第50話:レッドアイズの決意
夜。『レッドアイズ』本部の最奥、薄暗い執務室。 長机の上には、ギルド本部から突き返された昇格申請書の控えと、冷めきった紅茶のカップが置かれていた。
「……参加を降りる気はないのか、セリア」
俺は腕を組み、机の向こうの女傑を見据えて重々しく口を開いた。
「無理だね。ここで引き下がってみな、レッドアイズは一生あの腐れ貴族どもの飼い犬になるしかないんだよ」
セリアは煙管をくわえ、紫煙を天井へ吹き上げた。ギルドの圧力をすべて突っぱね、彼女が手に入れてきた唯一の条件。
それが『大規模レイド演習』での圧倒的な戦果だった。
「セリア、これは教会の最高機密なんだが……」
俺は窓や扉に視線を走らせ、声を潜めた。
「あの演習の舞台になる大迷宮に、悪魔を信奉する狂信結社『原初の使徒』が仕掛けてくる可能性が極めて高いんだ」
「……何だって?」
「オーグの迷宮で見つかった人工の励起杭。あれと同質か、それ以上の罠を王都の大迷宮に張り巡らせている」
俺はセリアの目を見た。
「大手を出し抜いて実績を稼ぎながら、奴らの暴走まで鎮圧するなんて無理な話だ。……俺は、お前たちを死なせたくないんだよ」
心血を注いで育てた仲間たちが、陰謀の中で命を落とす姿など見たくもなかった。だが――セリアの反応は、俺の予想を完全に裏切った。
「へぇ」
セリアは煙管を指先で弄び、真紅の瞳を爛々と輝かせた。獰猛な肉食獣のように、口端が吊り上がる。
「つまり、悪魔崇拝者どもが大手クランの連中をボコボコにしてるところに割って入って、全部まとめてブッ潰しちまえばいいんだろ?」
「は?」
「そうなったら大手柄じゃないか! ギルドも貴族どもも、ぐうの音も出なくなるさ!」
「正気かよ」
俺は額を押さえて天を仰いだ。
(クソッ……セリアならそう言うと思ったぜ……!)
ピンチを、そのまま最大のチャンスと捉える。
恐るべき女傑の野心と豪胆さだ。
だが、現実はそこまで甘くない。
俺は指を折り、現状の戦力差を突きつけた。
「いいかセリア、現実を見ろ。確かに今のレッドアイズは強い。主脈Lv.5のお前とガイン。Lv.4にはロイス、ヘレナ、リアーチカ、ヴォルク、他にもいる」
俺は指を折り続けた。
「さらにミラも加わった。団員の大半もLv.3をコンプリートしていて、実質Lv.4並みに立ち回れる」
そこらの中堅クランとは、間違いなく雲泥の差があった。
「だがな、相手は王都の『大手貴族クラン』だ。貴族の連中にとって、潜在限界Lv.5以上なんて当たり前なんだよ」
「Lv.4止まりは平民なら立派なエースだが、貴族界じゃ『落ちこぼれ』と嘲笑される。まさにアークがそうだったようにな」
何より決定的なのは、組織としての「余力」の差だった。
「レッドアイズは事務方を入れても百人に満たない。大手は動員力も兵站も桁が違う。消耗戦になれば、ジリ貧なのは目に見えてるぞ」
俺の指摘に、セリアは嫌な顔一つせず、ニヤリと笑って机に肘をついた。
「だからこそ、あんたの知恵を借りたいんじゃないか。――頼むよ、マルク先生」
「……なんで新しく雇った専属のネロ先生じゃなくて、俺なんだよ」
「カッカッカ! 腹黒い狸を飼ってるんだ、たまには本気で働いてもらわなきゃ割に合わないだろ?」
セリアの鋭い眼光が、俺の目を真っ直ぐに射抜いてくる。
(……チッ、やっぱりコイツ、俺がただの下位鑑定士じゃないって完全に気付いてやがるな)
観念して、俺は深くため息を吐いて椅子に背を預けた。
「……分かったよ。やるだけやってやる」
「いいねぇ! で、どんな策があるんだい?」
「まず団員の底上げだ。【主脈Lv.3】の連中から『Lv.4に上がりそうな素質者』を選んで、短期間で集中的に鍛え直す」
「おおっ、Lv.4に上がってくれりゃあ、これ以上頼もしいことはないね!」
「それからガイン、ロイス、ヘレナ、ヴォルクの四人だ。俺が直接メニューを組む。新しい枝脈を一つくらいは解放するかもしれねぇ」
「そりゃあ助かるねぇ! ウルズ神のお導きってやつかい?」
「茶化すなっての。……それと、一つ条件がある」
「何だい、言ってみな」
「地下訓練場の一室を、俺に貸し切りで使わせてくれ。その間、他の奴らは絶対に立ち入らせないでほしい」
「いいよ、すぐに鍵を手配させよう」
セリアは、あっさりと首肯した。
(……ライラ、すまない)
俺は心の中で、黒装束の暗殺者にそっと手を合わせた。本来なら、次に経験値ストックを注ぎ込む順番はライラだった。だが、大手クランの猛攻とキメラ軍団の挟撃を凌ぐには、何よりも前線を死守する「絶対の盾」が不可欠だ。
(数日前に覚醒したばかりのLv.2のアークに、貴重な経験値と時間を注ぎ込むなんて、ギャンブルだ……だが、あいつは本物だ)
(俺の調整と経験値注入があれば、本番までに間違いなく立派なメインタンクとして覚醒する)
脳内で育成のシミュレーションを組み立て、立ち上がろうとした、その時だった。
「――そういえばさ、マルク」
セリアが煙管を灰皿に置いた。からかうような、どこか艶めかしい声音だ。
「うちに戻ってくるなら、あたしがあんたの愛人になってやるって契約だったね」
「……何バカなこと言ってんだよ。そんな冗談言ってる場合じゃないだろ」
苦笑交じりに突っ込もうとして――俺は言葉を喉に詰まらせた。机の上に置かれた、セリアの指先。その引き締まった節くれだった指が、小刻みに震えていたのだ。
(……そうか)
胸の奥に、冷たいものがストンと落ちてきた。
(セリア……お前も、本当は押し潰されそうなほど不安なんだな)
大手貴族とギルド本部の前で、一人啖呵を切ってきた女傑。だがその背中には、亡き夫が遺したクランの看板と、百名近い団員たちの命運が重く圧し掛かっていた。
失敗すれば、すべてを失う。平然と笑って見せながら、彼女の心臓は恐怖と重圧で軋みを上げていたのだ。
俺は震える指先にはあえて目を向けず、呆れたように笑った。そして、セリアの頑丈な肩にポンと手を置く。
「バカなこと言ってないで、たまにはあいつらに顔を見せてこいよ」
「……え?」
「マスターが籠もりっきりだって、ガインもロイスも不満タラタラだったぞ。あんたが酒を煽って笑ってなきゃ、団員も気合が入らないだろ」
セリアは一瞬だけ目を丸くした。それから、自嘲するように小さく吹き出す。
「……フン。相変わらず、生意気な口を利く下位鑑定士様だねぇ」
震えていた指先が、ギュッと握りしめられた。
いつもの不敵で獰猛な笑みが、彼女の顔に戻っていた。
「言われなくても顔を出してやるさ! あんたも精々、死ぬ気であたしたちを鍛え上げな!」
「へいへい、心得てますよ」
執務室のドアノブに手をかけながら、俺は静かに闘志を燃え上がらせていた。大規模レイド演習まで、時間はわずかしかない。この手で最強の部隊を仕上げ、迫り来るすべての理不尽を、跡形もなく叩き潰してやるまでだ。




