第53話:豹姫 ミャロ
金貨の重みと引き換えに、俺は夜風が吹き抜ける歓楽街の裏路地に立っていた。隣には、奴隷輪を外され、気怠げに首を鳴らしている豹人族の美女――ミャロ。
(やっちまった)
冷静さを取り戻した頭で、俺は額を押さえて天を仰いだ。勢いと男のロマンに任せて大金を叩き、身請け手続きまで済ませてしまった。
これを仲間たちにどう説明すればいいのか。
おっとりしたミラや、無邪気なミミィは誤魔化せるかもしれない。だが、あの冷徹な暗殺者・ライラだ。
「マルク様、高級娼館の裏口で自らの性欲を満たすために獣人奴隷を購入した件、エレオノーラ様への定期報告書に詳細を追記いたします」
無表情でそう告げられる光景が、鮮明に脳裏をよぎる。そんな俺の苦悩を察したのか、ミャロが指で煙草をくゆらせる仕草をして、小悪魔のような笑みを浮かべてきた。
「まあ、買い取ってくれた恩だ。身体くらいなら許してやるよ」
「は?」
「でもさぁ、ご主人様は教会の神官なんだろ? いいのかい、神の使徒様があたしみたいな獣人を性奴隷なんかにしちまってさ」
琥珀色の瞳が、面白がるように俺を上目遣いに見据えてくる。
(チッ、こいつ、神官の立場上俺が強く出られないのを完全に理解して、転がしにかかってやがるな!)
「勘違いするな」
俺はわざとらしく咳払いをし、真顔で訂正した。
「俺がお前を買い取ったのは、そういう奴隷にするためじゃない。俺たちのパーティの専属ヒーラーとして雇ったんだ」
「へ? ヒーラー?」
ミャロが豹耳をピクリと動かし、露骨に嫌そうに眉をひそめた。
「あたしが、人を癒やす仕事なんかするわけないだろ。爪で引き裂く方が得意なんだよ」
「嘘を吐くな。お前の現在の主脈はLv.2、職業は【精霊呪療士】だ」
前世のゲームでも極めて希少だった、獣人固有の呪療クラス。
主脈Lv.4で開花する最上位職【聖霊導医】の下位職だ。
「自然の精霊と生命力を調律する、立派な治癒士のツリーだ。戦場では後方から仲間を回復してもらう」
「げぇ、労働かい。冗談じゃないよ、あたしを戦場に駆り出す気かい?」
面倒そうに吐き捨てるミャロ。だが奴隷契約を交わした以上、買い主の正当な労働命令は法的に拒否できない。
それに、後方支援のヒーラーなら比較的安全だ。危険地帯での実戦任務をこなせば、奴隷の刑期も大幅に短縮される。彼女の頭の中でも、素早く損得勘定が弾かれたのだろう。
ミャロは深く溜息をつき、気怠げに腕を組んだ。
「チッ、仕方ないね。で、ご主人様よぉ。あたしが自由に使える小遣いくらいは出るんだろうね?」
「小遣いどころか、冒険者としての正規の給金も出してやるさ」
「へぇ?」
「それだけじゃない。拠点にいれば、一定額までなら三食の食費もタダだ」
もちろん、『セリアの金』で、だが。
「……酒もかい?」
「ああ。限度はあるが、酒もタダで飲んでいいぞ」
その瞬間だった。
冷たく尖っていたミャロの表情が、一瞬で緩んだ。背後の斑点模様の太い尻尾が、パタパタパタッと激しく揺れ始める。
(ぶっ!?)
俺は思わず喉を鳴らした。ドSな毒舌を吐き散らしていた女が、酒と飯の話だけで尻尾をブンブン振っている。
(な、なんだこの生き物は……!? これが獣人ってやつなのか……!? ギャップの破壊力がヤバすぎるだろ……!!)
オタク心と男の本能を同時に撃ち抜かれそうになり、俺は必死に表情筋を引き締めた。
「ゴホン! ただし、一つだけ絶対の約束がある」
「何だい、改まって」
「拠点のみんなには『奴隷として路頭に迷い、困っていたところを教会の神官である俺が見かねて助けてやった』ってことにしろ」
「……あ?」
「いいか、絶対に高級娼館の裏口で買い取っただの、俺が賢者タイムだっただのって話は一言も漏らすなよ!? 絶対にだぞ!」
真剣な形相で念押しする俺に、ミャロは呆れたように片眉を上げた。やがて、喉を鳴らしてククッと笑う。
「なんだい、神官様のくせに格好つけたいのかい? いいよ、買い主のメンツくらいは立ててやるさ」
「よし、約束だからな」
胸を撫で下ろし、俺たちは夜の石畳を並んで歩き始めた。街灯の下、少し前を歩くミャロの背中を見つめていた俺は、ふと奇妙な違和感を覚えた。
(ん?)
すらりと伸びた褐色の美脚と、しなやかな腰の動き。粗暴で気怠げな態度なのに、足取りには無駄な揺れがない。重心の沈み込みや指先の所作に、隠しきれない「優雅さと気品」が宿っていた。
ただの野良の獣人や、荒くれ者の所作ではない。徹底的に礼法を叩き込まれた者だけが持つ、無意識の気品だ。
(……この動き。以前どこかで……いや、リアンナのような騎士の歩法とも少し違うな……)
脳裏をよぎったのは、前世の四天王の一角。高飛車で残虐でありながら、至高の貴族の誇りを纏っていた『吸血女王 プレアマリス』の立ち居振る舞いだった。
「おい、ミャロ」
「何だい?」
足を止めずに振り返る彼女に、俺は率直な疑問を口にした。
「お前、獣人国で、どこかの貴族だったのか?」
その瞬間、ミャロの歩みがピタリと止まった。
ゆっくりと振り返った切れ長の瞳に、気怠げな色は微塵もなかった。
月光を浴びた琥珀色の瞳が、夜の底のように深い光を宿している。
「ふふっ」
静寂の中、ミャロは妖艶に、どこか自嘲するように口元を吊り上げた。
「さすがだね、ご主人様。あたしのご主人様になるってのは、アンタが思ってる以上に大変なことなのさ」
彼女は一歩詰め寄り、耳元で囁くように告げた。
「――何があっても、絶対あたしを守り抜いておくれよ」
「は? 一体なんの――」
問い返そうとした瞬間、ミャロは身軽にバックステップを踏み、ふわりと夜風に髪を揺らした。
「ククッ、冗談さ! 早く行きなよ、タダ酒が待ってるんだろ!」
悪戯っぽい笑い声を残し、ミャロは『レッドアイズ』の本部へ向けて、音もなく軽やかに走り出してしまった。
「おい、待てって!」
しなやかな後ろ姿を見送り、俺は頭をポリポリと掻いた。
(何があっても守れ、か……やっぱり、ただの奴隷上がりってわけじゃなさそうだな)
厄介事の匂いはプンプンする。だが、本心を煙に巻く食えない性格まで、前世のプレアマリスに恐ろしいほどそっくりだった。
「まあいい。どんな爆弾を抱えていようが、俺が育てて使いこなしてやるまでだ」
俺は不敵に笑い、夜の街を駆けていく新しい仲間の背中を追って歩き出した。




