布地を突き破らんばかりの爆乳が、俺の顔面にクリーンヒットした。柔らかすぎる弾力と甘い香りが視界を埋め尽くし、俺は湯船の中で窒息寸前の悶絶を味わう。
「ふぇぇ……ご、ごめんなさい先生ぇぇ……! あ、当たっちゃってますぅ……!」
「み、ミラ……! 離れてくれ、俺の理性が蒸発しちまう……!」
「……マルク様」
パニックに陥る俺の背後に、水音も立てずライラが現れた。湯気に透けた薄衣を纏い、耳元へ熱い吐息を吹きかけてくる。
「負荷は完全に抜けました。……どこか、揉み解してほしい場所はございますか?」
「ラ、ライラまで何してんだぁぁぁっ!?」
脱衣所の入り口から、酒瓶片手のセリアの豪快な笑い声が響き渡った。
「ぎゃはははは! おいおいマルク、ずいぶん賑やかにやってるじゃないか! 若いってのは実にいいねぇ!」
「セリア、笑ってないで助けてくれぇぇぇっ!!」
しかし、俺の悲鳴は、深夜まで続く地獄のプロローグに過ぎなかったのだ。
◇
湯気と騒動から逃げ出し、浴衣に着替えて息をついたのも束の間。食堂に入った瞬間、熱気と脂の焼ける匂いが鼻をついた。炭火のはぜる音と、ジョッキを打ち鳴らす歓声が響いている。
「おいマルク」
長机の上座で煙管をふかしていたセリアが、笑みを浮かべて手招きした。
「……言うな、セリア」
俺は頭を押さえて天を仰いだ。
そこでは深夜の『大食い大会』が開催されていた。いや、正確には開催させられていた。
【経験値注入】は、短時間で主脈や枝脈を開花させる。その反面、効果終了後に激しい生体反応を引き起こす。急速な限界突破の反動で、身体が桁外れのエネルギーを要求する。胃袋のリミッターが外れ、暴食状態に陥るのだ。
その危険性を『薄々』察知したセリアが、宿の経費上限ルールを盾に先手を打った結果がこれだった。
もちろん、上限を超えた飲食代はすべて俺の『ツケ』である。
「おおっとォ! ここでレッドアイズの威信を背負ったガイン隊長、山盛りローストポーク十皿目で手が止まったァーッ! 限界だぁーっ!」
ロイスが机に身を乗り出し、声を張り上げる。
「ぐ、ぐふっ……! これ以上は……喉を通らねぇ……!」
丸太のような腕の巨漢ガインが、机に突っ伏して脂汗を流していた。
「がっはっは! 情けないねぇガイン! 看板前衛の名が泣くよ!」
セリアが大笑いしてエールをあおる。しかし本番はそこからだった。三人娘の胃袋は、とどまることを知らない。
「白銀ちゃん、はい骨つきのお肉だよ! あ、このソーセージもすごくおいしい!」
「くぅ〜ん!」
膝に子犬を乗せたミミィが、大皿の料理を次々と平らげていく。隣では浴衣姿のライラが無言のまま、残像が見える手つきでパンと肉を流し込んでいた。
「おい待てミラ! お前には今回、何も使ってないだろうが!」
俺の悲痛な叫びに、肉皿の山を抱えたミラが、キョトンと首を傾げた。
「ふぇぇ……? お風呂上がりでお腹がペコペコなんですぅ……! 先生、このシチューとってもおいしいですぅ!」
両手の特大の骨つき肉を、ミラは笑顔のまま一口で骨だけにしてみせた。
「いい喰いっぷりだねぇ! あの底なしの胃袋を見てると、こっちの胸のつかえも吹き飛ぶってもんさ!」
セリアが満足そうに杯を傾ける。
「ウサ晴らしに俺の財布を使うなよ……ギルドの審査の件、そんなに悔しかったのか?」
問いかけると、セリアは煙管を机にカツンと打ちつけ、真紅の瞳を怒りに燃やした。
「悔しいに決まってるだろ! あの敵前逃亡したネロをクビにして、資格剥奪に追い込んだらさ」
「公式の専属鑑定士が不在って理由で、上位昇格の決定を保留にしやがったんだよ!」
「まあ……ギルドの規約上、専属鑑定士の配置は必須条件だからな」
「頭の固いジジイどもめ! だがね、あたしたちが大迷宮を救った手柄は、王都中が目撃してるのさ」
「三大貴族の『白銀の聖剣』ですら、頭を下げたんだ。どの勢力も、もうレッドアイズにくだらない圧力はかけられやしないよ!」
セリアはニヤリと口端を吊り上げ、俺の顔を正面から指差した。
「だから今夜は、あんたの全財産が吹き飛ぶ様を肴に飲む酒が、最高に美味いんだよ!」
「性格が悪すぎるだろ、あんた……」
肩を落としていると、テーブルの向こうでミミィとライラが同時に息を吐いた。
「ふぅ……! おいしかったぁ、もうお腹いっぱいです!」
「ごちそうさまでした。代謝の上昇がようやく平常値へ収束いたしました」
二人が手を合わせ、ようやく箸を止める。だが――中央には、まだ脅威の暴食女王が残っていた。
「すみませーん! 大鍋のポトフと、パンの盛り合わせおかわりお願いしますぅ!」
「まだ食うのかあいつ!?」
ロイスが目を剥き、団員たちも歓声を上げて机を叩く。
「いけいけミラちゃん! 宿の食料庫を空っぽにしてやれ!」
空の皿のタワーが、天井に届く勢いで積み上がっていく。
(やはり、潜在Lv.8の器は代謝の桁すら違うのか……?)
並の人間なら破裂しかねない量を平然と収めていくミラ。俺は分析を放棄し、乾いた笑いを漏らした。やがて、満足そうにお腹をさするミラを横目に、セリアが女将から一枚の紙を受け取った。
信じられない長さに折り重なった、冷酷無比な請求書の束。セリアは邪悪な笑みを浮かべ、それを隣のライラへ手渡した。ライラが無表情のまま、その長い紙片を俺の目の前へ突き出してくる。
「……マルク様」
「よせ、ライラ」
俺は両手で顔を覆い、テーブルへ突っ伏した。
「頼むから何も言うな。俺はもう、何も聞きたくない……ッ!」
深夜の食堂に響き渡る、団員たちの哄笑と俺の絶望の呻き声。
こうして大迷宮の激闘を越えた夜の宴は、俺の完全な破産とともに幕を閉じた。




