第51話:アークの修行
「……すまんな、ライラ。本当ならお前が次の経験値注入の順番だったのによ」
夕暮れの地下訓練場で、俺は隣のライラに深々と頭を下げた。【経験値注入】は、ストックした経験値を魂に流し込み、短時間だけ主脈Lv.を強制的に引き上げる技だ。
本来なら、次はライラの番だった。
「滅相もございません、マルク様。どうぞお気になさらず」
ライラは涼やかな瞳のまま、静かに首を横に振った。
「最優先は自立パーティの完成です。前衛の要となるタンクの育成を優先するのは、極めて合理的な判断でございます」
「そう言ってくれると助かるよ。……よし、アーク!」
「はいっ、マルク先生!」
アークが小走りで駆け寄ってくる。彼が本部に合流して、早くも一週間が経っていた。
「主脈Lv.2になってまだ一週間とは思えない仕上がりだな。【受け流し】の基礎フォームは完全に身体に染み付いている」
「ありがとうございます! ですが……まだ新しい枝脈のスキルノードが解放される気配がありません」
「普通なら、Lv.2の枝脈の開花には数ヶ月から半年はかかる。だが実戦が迫っている以上、上位の身体操作を早く魂に刻む必要がある」
俺はニヤリと笑い、アークの胸元へ右手をかざした。
「今から俺の権能で、お前の主脈Lv.を一時的に【Lv.3】まで引き上げる」
「えっ……!? 主脈Lv.を、一時的に引き上げる……!?」
アークが目を丸くした瞬間、後ろで見学していたミラとミミィの顔がサッと青ざめた。
「ひぇっ……! あ、あの地獄の反動が来るやつですねぇ……!」
「うぅ……あれ、終わったあと全身の節々がバキバキになって本当に動けなくなるんだよね……!」
身震いする二人をよそに、俺は【経験値注入】を発動した。
ゴォォォッ!
黄金の光の奔流が、アークの全身の魔力回路へ一気に流れ込んでいく。
「ぐっ……おおおおおおおッ!?」
アークの全身から魔力の風圧が巻き起こり、鋼のような筋肉がさらに一回り引き締まった。
「な、なんという力だ……! 身体が……羽のように軽い!? 魔力の巡りが跳ね上がっている……!」
――CONGRATULATIONS!! LEVEL 2 COMPLETE!!
LEVEL UP LEVEL 3!!
――CONGRATULATIONS!! LEVEL 3 COMPLETE!!
アークは自らの手のひらを握り締め、驚愕に震えていた。
「よし! その状態でミラと模擬戦だ!」
「えっ!? ミ、ミラ殿とですか!?」
吹き飛ばされた記憶がフラッシュバックし、アークの顔が一瞬引きつる。
「アークさん、行きますよぉ……! えーいっ!」
ミラが木剣を構え、鋭い踏み込みと共に全力の袈裟斬りを振り下ろした。アークはLv.3の身体能力と研ぎ澄まされた集中力で、大盾を斜めに滑り込ませる。
ギギギガガガッ――ドォォンッ!!
「ぐぬぬぬぬッ……!」
衝撃波が訓練場を吹き荒れた。
だが、アークの両足は地面に突き刺さったまま、一歩も後退しなかった。
「ふぇぇ……!? 私の攻撃を、真正面から受け止めましたぁ!?」
「と、止めた……! ミラ殿の剛撃を、完全に耐え切ったぞ……!」
アークが歓喜の声を上げた。
「よし、時間は限られているぞ! どんどんいけ! 高Lv.の動きを体に叩き込め!」
「はい!」
――そして、奇跡の時間は終わりを告げた。
ピシリと、アークの体内で魔力の糸が切れるような音が響く。
「――しまっ、時間切れだ!」
効果が切れた瞬間、アークの主脈がLv.3からLv.2へ強制的に戻った。
「ぐあっ……!? が、はっ……!?」
未熟な器に過剰な魔力を通した代償が、激痛の嵐となって全身を襲う。アークはその場に崩れ落ち、指一本動かせなくなった。
「うぅ……動けない……! 全身の神経が焼き切れたように痛む……!」
「アークさんっ! 大変ですぅ、私が医務室へお連れしますね!」
ミラが慌てて駆け寄り、アークの背中と膝裏に腕を差し入れた。「よいしょっ!」と愛らしい掛け声と共に、軽々とお姫様抱っこで抱え上げる。
「――っ!?」
その瞬間、アークの顔面に、ミラの訓練着からこぼれ落ちそうな爆乳がムギュッと密着した。甘い香りと暴力的な弾力が、少年の顔を包み込む。
だが、全身が激痛で麻痺したアークは、暴れることも声を出すこともできない。ただ目を白黒させ、窒息寸前で悶絶するしかなかった。
(……すまんアーク)
俺は心の中で静かに手を合わせ、涙を拭った。
(激痛と極上のご褒美の挟み撃ちだが、お前には耐えるしか道はないんだ……)
「身体が回復したら、次はレッドアイズの本隊に付いてダンジョン実戦アタックだからな! しっかり休めよ!」
遠ざかるミラの腕の中で、アークがピクピクと指先を痙攣させていた。
◇
「さて……これでタンクの育成の目処は立ったが」
俺は額の汗を拭い、訓練場の壁に背を預けた。
自立パーティの最後のピース――前線を支える専属の『治癒士』だ。
だが、優秀なヒーラーが都合よく転がっているはずもない。俺は食堂で休憩中のリアーチカに駆け寄った。
「リアーチカ! 頼む、誰か知り合いで腕のいいフリーのヒーラーはいないか!?」
泣きつく俺に、リアーチカは紅茶のカップを置き、不思議そうに首を傾げた。
「フリーの優秀なヒーラー? うーん……そんなの滅多にいませんよ。でもマルク先生、そもそも、ウルズ教会の人間ですよね」
「……え?」
「教会本部に頼んで、優秀な神官見習いを紹介してもらえばいいじゃないですか。教会のツテを使わない手はないでしょ?」
「――あ」
目から鱗が落ちる思いだった。
(そうだ……! ウルズ教会は王国最大の治癒魔法の総本山だ! なぜ今までその選択肢を失念していたんだ!?)
俺はすぐさまウルズ大聖堂へ足を運び、神官派遣の窓口に申請書を提出した。
しかし――。
窓口の司教から返ってきたのは、冷酷無比な一言だった。
「――却下です、マルク神官」
「……は? 却下ですか!?」
俺は思わずカウンターに身を乗り出した。
「なぜです!? 俺だって教会の正規の鑑定士ですよ!? 治癒士を一人融通してもらうくらい……!」
司教は冷淡な目で俺を見下ろし、ため息混じりに書類を突き返した。
「マルク神官、教会を理解しなさい。潜在限界の高い治癒士は、貴族や王室騎士団へ送り込み、寄付金と発言力を得るための『最重要資産』なのです」
「政治資産だと……!?」
「ええ。そのような貴重な原石を、いつ命を落とすかも知れぬ危険な迷宮や、あなたの個人的なパーティに引き渡せるはずがありません」
司教は眼鏡を押し上げ、冷たく言い放った。
「出向を許せる潜在値の低い見習いでは、あなた方についていけず、真っ先に魔獣の餌食になるだけです。身の程を弁えなさい」
バタンと、窓口の扉が目の前で乱暴に閉ざされた。
「……くそっ」
大聖堂の冷たい石畳の上で、俺は拳を強く握りしめた。教会の分厚い政治の壁に阻まれ、専属ヒーラー探しは、再び暗礁へと乗り上げてしまった。




